第25話 要請

 翌朝、五時に施設を出た二人は四時間ほどで、学校跡地に辿り着いた。この時間、男たちは狩りに出かけ、残った者は畑仕事や家畜の世話をしているはずだ。だが、建物の周囲は静まり返っている。


 チェイスとティアは、建物の裏に回り、いつもレイチェルが世話をしているトウモロコシ畑を見に行った。だがそこにも人影はない。鳥小屋の囲いにはいつもどおり雌鶏たちが餌をついばんで歩き回っている。人の姿だけがない。


 いつもとは違うただならぬ雰囲気に、二人は緊張し、警戒しつつ建物の中に入る。キッチンにも人気ひとけが無い。あちこち見て回っても誰もいない。何かがおかしい。ティアとチェイスはオーウェンとレイチェルの部屋へ向かった。


 部屋の外から様子を窺うと微かに声が聞こえてくる。オーウェンとルーファスの声だ。二人はいくらかホッとしながら、ドアを叩く。


「――誰だ? この部屋には近づくなと言っただろう。自分の部屋へ戻れ」


 オーウェンの声がノックに答える。チェイスが声をかける。


「父さん、僕だよ。チェイスだ。ティアもいる」


 部屋の中で慌ただしく動く気配がして、すぐに大きくドアが開いた。そこには驚きを隠せない様子のルーファスが立っていた。


 チェイスとティアは喜びの再会の前に、部屋の奥、ベッドに横たわるレイチェルとそばに付き添うオーウェンの姿を見て言葉を失う。


「母さん……」


 ようやくその一言を絞り出したチェイスを、ルーファスは押しとどめるようにして部屋の外に出し、背中でドアを閉めた。


「ルーファス、一体どういうことなんだ。……レイチェルは――」


 ティアも動揺してルーファスの腕を掴む。


「とりあえず、どこかで……チェイス、お前の部屋で待ってろ。俺もすぐに行く」


 ルーファスは言い聞かせるようにそう言って再び部屋の中に戻った。ティアとチェイスは状況がわからずお互いの顔を見合わせたが、ひとまずルーファスの言葉通りチェイスの部屋に向かった。


 十分ほどでルーファスが現れ、二人は思わず立ち上がって迎える。ルーファスはやつれた様子で椅子に腰掛けると深い溜め息をついた。二人もベッドに腰をおろし、ルーファスの言葉を待つ。ルーファスは少し考えてから、静かに話し始めた。


「二週間前、ジョーンが死んだ」


 ジョーンとは、ケイトと仲のいい少女だ。確かティアと同じ年頃だった。彼女はもちろん狩りになど行かないし、若くて健康な体の持ち主だったはずだ。それが突然、死ぬような理由が思いつかない。ティアとチェイスは疑問を感じつつ、話の続きを待つ。


「それからあっという間だった。ジョーンが死んで、二、三日のうちに立て続けに二人死んだ。みんな最初は熱っぽい程度だったが、いつまでたっても熱が下がらず、全身に発疹が出た。それでマムが感染症を疑って、みんなに部屋から出ないように指示した。発疹が出た連中はそのうちに血を吐いたりして、マムにもどうしようもなかった」


 淡々と、そう話すルーファスに二人は言葉を失う。その出来事とレイチェルとを結びつけまいと思考回路が抵抗する。


「六人、二週間で六人死んだ。症状が出た者は全員死んだ」


「……母さんは。……母さんは関係ないんだろ?」


 チェイスが立ち上がってルーファスに問う。ルーファスはうなだれたまま首を振って、低い声で言う。


「お袋は一昨日から熱が下がらない」


「そんな……」


 思わずティアが呟く。チェイスはどさりと崩れるようにベッドに腰を落とす。

 ティアはまるで足の裏が床に張り付いたように身動きができなかった。重く三人を包む沈黙をルーファスが破る。


「昼にはキッチンで食事を作るからそれまで好きに過ごせばいい」


「……狩りには出てないんだろう?」


 チェイスが呟くように尋ねる。ルーファスは一瞬言葉に詰まったが、すぐに表情を和らげて答えた。


「二ヶ月くらいは何とかなる。心配ない」


「――ルーファス、話がある。オーウェンも呼んで話したい」


 ティアは意を決して、強い口調で言った。チェイスもティアを黙って見つめている。きっと同じことを考えているのだろう。ルーファスは怪訝な顔をする。


「なら食事の後に――」


「今すぐ、話したい」


 ルーファスの言葉を遮ってティアは言う。提案ではなく、宣言するように。いつにないティアの様子に、ルーファスは分かった、と言って部屋を出た。


 しばらくしてルーファスとオーウェンがチェイスの部屋にやってきた。レイチェルの事を誰かに頼んで来たらしい。二人が椅子に腰を下ろすと、ティアとチェイスはこのひと月あまりの出来事を話した。地下に避難した人々の存在、彼らの暮らし、そして彼らの持つ医療設備と医薬品のことを。


 チェイスは、すぐにレイチェルを地下に連れて行くべきだ、と言った、ティアも同意する。オーウェンは、話を聞いた後しばらく考えていたが、やがて静かに言った。


「――まずは本人に聞いてみるが、おそらくあいつはここを離れたがらないだろう。他の皆も、多分な。もしもその連中の手を借りるのであれば、ここに人を寄越してもらうのがいいだろう」


「そうだな。お袋だけ行かせるわけにはいかない。他の患者とその家族も含めれば相当な数になる。パックが分断されるのは避けたい」


 ルーファスの言い分ももっともだった。もしも万が一レイチェルや他の患者たちが人質に取られたりすれば、このパックはエアたちシェルター側の言いなりになるしかない。未知の存在を相手にそんな事態は避けなければならない。


 幸い、ティアたちは無線機を持っている。これでシェルターに連絡を取り、医者と薬を手配してもらうのが最善だろう。そうと決まり、ティアはグウェンを呼びに走り、チェイスは指定された周波数でシェルターを呼び出した。それからの展開は早く、数時間のうちにあれこれと決まっていった。


『――分かった。ティア。すぐに手配しよう。君たちのドクターと話をさせてもらえるかな。準備ができ次第すぐに向かわせるよ』


 エアが快諾し、それからグウェンとシェルター側の医師とがしばらくやり取りをして、必要な物資を揃え、明日の朝には到着する手筈てはずが整った。


 怒涛の展開に食事も忘れていたティアたちは、すっかり日も沈んだ頃、キッチンで今日二度目の食事にありついた。キッチンにはティアたち家族と、グウェン、それに健康な男たちが数人同席していた。食事をしながら、明日の段取りをオーウェンが手短に話す。シェルターからは医師らが六名と、例の黒ずくめの男たちが四名、護衛としてやってくることになっている。お互いに警戒しつつ、無駄に刺激し合わないことが重要だ。武装した男たちは建物内に入らないように要求してある。オーウェンたちも、武器を持ったものは医師らに近づかない事を約束した。


「さっき無線で話した奴、あれがお前の――兄貴、なのか」


 ルーファスがティアに話しかける。レイチェルの治療の目処めどが立って安心したのか、朝見た時よりいくぶん表情が和らいでいた。


「そう、らしい」


「まだ何の証拠もないんだろう?」


 ルーファスは半信半疑と言った様子だ。無理もない。いきなり未知の集団に出会い、彼らは最先端の設備と技術を持って暮らしている。それだけでもにわかには信じがたいのに、その中心にいる人物がティアの肉親だという。


「証拠は、ないけど……」


 そう言って言葉を探すティアにルーファスはさらに問う。


「けど、何だ」


「――ルーファスも、会えば分かる」


 そう答えてティアはグラスのワインを飲み干した。

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