第20話 侵入者

 図らずも、ティアは柵の内側に立ち入った。ドローンにも感知されているのは間違いない。もしもそのドローンを操作する何者かが存在するのなら、何らかの反応があるはずだ。ティアにできるのは、行動できるうちに脱出口がないかどうかを調べることくらいだったが、今はひとまずモナークの脚を労ってやりたい。


 起伏のある草原を歩き、緩やかな丘を登り切ると今度は急な斜面があり、一段低いところに小川が流れていた。水量は僅かで、簡単に渡り越えることができるせせらぎは夏になれば干上がってしまうのかもしれない。ティアは雪解けの恵みに感謝してモナークに水を飲ませてやった。


 間近に見て、ティアはこの草原が人の手で作られた牧草地であることを確信した。イネ科の草が整然と育っており、雑草の類はほとんどない。草食動物の飼料のための場所であるのは間違いない。今のティアとモナークには幸いと言える。

火を起こして暖を取り、干し肉を齧ってティアは日暮れと共に体を休めた。チェイスもきっと柵伝いに移動しているはずだ。


 翌日もティアとモナークは丸一日柵のそばを歩いたが出口らしきものも見当たらず、チェイスにも出会わなかった。熊に追われたとはいえ、それほど遠くまで行ってしまうとも思えない。もしやチェイスの身に何かあったのだろうか。不穏な疑問は打ち消してもなおティアの心にこびりついて離れない。


 鉄の柵に閉じ込められて、チェイスを探しに行くこともできないティアは不安を募らせた。非常用の食料が尽きればティアも終わりだ。このままずっと何も見つからなければもう一度モナークに無理をさせるしかない。ティアは迷いながらも今はただ前に進むことしかできない。新たな発見も無いまま、ティアは寝袋に体を縮めた。


 真夜中、モナークが不安げに足を踏み鳴らし、鼻息も荒くしきりに首を振る気配にティアは目を覚ました。月が細い夜で、あたりは暗闇に包まれている。ティアはそっと寝袋から抜け出しナイフを握りしめた。周囲に感じる気配は獣ではない。二本足で立ち、歩幅は一メートルほど。草を蹴散らしてこちらに走ってくる。人数は五、六人と言うところか。こちらを認識して真っ直ぐに向かってくる。ティアは目を凝らした。


 すると突然、太陽のように眩しい光が灯り、暗闇の中を探るように飛び回った後、その光はティアに真っ直ぐ向けられた。目が眩み、ティアは咄嗟に右手をかざして目を庇う。


「武器を捨てろ」


 男の声がティアに命じた。ティアに向けられた光のせいで顔は見えない。光の向こうに複数の足が見える。間違いなく彼らは武装しているだろう。抵抗しても勝ち目はない。


「抵抗しなければ傷つけない。そのナイフを捨てろ」


 同じ男が淡々と繰り返す。とても冷静な口調だ。周囲にいる男たちも整然としている。よく訓練された狩人だ、ティアはそう感じた。


「抵抗はしない。馬を怯えさせるな」


 ティアはそう言ってナイフを地面に投げた。


「他に武器はあるか」


 男に問われる。ティアは別の男に後ろ手に拘束され、地面に膝を突いた。


「弓がある」


 ティアが答え、荷物を調べた男が、弓と矢筒を掴んでティアの前に立つ男に見せた。


「赤い矢に触るな、毒矢だ」


 ティアが警告し、リーダーと思われる男が小さく頷いてから男たちに命じる。


「荷物は全て回収。何も残すな。焚き火の跡も始末しろ」


 ティアに向けられていた光が逸らされ、ようやく男たちの様子を伺うことができた。だが誰一人として顔が見えない。男か女か、そもそも人間なのか——。彼らは一人残らずマスクをしていた。まるで蝿の顔のような黒いマスクを被り、その全身も黒い服で覆われていて指一本すら露出していない。


 一人がティアを立たせ、ぐいと雑に背中を押して歩くように促す。ティアが心配してモナークを見ると、別の男が手綱を取って引いていた。ほんの少しだけほっとして息を吐き出すとティアの頭に浮かんだのはチェイスだ。無事かどうか、彼も拘束されているのか、気になるが今はその存在を知られるのは得策ではない。ティアはただ唇を固く引き結んで集団と共に歩き出した。


 男たちは全員が銃を携えている。ティアが見たことのあるショットガンや猟銃に似ているがそれよりも大きい。きっと熊の頭でも撃ち抜くことができるのだろう、ティアは漠然とそう思った。誰一人口を開くこともなく、ただ夜の闇に規則正しい足音だけを響かせて十五分ほど歩くと、そこには大きな車が二台停まっていた。打ち捨てられて崩れかけたもの以外は画像でしか見たことがない、その車が今目の前にある。


 乗り込んで初めてエンジンが掛かっていると気づくほどに静かだった。ティアは一度だけ車に乗ったことがある。子供の頃の冬祭りで、ドアも屋根もないボロボロの車体に、何年もかけて修理したエンジンを積んだ車が来ていた。とにかく臭くてうるさかったのを覚えている。この車は音も匂いもほとんど無い。音もなく走る車に全身黒ずくめの男たち。現実感のない全てにティアは灰色熊と向き合うよりも気持ちの悪い違和感を覚えた。

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