Op.1 Encounter

1. Admission

「お父さーん、朝ごはんできたよ、起きて!」

 私、涛川なみかわ夏美なつみは、お父さんの部屋に顔を覗かせる。

「あぁ、今起きるよ。おはよう」

「おはよう、お父さん」

 お父さんは夏斗という名前。

 お母さんは春美はるみという名前らしいけど、私が物心つく前に死んじゃったから、顔も、声も、何もかも知らない。

「今日から高校生だね」

「うん、寮だからお父さんと会えなくなるの寂しいな」

「なにかあったらすぐに連絡するんだよ」

「うん、お父さんこそご飯とかちゃんと作るんだよ? コンビニのものばっかりじゃバランス悪いから」

「分かったって、何回も聞いてるよ」

「何回もなんて言ってないよ〜」

「気にせず、気軽に連絡ちょうだいね」

「……うん」

 心から心配してくれているのだと分かるお父さんの言葉とその声色に、微笑みがこぼれる。

 そう、私は今日から高校生。新しい道に、わくわくしている。

「お父さんは心配性だからなぁ」

 朝ごはんの後、部屋で制服に着替える。

 入学式の後、寮に入って、新しい学校生活が始まる。同じ高校に入学する中学の友達はいないから、ちゃんと友達が作れるかとか、高校の勉強についていけるかとか、いろいろと心配事はある。でもそれよりも今は、わくわくしてたまらないのだ。

「お父さーん、準備できたー?」

「……変じゃない?」

「うん、かっこいい」

「よしじゃあ行こうか」

 こうしてお父さんとたくさんお話できるのも、今日までかもしれない。そう思った瞬間、ふっと大きな寂しさを感じたのは気のせいではない。この歳で、とは思ったが、少しだけお父さんの手を指先で掴む。

「どうした、不安なの?」

「ううん、別に……なんとなくだよ」

「そっか」

 微笑んで私の手をぎゅっと包むお父さんの手は、硬くてしっかりした、大樹の皮のようだった。私は今までその大樹に守られてきた。15年間、ずっと。

 でもこれからは、1人で、いろいろな困難に立ち向かわなければいけないのだ。大きく息を吸い、一気に吐き出す。

「頑張るね、お父さん」

「応援してるからね」

「ありがとう」



 入学式が終わった後、私が通う高校は全寮制ぜんりょうせいなので、入学生全員で一斉に入寮式を、寮のホールで行うのだそう。

 ホール、大きいんだろな……。

 大きな流れに後ろからてとてととついていく途中、こぢんまりとしたほこらのようなものを見つけた。その前には、中くらいの女の人の像。なんだろう、と見ているうち、なぜかその像の女の人の顔が自分に似ているような気がしてきた。そんなことはないと分かっている、はずなのに。目が離せない。

 いつの間にか、私の前にいたはずのたくさんの新入生たちの姿が見えなくなってしまった。

「あれ」

 ……まずったな。

「寮、どこ……?」

 よたよたと、列が進んだであろう方向に進む。全く、寄り道なんてしないんだぞ私と頭を抱えた後、顔を上げると大きな建物があった。

「もしかして、ここかな」

 ぱちぱちと目をしばたたかせ、私は不安ながらもその建物の扉を開く。ギィ、と扉は重い音を立てる。ちらりと隙間から中の様子を伺ってみる。

「……音、がしない?」

 そんなはずはない。ロビーは相当広いように見える。音は反響するだろうから、遠くの音でも大きく聞こえるはずだ。だから、ホールがたとえ防音だとしても、その周りの人のざわめきや慌ただしい様子などの音は聞こえる、はずなのに。

「──……ここじゃないか」

 ため息をついて姿勢を正す。と、その直後。

 目の前の扉が大きく開かれた。突然のことに心臓が跳ね上がる。

「なんだ、お前」

「え、えっと……」

「どこのやつだ、オレたちになんの用だ」

 この質問にはなんと言えばいいのだろうか。寮だと思ったんです、間違えたんですが、とか? だとしたらここはなんなのだろう。それか、この人が先生だったり……いや、それはない。明らかに私と同じデザインの服、制服を着ている。この人もここの生徒か。

「……赤、新入りか」

「はい、今日入学しました」

「寮と間違えるやつがいるとはな」

 大きな扉の向こうから顔を出している男の人は面白げに笑う。

「それにしても……お前、なんか普通の人間と違う匂いがするな」

「え、匂い?」

 変な香りのシャンプーでも使っただろうか、いや……たぶんいつも通りだったはず。覚えのない言葉に眉根を寄せる。

匂い、だな」

「は、美味そう……?」

 男の人は呟きながら、私の首元に顔を近づける。

「えっ、なん、ですか急に! 」

「なにをしているんです、寧音ねおん

 困惑した声をあげると、扉の奥から新たな声が聞こえた。その声を聞き、ねおん、と呼ばれた男の人は小さく舌打ちをする。彼の仕草に、私の肩はびくっと跳ね上がる。

博人はくと……面倒なやつに見つかった」

「このに人が来ないとはいえ、仮にも人を招き入れる場所で新入生をたぶらかすとは。全くですね」

「たぶらか……っ」

「なぁ、こいつさ。他の人間と違う、美味そうな匂いがするんだよ」

 私の頭に手を置いて、そう言うねおんさん。なんなんだろう、美味そうな匂いって。

「……そうだ。こいつ、ここに入れらんないかな」

「え……?」

「は……?」

 私とはくと、と呼ばれた人の反応が重なる。

「なにを言ってるんです、そんなわがままをあの生徒会が聞いてくれると思うんですか?」

「うっさいなぁ、いっぺん聞くくらいいいじゃねぇかよ」

 私の心のどこかが感じた嫌な予感に、私の体は反応して動こうとはしなかった。

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