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 虫の部屋にこもり、冬でもそれなりに動いている姿をぼんやりと眺めた。部屋は適温にしてあるので、居間にいるよりもずっと暖かい。メキシカンレッドランプは今日もおおきなお腹を揺らして、投げた生き餌を食べている。

 カブトムシの幼虫は温度にかかわらず眠っていた。あるいは起きているけど、土の底でじっと夏を待っていた。どちらにしても、いい未来を夢見ていて欲しくなった。

 掘り起こしてまで様子を見はしないけれど、わたしはスケッチブックを開いた。底でねむる姿を想像で描き出し、鉛筆できっちりと影をつけてから、あらためて自分の絵をながめてみた。

 ちゃんと描けている、と思う。別のスケッチブックを引っ張り出し、以前に描いていた虫たちを確認してみるが、やはり変わりはない。

 けれども、変わりがないと感じるのは、わたしだけなのかもしれない。

「わからない……」

 思わず漏らした独り言に反応して、レッドランプががさりと音を立てる。なんでもないと声をかけるが、虫が懐くことはほぼないので、わたしの言葉にはわたしを落ち着かせる作用しかない。

 なにかと卑屈な気分だ。首を振りつつ、ため息を吐いた。スケッチブックを閉じると、いよいよ一人きりの心地になった。

 虫部屋を出て、あれから何度も見返している配信をパソコンで再生した。昨日公開されたばかりだ。合計の再生回数が多いのか少ないのかはわからないが、昨日見た時よりも伸びている。コメント欄にはわたしと暮野さんに関するものも多い。

 それで、暮野さんにはファンが多いのだとはじめて知った。彼がシナリオを書いた成人向けアダルトゲームは多くの男性に支持されていたし、ラジオドラマやスマホアプリのゲームは女性のファンも多くいた。

 彼をわたしのものだけにしたい、なんて、土台無理な話だった。子供っぽい思い上がりだ。わたしは彼をほとんど何も知らないままなのだと、ファンのひとたちのほうが彼をよく知っているのだと、実感させられた。

『せっかくゲストのお二人に来てもらってるのでー、企画なんかを準備して来ました! 同じお題で今から絵を描く公開ドローイングをやってみたいと思うんですけど、せっかくなのでkurenoさんにも公開ライティングをしてもらいたいなー!』

 山吹さんの明るい声に合わせたよう、暮野さんが笑う。

『できるか分かんないですけど、せっかくいるんだからやらせてもらいます。パソコン持って来て良いですか?』

『どうぞどうぞ! じゃあ透子ちゃんはこっちに……もうキャンバスも用意してあるんだ。……あっ、ちなみに競う企画じゃないし、そもそも私と透子ちゃんは描いてるテーマやモチーフの方向性も全然違うから、気負わないでいつも通りに描いてね!』

『うん、ありがとう』

 自分を客観視すると、驚くぐらい感情が湧かない。愛想が良くなくて、口数も少なく、視線があまり定まっておらずに、全体の雰囲気がとてもうすい。前々から自分に対してはそのくらいの印象だ。

 そしてこの配信では、つい、左目に目がいく。

『描けるまでの時間を競うわけでもないんで、まったりお話ししながら描きましょー。kurenoさんは書きながら話せます?』

『あ、ごめん無理かも。無理かもというか、多分なんも聞こえなくなるから、用事ができたら背中でも叩いてもらえればありがたいな』

『わーすごい、憑依してるやつですか? 芸術家っぽい』

『そんな大層なやつではないんだけど……』

 話している二人を尻目にするわたしが、左目付近を手の甲で何度か擦っている。この場面は覚えてもいた、じくじく痛んで我慢しきれなくなった時だ。

 擦り終わって腕を下ろすと、ほんの一瞬だけ、左目が赤く光る。まばたきのあとは特に目立たず、変わりのない色合いの目玉が嵌め込まれている。表情に変化もない。わたしは感情があまり顔に出ないのだとあらためて知る。

 ドローイングが始まり、主に山吹さんが色々と話し続ける。暮野さんがすっかり黙り込んだので、わたしが主に受け答えをした。取り止めもなく、絵を描いていた学生時代の話、飼っている虫の話、賞をもらった絵の話と、視聴者が退屈しないように編集された絶妙なタイミングで話題は続いていく。

 この時のわたしは、暮野さんを描きそうになっては別の箇所を塗り、削り、技術で無理矢理補填して、お題に沿った無難な風景画を完成させた。

 山吹さんはキャラクター画がメインの作風なので、オリジナルのキャラクターにお題を絡めて描いていた。水彩着色の合う、穏やかで綺麗な一枚絵だった。

『描けた! 透子ちゃんはどう?』

『うん、ここに赤色足したら終わり』

『赤色の入れ方が相変わらず綺麗……、あっ、kurenoさんは? あの感じじゃあまだ書いてるかなあ』

『そうみたいだね』

 画面から視線を外してコメント欄を見る。背中を丸めて何かを打ち込み続ける暮野さんに対してのコメントが多い。鬼気迫る雰囲気が感じられるからだろう。わたしも、このときは彼の背中を何度も見た。場面の中心は、明らかに暮野さんになっていた。

 だから山吹さんが何かを一瞬言い淀んだことには、会話相手のわたしも含めて、誰も気づいていなかった。

『……あ、ごめん、なんだ?』

 ぱっと顔を上げた暮野さんが、わたしたちを振り返り見た。同時にカメラを振り返る形になり、長い前髪に隠れ気味の顔が映った。

『執筆具合はどうですかー?』

『あー、もう仕上がる、かな。誤字だけ確認させて』

『誤字は誤字で撮れ高になりますよ!』

 山吹さんの軽口に暮野さんは笑った。わたしはカメラから顔を背ける体勢になっており、表情はわからないけれど相変わらず目を擦っていた。

 最後に、完成品が並んで映し出された。書き終わった暮野さんの話は動画内とキャプションにURLが貼られ、締めのあいさつが無難に入る。ここで配信は終了した。

 ふう、とため息が漏れる。配信サイトのタブを消し、パソコンをスリープモードにしてから、スマホのメッセージアプリを起動する。そこにはわたしが描いた絵をほとんど複製できている山吹さんの絵が貼られている。返事はしていない。彼女からの続投も、一週間経ったが一応ない。

 暮野さんとも配信録画以来、なんのやりとりもしていない。忙しいと知っているけれど、わたし自身が何を言えば良いのかわからないせいでもある。

 メッセージアプリを閉じて、今度はわたしの絵に関する感想を検索する。配信に触れるコメントがいくつか見つかり、おおむね好評で、絵に関した否定意見は見当たらない。無愛想すぎると揶揄する投稿はあるけどどうでもいい。

 最近作風が変わった気がする、という意見は見掛けた。一瞬どきりとはするが、変わらない色使いが好きだしこれから色々描いて欲しいと、肯定的に締めてあり胸を撫で下ろした。

 SNSにも配信の絵だと説明を入れてから投稿してみた。こちらもコメントを確認してみたが、目立った批判は特になく、中には今までで一番好きだと言ってくれた人もいた。

 ほっとした。ほっとしたけれど、わたしは毎日反応をみて、描けているのか確認してしまっている。

 そのくらい、山吹さんからのメッセージがつよく残っているのだ。どうすれば払拭できるのか、本当はわかっているのだけれど、決断にはためらった。

 すなわち別れとなるからだ。山吹さん以外が納得してくれているのなら、現状維持でも構わないと、悩みながらも決めかけている。暮野さんを選んだままでいたいと思っている。


 しかし作品とはどうしても嘘をつかない存在だ。

 わたしという人間が同じように生きていたのだから、誤魔化しはそのまま跳ね返る。跳ね返った。絵ではなく、わたし自身に。

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