2. One night

 それからまたしばらく経ったころ。既に入学から1ヶ月が経とうとしていた。

「ふぅ、あったかかった〜」

 お風呂からあがった私は、自室に戻る途中だった。ちなみにお風呂は私が最初に入り、そのあと5人が順番に入ることになっていた。

 ふと後ろから近づく荒い足音に気づき、私は振り返る。

「あれ、寧音くん? どうしたの?」

 荒い息で私に近づく寧音くん。明らかにいつもと違う雰囲気に、私は怖気付おじけづく。

「寧音くん……?」

 私が呟いた途端とたん、寧音くんは私の肩を掴んで、廊下の壁に押し付けた。突然のことになんの対処もできず、されるがままに壁に衝突した背中が痛んだ。

「───っ……ぅ」

 小さく、声が出てしまう。ひるんだ私に目もくれず、寧音くんは私のパジャマのボタンを乱暴に外し、えりをぐいと横に引く。そこまで見て、やっと、寧音くんがなにをしようとしているのかが分かった。

「ちょ、っと、寧音くん!」

 嫌がる声をあげても、耳には入っていないようだ。耳元で、荒い息遣いだけが聞こえる。

 瞬間、首筋に鋭い痛みが走った。

「───……っ!」

 なにかが吸い取られて行く感覚がした瞬間、自分が血を吸われているのだと強く理解した。いつも感じないような違和感に、嫌悪が湧いてくる。

 ……気持ち悪い。痛い。

 こくん、こくんと寧音くんがなにか──血を飲み下す音ばかりが、やけに大きく聞こえる。

 手を振り払おうにも、寧音くんの力は私の力より数段強く、びくともしない。声をあげようにも、その気力すら寧音くんが吸い取るように、なにも言えなくなる。なにも、できない。不可抗力だ。


 血を吸う音ばかり聞いていたら、だんだんと頭がふわふわしてきた。血を吸われすぎて、体内の血液が足りなくなっているのか。

 あぁ、これでもし死んでしまったら、大量失血死というカテゴリに入るのだろうか。確か、人間は体に流れる20%の血液を短時間に失うとショックで死んでしまうのだったか。死ぬって、どんな感じなのだろう。

 おかしな思考を正す間もなく、私の意識はどこかへ消えてしまった。耳元では、相変わらず、寧音くんが私の血を飲み続ける音ばかりが響いていた。


 * * *


 そろそろ、夏美がお風呂から出たころだろうか。今日は夏美の次はボクの番だったはずだ。

 ボクは『綾巳雲』と書かれた学校のジャージなどをぽいぽいと引っ張り出して、お風呂の準備をした。

 しかしその後しばらく経っても、夏美は呼びに来てくれない。お風呂が終わったら部屋まで顔を出してくれるはずなのに、全くなんの音沙汰もない。

 大丈夫だろうか。長湯しすぎて、のぼせてたり……。

 いろいろと心配していると、急にゆらの大声がドアの向こうから聞こえた。

「ばかじゃないのか!」

 ここ1ヶ月程で聞いたこともない、切羽詰まったその大声。

 なにがあったんだろうか。夏美がのぼせてた訳ではないだろう。それだけなら、ゆらはばかなんて言わない。じゃあ、なんだ?

 急いでドアを開け、廊下に顔を出す。そこには、左頬を赤くした寧音センパイと、その前で仁王立ちするゆら。そして、傍らに倒れ込む、夏美の姿があった。

「───……どうしたの、ゆら」

「あ、巳雲」

 ボクの声で正気に戻ったように、彼はほうけた表情をした。

「ねぇ、どういう状況なの、これ」

「……今日、新月でしょ?」

 ゆらのその一言だけで、彼が言わんとすることがざっくりと分かった。新月の日は、吸血衝動が強く起こりやすい。

「……寧音センパイが、夏美に?」

「みたい。夏美は、ショックで気を失ってる」

「そっか」

 吸血した。そのことを意識するだけで、そこに充満した濃い血の匂いが鼻腔びこうをつく。強く湧き上がる吸血衝動を、深く細く息をすることで紛らわす。

「こういうとき、どうすればいいのかな」

「他のセンパイも呼ぶ?」

「そう、だね」

 お互いに頷きあって、ボクは博人センパイを、ゆらは大和センパイを呼びに行った。

 ドアを2回ノックし、センパイの声が聞こえたのを確認してからドアを開く。

「センパイ……ちょっと、一大事で」

「血の匂い、ですか。おおかた、誰かが衝動を抑えられずに涛川さんを襲った、のようなところでしょうかね」

 さすが、慣れているのか、博人センパイは冷静だ。センパイを引き連れて、廊下へ出る。

「……寧音」

「なん、だよ」

 博人センパイが、冷ややかに寧音センパイの名前を呼んだ。

「───…ど阿呆あほめ」

 その一言だけで、寧音センパイは自分の罪を認めざるを得なかったようだ。申し訳なさそうに、顔を伏せる。

「夏美は、どうしましょうか」

「部屋に戻してやりなさい。誰かが一晩ついていてやった方がいいかもしれません」

「じゃあ、ボクが、夏美の様子見てます」

 ボクはそう立候補する。すると博人センパイはこちらを見、薄く微笑んだ。

「よろしくお願いします」

「は、はいっ」

 ボクは横たわったままの夏美を抱え、彼女の部屋へ入った。夏美をベッドに横たえて、一度自室へ戻り、消毒用のアルコールと脱脂綿、大きめな絆創膏を取ってくる。これ以上の出血がないように、そして傷口がまないように。

「染みたらごめんね……」

 小さく言ってから、その白い肌に穿うがたれた2つの穴のところを消毒する。脱脂綿に、血がにじむ。

 しばらく脱脂綿を変え、消毒をし、ということを繰り返し、だいたいの血を拭くのと、消毒を終える。大きめな絆創膏を、傷口がきちんと隠れるように、慎重に貼り付ける。

「……よし、っと」

 目が覚めるまでは、そばにいてあげよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る