第35話 夢の底 ※
※このエピソードには性的、暴力的な表現が含まれます。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください
チェイスは不意に墜落するような気持ちの悪い錯覚に体を強張らせた。素足に触れる滑らかなシーツ、頭を包み込む大きな枕。朦朧とする意識のまま何度か目を瞬かせ、深呼吸をした。そこは大きなベッドの上らしかった。見覚えのない部屋、混乱する頭を必死に働かせ、最後の記憶を手繰った。
チェイスとティア、ルーファスにネイサンにグウェン、全員でエアの部屋に招かれた。最後に食事でもてなしたいとエアが言ったからだ。そして話をしたはずだ、だが何の話だったかチェイスには思い出せない。
——テーブルの上には本物の料理が並んでいた。ティアもルーファスも喜んでた。そしてあの、甘ったるいワインで乾杯して……それから……気がつくとグウェンが眠っていた。ティアは......ティアも様子がおかしかった……僕は立ち上がろうとしたけど、体が動かなくて――
途切れ途切れに思い出す。ベッドから抜け出そうと床に足を着くが、力が入らない。崩れるように膝を折り、ベッドの上に倒れ込む。その拍子にサイドテーブルの上の水差しが床に落ちて割れた。ガラスの水差しが粉々になり、中の水が床に水たまりをつくるのがやけにゆっくりと見えるのに、その音が聞こえない。水の中にいるようなくぐもった音が微かに鼓膜に届いただけだ。
自由にならない体が鉛のように重い。唯一役に立ちそうなのは視覚だけだった。チェイスは首を捻って部屋を見回す。広い部屋の向こうの壁にドアのようなものが見える。もう一度ベッドに手をついて、どうにか上半身を起こしたがそれ以上は動けなかった。しばらくそうしてもがいているうちに、再び気を失った。
*****
ティアがチェイスの名を呼んでいる。心配そうに何度も呼ぶティアに、チェイスは答えようとするが声が出ない。やがて遠ざかっていくティアを追いかけようと手を伸ばし、目が覚める。
「チェイス、チェイス! しっかりして」
夢の中よりも近くでティアの声がする。ぼんやりしたままの視界で、心配そうにこちらを覗き込むティアを確かめる。
「——ティア、無事なのか」
「うん、大丈夫」
先程目覚めたのと同じベッドの上だった。少しだけ感覚を取り戻した体を、チェイスは確認する。素肌の上に羽織った薄いガウンが汗をかいた背中に張り付いていた。手を伸ばしてティアの無事を確かめる。心細げにチェイスを見つめるティアはどこか子供の頃を思い出させた。ティアの顔に触れたチェイスの手にティアの手が重なる。泣き出しそうなティアを抱きしめると、同じく素肌に薄いガウンをまとったティアの体は頼りなく細く、小さく震えていた。
「なにがあったんだ」
ティアに尋ねると、小さく首を振る。
「わからない。——何も覚えてない。皆で食事をしたあと、気がついたらここにいた。どうなってるのチェイス、みんなは?」
「僕にもわからない」
「あいつら、私達を殺す気なんだ! ……ああチェイス、どうしよう」
取り乱して泣き叫ぶティアを抱きしめて髪を撫でると、まるで幼い子供のようにチェイスの首に抱きついた。お互いに薄いガウンしか纏っていない体の、素肌の温度が手のひらから伝わる。ためらいがちにその背中をそっと撫でると、ティアはぴくりと体を震わせた。小さく漏れた吐息がチェイスの耳をくすぐる。
思わずティアの肩を掴んで引き離すと、ティアはその碧の瞳を潤ませて顔を寄せた。ティアの鼻がチェイスの頬を掠め、その温かく湿った息が唇に触れる、——その瞬間チェイスは思わずティアの肩を掴んだ手に力を込めた。
「……なぜ? チェイスは私が嫌いなの?」
チェイスはしばらく固まったように呆然とティアを見つめた。
「ティア、一体どうしてこんな……」
「チェイス、逃げないで。——私達はずっとこうなることを望んでたでしょう?」
「それは……」
「お願いよチェイス、私達はこうなる運命だったの」
ティアはチェイスの肩を強く押した。チェイスは深い谷に落ちるような錯覚に目眩を覚えながらベッドに倒れる。チェイスを見つめるティアの瞳は、恐れと未知の喜びへの予感に強く輝いている。チェイスがその瞳に抗える筈などなかった。
ティアはその白く小さな手をチェイスの胸に滑らせる。折り重なるように体を屈めると、両手でチェイスの頬を撫で、恐る恐るその小さな唇を重ねた。滑らかな唇が、チェイスの答えを奪うようにその唇を割る。
チェイスはティアの小さな頭をその手のひらで包むように引き寄せ、ためらいながらも誘いかけるその小さな舌を味わう。時折苦しげに呼吸を求めるティアを、今度はチェイスが離さなかった。チェイスの手がガウンの裾からティアの太ももの曲線を辿る。
汗ばんだ肌を重ね合わせ、熱い粘膜に体を埋める。呼吸のたびに強く波打つ快楽にチェイスの腰が揺れると、大きく息を吐いたティアが苦しげに呻き体を仰け反らせる。はだけたガウンから白い胸が覗き、まるで光るように白いその肌に薄っすらと浮かぶ汗。その白い胸の丸みに舌を這わせると、ティアは震えながらチェイスの肩に爪を立てた。その痛みすらもチェイスにとって体の芯を白熱させる炎でしかなかった。
チェイスの両手がティアの腰を強く掴み、その肌に指が食い込む。力の加減が出来ずに、時折ティアが苦しげに喘いだ。その声は、ますますチェイスから思考を奪った。自分の中にこれほど獣じみた欲が渦巻いていること、それを残らずティアに叩きつけようとしていること、それはチェイスの心に影を落としたが、暗くて深い、この甘美な夢からもう逃れられないと分かっていた。
繰り返し、波のように押し寄せる収縮と弛緩に二人は疲れ果て、自分の体さえ支えられなくなったティアの髪がチェイスの胸に散る。激しく上下するチェイスの胸の上でティアはもう目を開けていることすらできなかった。
チェイスの手はその柔らかな髪を滑るように撫で、静かにティアの細い首に手をかける。幻の中で激しく燃えて煙のように漂い、やがて消えていこうとしている自分の愛を虚ろに眺めた。
「――僕は、きっと自分を許せないだろう」
低く静かに呟いたチェイスの声に、薄くまぶたを持ち上げたティアの顔の持ち主が、小さく笑いながら答える
「僕を殺すかい?」
「なぜ、こんな事を」
「君たちは新しい世界の
「新しい世界ってなんだ。お前達のような人間が再びこの世界を支配できるとでも?」
「――当然じゃないか、僕たちは特別なんだから」
「そのために僕たちを利用するつもりか」
「人聞きが悪いなあ。協力をお願いしたんだよ」
チェイスは、愛しい人の顔で微笑むその美しい悪魔の首にかけた手に力を込めた。手の中で動脈の拍動が響く。赤黒く色を変える顔から、苦しげな呼吸とともに声が漏れる。
『……お願い、チェイス。こんな事やめて』
チェイスは歯を食いしばる。細い首、片手で難なく終わらせることができるだろう。だがチェイスは力なく手を離し、静かにベッドの端に体を起こした。エアは激しく咳き込み、胃液を吐いた。やがて部屋のドアが開き、黒ずくめの男たちがやって来て、チェイスを拘束した。
「……君の兄さんなら、ためらわなかっただろうね」
部屋を出るチェイスの背中に、エアの呟きが冷水のように浴びせられた。
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