第40話 警鐘 ※

 ※このエピソードには性的、暴力的な表現が含まれます。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください












「ふふ、まさかティアにこんな姿を見せるわけにはいかないよね」


 ベッドの上で、薄らと汗が光る白い胸を上下させて、エアが低く笑う。一糸まとわぬ姿で、そのしなやかな足をシーツに投げ出し、子供っぽく泳がせた。潤んだ瞳と、汗で額に張り付いた黒髪が、ほんの数分前の痴態をチェイスに思い出させる。




 チェイスの体にしがみつく子猫のような爪と、上目遣いに睨む瞳が甘い疼きをもたらす。エアの腰を掴むチェイスの指が白い肌に食い込むと、震える唇から懇願するような声が漏れ出る。チェイスは自分の腹の底にどんよりとしたどす黒い熱が溜まっていくのを感じた。手の中の白い肌と、脈打つ鼓動を、このまま握り潰して打ち砕いてしまいたい衝動にかられる。


 その焦燥感のような高まりに合わせて、エアは赤い舌を唇の間に覗かせながら、まるで蛇が獲物を絞め殺すようにチェイスを挑発する。そうして自分の中の嗜虐めいたくらい渦を思い知らされることに、チェイスは慣れ始めていた。


「こんなふうに、あの子を組み敷いて壊してしまいたいんだろう?」


 乱れた呼吸に上下する肩越しに振り向き、エアは嘲笑的に囁く。チェイスはそれに答えずエアのうなじを掴み、顔を乱暴にシーツに押し付けてその声を遠ざけると、苛立ちと怒りを残らずエアの白い体に叩きつけて深く息を吐いた。


「チェイス、君と僕は同じだ。いつだって自分に与えられないものを渇望して、指を咥えて見ていたんだろう? どんなに願っても自分に与えられないそれを、当たり前のように手にする者を横目にね。だけどその気になれば奪うことだってできるんだ。本当は君にも分かっていたはずだよ。みすみす手放すくらいなら、ってね」


「うるさい」


「自分のものにならないなら、壊してしまえばいい。そうすれば誰も君を嘲笑わらわないし憐れまないだろう」


「黙れ」


「君は一生、彼の弟として彼の影を踏みながら生きていくの? 愛しいティアも、仲間の尊敬も、何もかもを奪われたまま? 彼は君よりティアにふさわしい?」


「黙れと言ってる!」


 チェイスはエアの首を強く掴んだ。苦しい息の下で、喘ぐように引きつった声でエアが笑う。


「あははは、ほらやっぱり。君と僕は同じだよ」


 首を締められ、チェイスの体の下に押しつぶされながら、どこか恍惚とした表情でそう言うエアに、忌々しさを覚えながらも、あとほんの僅かのところで思い切れないでいるのもまたチェイスの本心であるのだった。


「君からの贈り物は、素晴らしい未来をもたらすだろう」


 そう言ってエアは自分の腹に手を当てた。チェイスはそんなエアから目をそらして、グラスのワインを煽った。重くのしかかる疲労と倦怠感に、ベッドにはりつけられたように眠りに落ちた二人は、初めて耳にする不愉快なサイレンに目を覚ます。体を起こし、ベッドから床に足を下ろしたのと同時に、部屋のドアが激しく叩かれた。


 エアが扉を開けると、彼の側近の男が入ってきてエアに何事かを耳打ちした。エアは顔色も変えずに二言三言、男に指示すると、ベッドに歩み寄り、足元に丸まったガウンを拾い上げてチェイスに投げながら言った。


「君の兄さんにしてやられたようだ」


 放られたガウンを掴んで羽織りながら、チェイスはハッとしてエアの顔を見る。


「ここに向かっているらしい。ティアを移動させる。説得している時間はない。君は先にティアのところへ行け」


 慌ただしく部屋を出るエアに続いて、チェイスも急いでティアのもとに向かう。ドアをノックする前に、チェイスは乱れた髪を整え、手の甲で唇を拭った。自分の愚行の痕をティアに見られたくない。


 部屋に入ると、ティアはベッドのそばにいた。不穏な大音響に疲れ切った表情でチェイスに問いかける。


「チェイス、この警報は一体……」


「ティア、急いでこの部屋を出よう」


 チェイスはティアに着替えを渡し、仕切りのカーテンを閉めた。


「待ってチェイス、話を」


 そう言ってカーテンを開けたティアに答えたのは、チェイスではなくエアだった。ティアの手を掴むと乱暴に引っ張り、部屋から連れ出そうとする。


「ティア、急ぐんだ。わがままを聞いている暇はないんだよ。僕専用のシェルターがある。すぐに移動するんだ」


 体を強張らせて抵抗するティアを、エアの取り巻きの男が無理やり連れ出そうと抱え上げた。


「やめろ、乱暴するな!」


 チェイスがそう声を荒げた時、部屋の外で争う気配がして、蹴破るようにドアが開くとそこに懐かしい顔があった。


「ルーファス!」


 ティアは叫ぶようにその名を呼んで、懐かしいその姿に向かって手を伸ばす。だがすぐにその手は男によって引き戻され、ティアの視界をもうひとりの男とエアが塞いだ。


「ティア、チェイス、無事で良かった」


 聞き慣れた声にティアは安心の涙を滲ませる。だがティア以外の人間は強い警戒と緊張を顕にした。男のひとりは腰の銃に手を掛けている。


「ルーファス、おとなしく森へ帰るのが賢明だよ。そんなことがわからない君ではないだろう。ご両親も健在なんだから親孝行してあげるといい」


 エアが冷然とそう言い放つと、チェイスとティアはハッとした。そうだ、森の皆に害が及ぶことだけはなんとしても避けたい。言外にエアは彼らを人質にとっているのだと告げている。だがルーファスは冷静だった。


「そうだな、おかげで家族は無事だ。——病に怯える必要はなさそうだしな」


「何の話かな」


 初めてエアがその声に苛立ちを滲ませる。ルーファスは肩を竦めて大したことでもないように答える。


「ワクチン、ありがたく頂いたよ。これで安心して暮らしていける。だから俺の家族を返してもらいにきた」


「ふふ、それで交渉のつもりかい? なぜ僕が二人をおとなしく返すと?」


 エアは、冗談でも聞いたように笑った。


「ああ、そうだな。大事なことを言い忘れたよ。さっきのやかましい警報、初めて聞いたろう? 俺たちが階下したに火をつけたんだ」


 黒ずくめの男たちは明らかに動揺した。エアの顔からは表情が消え、何の感情も読み取れない。


「小さなボヤだからすぐに消えただろう。あれは警告だ。じきにもっと大きな火が出るぞ」


 この地下空間は閉塞している。一度空気が汚染されれば大きな被害をもたらすだろう。火に巻かれて死ぬことはなくても、一酸化炭素中毒で死者が出る。一万人にもなる人々の避難で、エアは計画どころではなくなるはずだ。


「だから、なぜ僕が君の要求に応じると?」


 今度は明らかに笑みを浮かべてエアはそう言い放った。部屋の中のエアを除く全員が、その不似合いなエアの表情を訝しんだ瞬間、エアの次の言葉が響く。


「地下二階までのすべての区画を閉鎖しろ」








 

 

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