第21話 邂逅

 車に乗り込んで三、四十分ほど走っただろうか。暗い夜の草原で何の目印もなく、ティアは自分の居場所の見当が付かなかった。不意に地面の感触が変わり、車が止まる。ティアが窓の外を見るとそこは屋根の下だった。


 草原の真ん中に置かれた箱のように、道も無く、唐突に現れた巨大な建物。人工建造物に間違いはないが、柱とその上に乗った屋根、ただ広いだけのコンクリートの地面、あるのはそれだけだった。人が暮らすためのあらゆるものが一つも見当たらない。地面と屋根の間には壁さえもないのだ。柱の向こうには、こちらと同じ草原がつながっている。


 こんなところで一体何を、ティアがそう思ったとき、突然車の下の地面が揺れた。地震とも違う、大きな生き物が身震いするような奇妙な感覚に体を強ばらせると、今度は地面が沈み始める。さっきまで走ってきた緑の大地と、沈んでいく屋根が近づき、その間に見える夜空が少しずつその面積を小さくして、やがて消えた。ティアと男たちを載せた車はゆっくりと地の底へと降りていき、地鳴りのような轟音を響かせて、沈む地面はやがて最も深い場所にたどり着いた。


 男に促されて車を降りるとそこは途方もなく広い空間だった。そのあともティアは男たちと共に通路を歩いたり、エレベーターに乗せられたりして、まるでアリの巣のような複雑な構造の地下施設内を連れ回された。


 ようやくある部屋の前まで来るとティアの両手の拘束は解かれ、強く背中を押されてティアはその部屋に足を踏み入れた。振り向いて問おうとするティアの視界には、閉ざされるドアの隙間で通路の照明が細く消えていく瞬間が残された。


 ドアが閉まると同時に室内の照明が点灯する。ドアの内側にはノブすら付いていない。外の人間が望まなければティアはこの部屋から出られないのだろう。部屋の中にはベッドと小さな机と椅子があり、奥には簡素なバスルームがあった。確かめると水は問題なく出る。どうやら脱水死ドライアップは免れたが、それなりに長い時間をこの部屋で過ごすことになりそうだ、ティアはそう思った。


 部屋の中を隅々まで調べると、小さな冷蔵庫があり中にはボトルの水が数本と、小さな銀色の塊がいくつか入っていた。状況から見て食料の可能性が高い。ティアは銀色の塊を手に取った。ティアの手のひらほどの大きさの四角いそれは、銀色の包みで密封されており、小さな文字で栄養素が数十種類記載されていた。表示の通りに包みを開封する。中身はバターのような質感の茶色い塊だった。鼻を近づけると木の実のような香ばしい匂いがする。ほんの少し指先に取り舐めてみる。口溶けはまさにバターだが味は塩気と甘さの混じった不思議なものだった。美味ではないが、間違いなく食料だ。ティアはその妙に甘いバターの塊を半分ほど食べた。


 ひとまず餓えという目の前の危機を回避したティアは、あらためて今自分が置かれた状況について考える。この部屋に連れてこられたということは、彼らはすぐにティアを殺すつもりはないのだろう。水と食料を与えたことからもそれは間違いない。では一体何が目的なのだろうか。いずれにせよ今のティアには選択肢がない。彼らが動くのを待つしかない。


 水と食料の心配がないとはいえ、時間もわからない地下の密室では、精神がそう長くは持たないだろう。もしかするとこれは力を使わない緩やかな尋問なのかもしれない。ティアは、自分と現実を繋ぐ物を探した。部屋中を調べ、時計も窓もないのを確認した。ティアは浴室に行き、蛇口をほんの僅かに開けて水滴を浴槽に落とし、かかる時間を数えた。もちろん大いに誤差はあるだろうが、閉じ込められた密室で時間を見失うよりいいだろう。


 そうしてティアが軟禁状態に陥ってからおよそ三日目。おそらくまだ早朝と思われるその時、ドアの向こうに数人の気配を感じてティアは体を起こし、ドアを凝視した。カチャリと思いのほか軽い音を立ててドアが開く。


 入ってきたのは三人の人物。初めて見た男達と同じく黒ずくめにマスクを被って銃を携えている。二人が無言でドアの両脇に立ち、一人は一緒に来るようティアを促した。部屋から連れ出されたティアは真っ白な部屋に連れて来られた。


 そこには二人の人物がいたがこれもまた見たこともない異様な白い服に身を包んでいた。足の長靴から指先の手袋まで繋がった全身を覆う白いゴワゴワとしたスーツはとても着心地の悪そうなもので、頭までもすっぽりと覆い隠していた。顔の部分に窓のように透明なシールドが付いていて、その中に見える顔は無表情でティアには年齢も性別もわからなかった。それどころか生身の人間かどうかも疑わしいとさえティアは思った。


 真っ白な部屋の中で二人は小さなワゴンを押してティアに近づく。そして無感情な声でティアに服を脱ぐように言った。


「身につけているものを全て脱いでこちらのカゴに入れてください」


 余りにも予想外のことに、ティアは思わず聞き返した。


「どういうことだ、ここで裸になれと言うのか」


「はい、全て脱いでください。消毒しますので」


 話をしても相手が機械なのではないかと思うほど、その表情は読み取れない。だが声色からして二人は女性のようだった。こちらを害する意図は見えなかったので、ティアは二人の指示に従って服を脱ぐ。首に下げた鹿の角のネックレスを白ずくめの二人は気にしたが、ティアはレイチェルにもらったそのネックレスは外さなかった。


 全裸のティアは二人に促されて部屋の中央に進む。すると天井から水が滝のように噴き出してきた。ティアは驚いて身を竦めたが、しばらくするとそれがただの湯であると分かってティアは体の力を抜いた。しばらく降り注ぐ湯に打たれていると、白ずくめの二人がティアを挟むようにして左右からティアの体を洗う。


 頭からつま先まで、スポンジとブラシで隈なく洗われていく。手足などはブラシで肌が赤くなるほどに擦られた。ヒリヒリと痛む肌をティアがさすっていると、二人に促されて別の部屋へと進む。次の部屋には大きなプールのような浴槽があった。そこに入るように言われ、ティアは恐る恐るつま先で湯の様子を探る。体温よりもすこし高い温度のその湯は、白く濁っていて、鼻を刺すような匂いがする。躊躇ったものの、諦めてティアが体を沈めると、そのまま数十秒浸かるよう指示され、ようやく湯から出るとティアは自分の体に不自然な匂いがついたのが気になった。そして三つ目の部屋に進むと、ようやくティアはタオルと服を与えられた。


 真っ白な服に着替えたティアは、自分が着てきた服を返して欲しかったが、それは叶わないだろうと思い直し、黙って二人に従った。三つ目の部屋を出るとまた別の人間が二人いて、彼らに連れられてティアは再びアリの巣の中を縦横に移動した。そうして辿り着いた廊下の突き当たりにある部屋のドアが開いたとき、今度は何かとティアは少し身構えた。促されて部屋に入ると、また大男が二人ドアのそばで見張るように立っている。ただし、この二人はあの妙なマスクをかぶっておらず、顔が見えた。


 そして部屋の奥にあるデスクのすぐそばに立っている人物。後ろ姿はほっそりしていて、男か女か区別がつかない。

 ティアが部屋の中央まで足を踏み入れると、その人物はゆっくりと振り向いた。

 ティアはその人物を見つめたまま、固まったように動けなかった。微かに開いた唇が動いて何かを言おうとするが、声にならない。

 白い肌に深いみどりの瞳、漆黒の髪。その長さは顎のあたりで切り揃えられ、その人物が動くたびにサラサラと揺れている。


 そして何よりもその顔――

 その人物はティアとそっくり同じ顔をしていた。これほど鮮やかな因縁が他にあるだろうか。まるで鏡を見るような思いでティアはその人物を見る。ティアの出自の謎の答えを、その人物が持っている事を疑う余地などなかった。


「やあ、ティア。十五年ぶりだね」


 静まり返った部屋の中に、その人物の声が響く。声までもティアにそっくりで、声変わり前の少年のように澄んでいた。ティアは目を見開き息をのむ。


「——どういうことだ」


 それだけ言うのが精一杯だった。耳に鼓動が響いてうるさい。急に視界が狭くなるような苦しさを覚えてティアは大きく息を吸い込んだ。


「君は覚えてないのかな? この世でたった二人の兄妹なのに」


 薄く微笑んだ唇から零れた言葉は、ティアの想像の範疇はんちゅうを逸脱してはいなかったが、それでも動揺するのに十分だった。


「あなたは私を知っているのか」


 ティアは絞り出すようにそう尋ねる。


「もちろん、よく知っているよ。君は僕の大切な妹だからね」


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