第29話 グウェン
それ以来、ティアたちは各自の部屋では当たり障りのない会話と、読書などをして過ごし、毎日のささやかな楽しみでもある馬での遠乗りに出た際に、情報交換をするようになった。
「あの
遠乗りの名目で煙草を吸いに、ティアと二人で外に出た時、ふとグウェンがそう漏らした。医師と過ごす時間の長いグウェンもまた、アルトマン医師の心に、微かな葛藤を感じているらしかった。
「アルトマン医師が何か言ったのか?」
草に寝転がり、紫煙を吐き出すグウェンにティアが意外だと言う顔をする。
「いや、もちろんなんにも言わないさ。けどねえ、あの人はあそこでやってることにあまり乗り気でないんだろうと思うね」
「けどマム、あの人は医者だろう? 病気の治療が嫌なんてこと、あるかな?」
「もちろん治療や研究はやりがいがあるさ。――それ以外に、何かあるんじゃないかってことさ」
「それ以外、か。……何だろう」
「お前さんとあの兄さんの生まれにも関わることなんじゃないか、とあたしは思うね」
*****
グウェンは、アルトマン医師の研究室で感染症への対策を見学していた。過去に人類が直面した恐ろしい病を、彼らは全て管理し、研究しつくしていた。すべてのウィルスにはそれに応じたワクチンが開発され治療薬も完成しているという。密室で厳重に管理されるそれらのウイルスや細菌の中に、エボラウイルスがあるのにグウェンは気づいた。その名前の記されたラベルの前で、足を止めたグウェンにアルトマン医師が声をかける。
「あなたは助産師もされていると聞きました」
「ああ、そうだよ。あそこの連中はほとんどあたしが取り上げたのさ」
そう言って笑うグウェンを、アルトマン医師はしばらく見つめ、何かを考えているように見えた。
「ここじゃ赤ん坊は珍しいんだって?」
グウェンに言われて医師は悲しげに首を振り、自嘲気味に笑う。
「自然妊娠は私の知る限りありません。ここの人間は全て人工授精によって生まれたものです」
「すごいもんだ。もらった本で読んだが、シャーレの中で受精させるんだろ?」
「……我々は、この宿命に全力で抵抗してきた。だが、もうそれも限界に来ています」
アルトマン医師は、メガネを外し目頭を押さえると、大きくため息をついた。その消耗しきった様子にグウェンは率直に尋ねる。
「何があんたをそんなに追い詰めてるんだい? 生まれてこない赤ん坊? ……それともあんたのとこのあの王子様かい?」
医師は、ふとその動きを止めメガネを掴んだ右手が宙に浮いたが、それはほんの一瞬のことで、すぐにそのメガネをかけ直すと何事もなかったように再び薬棚に手を伸ばして作業を続けた。そしてまるで独り言のように静かに呟く。
「ここでは、死亡した者の中から無作為に選んだ遺体を検死解剖しています。解剖室に案内しましょう」
アルトマン医師はそう言ってグウェンを更に地下にある場所へ案内した。ひときわ気温が低く感じられ、余りの静けさに耳鳴りがするほどの、まさに死者の部屋だった。その部屋に医師の声が響く。
「私は生まれてくる赤ん坊を取り上げるより、死んだ人間を切り刻むことのほうが多いんですよ」
「そりゃあ、楽しい仕事じゃないだろう。だがそのおかげでここの連中はあらゆる病から守られてるんじゃないか。私らの家族も救われた。……あんたはあたしの一番の先生さ。あたしはあんたの最年長の教え子だ」
そう言ってグウェンは目尻のシワを深く刻んで笑った。アルトマン医師は頷きながら小さく笑い、こう続けた。
「――この遺体安置室は、カメラもマイクもありません。あるのは遺体だけですから警備チームの巡回ルートにも入っていません」
グウェンは黙って医師の目を見つめた。
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