第34話 晩餐

 地下施設での滞在も二日を残すばかりとなったある日、エアはティア達のために晩餐会を催すと伝えてきた。彼らのために、新鮮な肉や野菜を使った料理でもてなしたいという。ティアたちはこの地下施設に来てからというもの、地下の住人たちにならって液体やビスケットばかりの食事に辟易へきえきしていたところだった。


 エアの企みが気がかりではあるものの、彼自身の言葉によって、ひとまずルーファスら三人は抵抗しなければ無事に脱出できることは分かっている。その後ティアとチェイスの二人を連れ出す計画を立てればいい。エアにとってティアとチェイスは鍵を握る人物であるから、ルーファスとしては不本位ではあるが、二人を預けても身の危険はないと考えた。


 この期に及んで突然態度を翻してはエアにも怪しまれる。ここはおとなしくエアの誘いに応じて、まずは三人で無事にパックへ帰ることを優先すべきだ。いつものように遠乗りで屋外にでたルーファスは、ティアにそう言って、五人はエアの招待に応じることにした。


 夕刻、人形のような女が晩餐の用意が整ったと知らせに来た。エアの私室に設けられた夕食のテーブルには想像していたよりもずっと豪華な料理が所狭しと並べられている。どこもかしこも白いこの施設の中で、このエアの部屋には彩りがあった。床には落ち着いた濃紺の絨毯が敷かれ、家具は磨かれて深い艶のある木製のようだ。エアに促され、五人は席に着く。やはり区別のつかない男女が数名、給仕をするために部屋の隅に立っていた。


「できるだけあなた方の好みに合うよう、料理人が工夫したものだよ。古いレシピを見て再現してくれたんだ」


 エアがそう言って微笑む。給仕の男女がティアたちのグラスにワインを注いでいく。


「ただ、ワインは天然物が手に入らなくてね。合成ワインで申し訳ない」


「アルトマン医師はいないのかい?」


 グウェンがワイングラスのステムに触れながら尋ねる。


「残念ながら彼には用事があってね」


 エアはそう言いながらグラスを持ち上げて、皆に乾杯を促す。全員がグラスを掲げてエアに礼を返すと、最後の晩餐は静かに始まった。ティアとルーファスは初めて飲む合成ワインの甘さに戸惑ったが、ぶどうのジュースと思えば悪くない。何より、久しぶりに食べる本物の鶏肉や新鮮な野菜は、疲れと緊張で消耗していた五人を癒やしてくれた。温かい食事と久しぶりのワインは彼らの体に染み渡っていく。


「ささやかだけど、君たちの帰りを待つ人に、手土産を用意したよ」


 そう言ってエアは、たくさんの本や、丈夫な繊維でできた衣料品、その他にも様々な生活道具を見せた。


「この他にも必要なものがあったらいつでも言って欲しい。君たちは我々の家族も同然なんだから」


 無邪気に微笑み、そう語りかけるエアに、ルーファスは再びグラスを掲げてからその中身を飲み干した。ティアもひとまずは無事にルーファスたちを帰す目処めどが立ち、ほんの少しだけ緊張を緩めてグラスに口を付ける。エアはそんな二人を見て満足そうに頷く。そうして、晩餐のテーブルを囲んだ六人は食事とワインを楽しんだ。


 全ての料理が運ばれた後、エアは給仕の人間を下がらせ、寛いだ雰囲気の中、数本のボトルが空になった。


 やがて時刻は夜の十時を回り、エアは五人をぐるりと見回すと、この晩餐の席を締めくくるように語りかけた。


「楽しんでもらえて何より。名残惜しいけれどそろそろ時間切れだ。僕は失礼させてもらうよ。――君たちも、ゆっくり休むといい」


 そう言ってエアは席を立ち、静かにドアを開けて、出ていった。エアの言葉に答える者はない。なぜなら、部屋に残された五人はそれぞれ力尽きたようにテーブルに伏せたままだった。微かに上下する肩が、かろうじてゆっくりとした呼吸を示している。


 エアが出ていった後、入れ違うように男たちが数人、音もなく部屋へ入ってきた。彼らはテーブルに伏せたまま身動きしない五人の首筋に指を当て脈を確認する。そして全員の両手を拘束した後、次々にストレッチャーに乗せ、ものの数分で部屋から運び出して行った。整然と、配膳ワゴンを運ぶように列をなして廊下を進むストレッチャーは三台。エレベーターに乗せられこの地下シェルターの最深部まで沈んでいった。


 一部の人間しか立ち入りの許されないこの最深部は人の気配もなく、より一層の静けさと不気味さをたたえていた。暗い部屋には水槽のような物が無数に並び、その中には深海の生き物のような影が浮かんでいる。その間を走るストレッチャーの上でネイサンは薄く目を開いて、朦朧もうろうとする意識の中、その光景をぼんやりと眺めた。





 様子がおかしいことに気づいたのは、ティアが二杯目のワインを空けた後、少しぼんやりした反応を見せた時だった。ネイサンと違って、彼ら兄弟は酒に強い。シードル一杯でフラフラになるネイサンは、だから彼らが酔った姿を見たことがない。ティアがうつらうつらとテーブルに肘を突いた後、今度はグウェンがいつの間にか椅子の背もたれに体を預けてイビキをかき始めた。


 ネイサンが異変を確信したときにはもうルーファスとチェイスの二人も何杯かのワインを飲み干した後だったので、彼らも椅子から立ち上がることができなかった。ネイサンは酒に弱く、ワインが嫌いだった。だから彼は最初の乾杯でほんの一口か二口だけ飲んだ後、給仕の目を盗んで、テーブルの下の濃紺の絨毯に残りを零していたのだった。それはネイサンの子供っぽい嫌がらせだった。


 おかげでネイサンだけがこの罠に掛からずに済んだのだ。給仕が再び部屋に入ってきて、ティアたちをストレッチャーに乗せるのを見るとネイサンはそっとテーブルの上のナイフを袖に隠し、自分も眠ったふりをした。

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