第41話 王国の主
明らかな動揺が五人の人間を襲った。とりわけ黒ずくめの男たちは瞳に恐怖を浮かべている。
「お前、まさか……」
ルーファスも予想外のエアの反応に戸惑い、そう言ったきり言葉を失う。人々を避難させずに隔壁を作動させれば、居住区にいる人々は窒息してしまう。
「何を驚いているんだい? そのつもりで火をつけるんだろう? 死ぬんだよ、みんな」
「そ、それでは、計画はどうなりますか、新しい国を築くとおっしゃっていた……」
黒ずくめの男らは、縋るようにエアに問う。男らはさすがに同胞を見殺しにするつもりはなかったのだろう。エアはそんな二人の男を冷ややかに見下ろして言い放つ。
「もちろん新しい王国は生まれるよ。ここの人間がいなくなった後にね」
「……ここの人間を、見殺しにするつもりか」
ルーファスは低く唸るような声で、その一言を絞り出す。ルーファスにとって、エアがここまで非情な決断を迷いもなく下すことは予想外だった。一万にも及ぶ人々を、地下に閉じ込めたまま死なせる、それを実行できる者などない。それがルーファスらの知る「人間」であったからだ。
だが、目の前の少年は瞬きもせず、その宝石のように輝く碧の瞳にルーファスを映したまま、まるで微笑むような表情で続ける。
「ああ、必要な人間は連れて行くよ。——でも彼らはいらない」
ルーファスは、アルトマン医師の言葉を信じはしなかった。ただエアを説得する材料として、彼の意見を考慮したに過ぎない。だが今なら理解できる。アルトマン医師は十六年もの間、エアのこの表情を見てきたのだ。冷たい水の
医師は言った。地下の人々などエアは顧みないだろうと。エアが唯一、失うのを恐れるとすればそれはリリスの種子だけだろうと。だから火を放つならその種子が保管されている部屋にすべきだ、それが医師の考えだった。
「……ドクター、あんたが正しい。俺は甘かったようだ」
ルーファスは口の中で呟いた。続けて自嘲めいた独り言のように、改めてエアに告げる。
「まさか本当に見捨てるとはな。とんだ暴君ってわけだ。——火が出るのは人のいる場所じゃない。お前の大事な子供部屋さ」
それを聞いた瞬間、エアの形相が一変する。その目は見開かれ、歪んだ唇がわなわなと震えた。自分を抱きしめるようにきつく掴んだ自身の左腕に右手の爪が食い込む。
「……お前は、僕に逆らうつもりなのか」
それは今までのエアからは想像もできない、憎しみに満ちた声だった。今にもルーファスに襲いかかりそうなほどの強い殺意はもはや隠しようもない。ティアはそんな二人の様子に戸惑ったが、一触即発のこの瞬間をなんとかやり過ごさなければ取り返しがつかないことになると、その肌でひしひしと感じ取った。
「ルーファス、エア、二人とも何の話をしているんだ。誰かを、……子供を、殺すつもりなのか」
自分の知らないところで何かの歯車が狂ってしまったのか、ティアは不安にかられて二人に問う。
「そうだ! そうだよティア! あいつはお前の子供を殺そうとしているんだ」
血走った目で睨むようにティアを見たエアが、そう言い放った。ティアはそんなエアの様子に怯む間もなく、その言葉に衝撃を受ける。
「私の……子供?」
ティアは呆然とエアの視線を受け止め、次いで救いを求めるようにチェイスを見た。
「チェイス、どういうこと? 何か知ってるのか?」
チェイスは俯いたまま、苦しげに吐き出すように言う。その瞳はティアから逃げるように逸らされたままだった。
「ティア……きちんと話そうと思ってたんだ。もっと体調が良くなってから話したかった。エアは、ティアの卵子を使って子供を作り出したんだ。協力しなければ兄さんたちを殺すと言って」
「な……に……?」
ティアの瞳は力なく揺れ、崩れるように床に座り込んだ。自分の兄は一体何者なのだろうか。エアに出会い、ティアは血を分けた肉親に出会えた喜びに胸を躍らせた。二人で手を取り合って生きて行ける。家族同然の森のパックの人々を病の苦しみから救い、子どもたちにはより高度な教育を与えることができる。そんな希望に満ちた未来を想像したのは自分ひとりだったのか、エアにとって自分は駒の一つに過ぎないのか。自分から生み出された子どもたちは、家族もなく誰にも愛されずに生きていくのか……。濁流のように巡るその事実に、ティアは力なくエアを見上げるのが精一杯だった。
「ティア」
チェイスは駆け寄ってティアを抱えるように支えた。そんな二人に、エアは叫ぶように続ける。
「そうだ! ティアがいれば、子どもたちはいくらでも生まれてくる。新しい王国の女王なんだから! ねえティア、僕たちの国だよ。チェイスは分かってくれた。彼は君を愛しているんだから。そうだろう? チェイス、君の兄さんはまた君からティアを奪おうとしてるんだ。あいつは新しい国に必要ないだろう?」
恍惚とした表情でそうまくしたてるエアの言葉を、チェイスは俯いたままただ黙って聞いていた。ティアの腕を掴んだチェイスの手に力がこもり、ティアは思わず痛みに息を飲んだ。
「チェイス……」
呟くように呼びかけたティアの言葉を遮って、チェイスはエアに向かって言った。
「そうだな。新しい国に兄さんは必要ない。僕がいれば十分だろう」
それはティアが聞いたこともない、冷たいチェイスの声だった。信じられない思いで震える手をチェイスに伸ばしかけたティアは、弾かれるように立ち竦んだ。チェイスの右手に、銃が握られていた。視界の隅をその黒い銃がよぎった後、ティアは暗闇の中に自分の体が重く沈んでいくのを感じた。
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