第26話 救援

 兎にも角にも、オーウェンのパックの面々は絶望的な現状を打破する可能性が見えたことで、わずかだが明るさを取り戻した。特にオーウェンやグウェンらは食事や睡眠もままならない毎日で、ようやく数日ぶりにこうしてゆっくりテーブルを囲んでの食事だった。少しのワインを飲んで、オーウェンらと男たち、グウェンは早めに自室へと引き上げていった。


 そうして残された兄弟たちは、ずいぶん遅れたが再会を喜び合い、そこへネイサンが顔を出した。誰かからティアの持っている無線機の事や、シェルターで乗った車の事を聞いたのだろう。興味津々でトランシーバを手に取りあちこちいじっている。


「ネイサン、まだバラさないでくれよ」


 チェイスが苦笑いでからかう。


「これ一つしかないのか?」


 諦めきれないネイサンが真顔でティアに聞く。ティアは慌ててネイサンから取り上げると、チェイスに渡しながら言う。


「一つしか持ってきてないから、壊しちゃ駄目だ」


 口をとがらせて不満げなネイサンはキッチンから瓶を持ってきた。リンゴ酒シードルの瓶だ。ネイサンは仲間のうちでも特に酒に弱く、ワインはまずいと言ってほとんど飲まない。代わりに少女たちが好むシードルを飲む。ティアのグラスにも注ぎながら、ネイサンは車の話を聞きたがった。


「チェイスに聞くといい。チェイスは運転の才能があるんだ」


 ティアがそう言ってチェイスの肩を叩くとネイサンは目を輝かせてチェイスの隣に座った。


「チェイス、運転したのか、どうだった?」


 そんな三人を静かに眺めるルーファスの表情は、やっと見慣れたものに戻っていた。レイチェルの話をしたときのルーファスは、疲労の色が滲んでいた。瞳を縁取る深い影が、ルーファスから表情を奪い、ティアの知らない男のように見えた。以前にも一度だけ、そんな顔をしたルーファスを見たことがある。ティアは忘れかけていた子供の頃の記憶を手繰たぐった。



 *****



 初夏の頃、森の緑がいっそう濃くなり、幼いティアたちは毎日のように狼犬たちと走り回って遊んでいた。日に焼けて、疲れ切ってベッドに入ると、羊を数える暇もなく眠りに落ちた。


 その夜は少し蒸し暑く、ティアは夜中に薄く目を覚ました。すると、すぐ隣で寝ていたチェイスが苦しげに肩で息をしながら泣いていた。驚いて飛び起きたティアは、すぐにルーファスを起こす。


 ルーファスがランタンに火を入れて弟の様子を見ると、チェイスはひどく汗をかいて泣きじゃくり、しきりに首や腹を掻きむしった。綿めんの寝間着をまくってチェイスの腹を見ると、赤い発疹ほっしんがたくさん浮き上がっていて、子供の目にも尋常でないのが見て取れた。


 ルーファスはティアの手を掴むと急いでオーウェンとレイチェルを起こしに行った。飛び起きた二人はルーファスから話を聞くと、ルーファスとティアの二人にこのまま部屋から出ないように言いつけて、チェイスの元へ急いだ。ティアはルーファスの手を握りしめ、泣きべそをかいた。レイチェルとチェイスの元へ行きたがるティアの手を、ルーファスは強く引き止め、駄目だと言った。そのままレイチェルは朝までチェイスに付き添い、ルーファスとティアはオーウェンと一緒にベッドに入った。


 一晩中、熱が下がらず苦しがって泣いているチェイスの声を聞いていたルーファスは、翌朝オーウェンの目を盗んで一人で外に出た。まだ八歳だったルーファスには自分の馬はない。母親レイチェルの馬を連れ出して一人で森へ入ったのだ。ルーファスと馬がいないことに気づいた仲間たちは大騒ぎになったが、オーウェンは捜索隊を出さなかった。


 チェイスの世話とルーファスの行方不明でレイチェルは疲れ切って、チェイスの隣で眠っていた。オーウェンにはやらなければならないことが山程ある。ティアは一日中グウェンの部屋で過ごした。じきに日が暮れようとしている午後、外で女達が大騒ぎをし、慌ててオーウェンを呼びに走った。


 オーウェンが中庭に降りていくとそこには馬を引いて立っているルーファスがいた。落馬でもしたのだろう、膝には泥とも血ともわからぬ黒い汚れがこびりつき、額にも切り傷から血が出ていた。少年が駆け寄って馬を連れていき、ルーファスはオーウェンの前に立ちすくんだ。右手にはしおれてみすぼらしい草の束を握りしめている。そのままオーウェンの前までまっすぐに歩いてくると、ルーファスはその草の束を父親に差し出した。オーウェンはそれを受け取ると、低い声でルーファスに言った。


「お前のしたことは、悪いことではないが、正しいことでもない」


 ルーファスはまっすぐに父親を見つめて、ごめんなさいと小さく呟いた。


「謝らなくていい。だが、自分の行動には責任を持て」


 そしてオーウェンに、体を洗って着替えてくるように言い、ルーファスは走って部屋に向かった。


 二階にあるグウェンの部屋からその様子を見ていたティアには、二人の声は聞こえなかった。しばらくして、オーウェンがグウェンの部屋に来た。その手に持っている草の束を見てグウェンは小さく笑う。


「ナツユキソウかい。あの子が採ってきたんだろう」


「ああ」


「大したもんだ。弟のために一人で森に入るとはね。――あーあ、せっかく採ってきたのにつぼみが落ちちまって」


 グウェンは笑いながら、萎れた草の束を受け取った。ティアは、グウェンが以前教えてくれたことを思い出した。ナツユキソウの花には痛み止めや解熱の作用があるのだ、ということを。ルーファスは弟のためにナツユキソウを探しに行ったのだった。



 *****



「昔も、こんなことがあったな。チェイスが熱を出して、ルーファスがそれを治そうとして」


 ティアがふとそう呟くと、ルーファスはグラスに口を付けながら怪訝な顔をする。


「そんな事あったか?」


「一人で森に入っただろう。馬で」


「――ああ、そんなこともあったな。あの時は親父よりお袋のほうが怒ってたな」


 そう言って笑うルーファスを、ティアは何故か直視できなかった。ごまかすように自分のグラスに視線を落とすと、ルーファスがおかしくてたまらないという様子で続ける。


「お前、その後のこと覚えてるか?」


「そのあと……? 何かあったか?」


「結局、チェイスあいつはただの風疹ふうしんで、三日もしないうちに治ったんだ。おまけに風疹なら今のうちにかかっとけ、ってマムに言われて俺たちも他の奴らもみんな同じ部屋に詰め込まれて、子供はみんないっぺんに風疹を感染うつされたろ」


 大声で笑いながらルーファスは懐かしそうに言う。


「俺達はあいつが死んじまうんじゃないかって思ってたのにな」


「そんなことがあったか?」


 ティアはその当時四歳程度で、あまりはっきり覚えていなかった。ルーファスは思い出して付け加える。


「そうだ、そう言えばあのときお前だけ感染うつらなかったな。チェイスが治ってケロっとしてる時に俺は熱で寝込んだんだ」


「そうだったか……」


「なあ、ネイサン、お前も一緒に風疹やったよな」


 シードルをグラスに一杯飲み干して、真っ赤な顔のネイサンにルーファスが話しかける。


「やったやった。皆でお泊り会だって喜んでたらその後で全員風疹になったんだよな」


 思い出話に花が咲き、珍しく上機嫌なルーファスと三人は夜遅くまで話し込んだ。

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