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 個展の初日は晴れていて、暑かった。駅からは遠い展示スペースだったけど、お盆休みに被せての開催だからか、意外に人がたくさん来てくれた。そう万人受けする作風ではないと思っているので予想外だったけれど、賑わってくれて嬉しくなった。

 初日はわたしもスペースにいた。画集にサインを書いたり、ファンの方に差し入れをもらったりした。差し入れの中に赤絵の具のセットがあった。赤が切れると余計に苛立つので、とてもよろこんだ。

 展示の原画はちらほら売れた。空いた場所にはレプリカか違う原画を飾っていて、その一連の流れを行うスタッフさんを見ていると肩を叩かれた。

「藤宮さん、いい時間だから食事してきて」

 藪中さんだった。展示の企画を立ててくれた礼を述べると、豪快に笑われた。一応社長のはずだけれど見た目の威圧感に反してびっくりするくらい気さくな人だ。

「一週間で原画全部捌けるかもしれねえなあ」

 彼は腕組みをしながら、ほどほどに混んでいる回廊を視線で一周する。

「なら、なにか描いてきますけど」

「本当に? でも、目は大丈夫なのか?」

「大丈夫です。公開ドローイングとか、メイキング系も出来ますよ」

「藤宮さんも大概化けもんだなあ」

 藪中さんの目が華やかな一角に向く。開催祝いに送られた花や、同業者のメッセージボードが飾ってある華やかなスペースだ。

 彼の目が映す一点がどこであるのか、聞くひつようはなかった。無言で頭を下げる。食事に行ってくると添え、片手を上げていってらっしゃいと笑った藪中さんに背を向けて手提げを持った。

 メッセージボードの近くを通りながら、無意識に横目で確認してしまった。

 山吹梢が描いた鮮やかな人物画のモデルはわたしだ。とても美しく、とても酷いと思った。


 山吹梢とはじめて顔を合わせたのは二年前だ。

 とある書籍のすべての背景画を描いたのがわたしで、すべての人物画を描いたのが山吹さんだった。

 無事に上梓されたあと、関わったスタッフで集まり、打ち上げが行われた。わたしと山吹さんも呼ばれていて、彼女は会がはじまるとすぐに隣にやってきた。にこにこと笑う顔はどこかあどけなく、手には烏龍茶のグラスを持っていた。まだ成人したばかりらしかった。

「あのっ、私ずっと、藤宮さんの絵が大好きで!」

 山吹さんは話しながら、がさがさと鞄を漁り始めた。取り出されたのはわたしの画集だった。

「サインください! あとあの、私まだ絵のお仕事はじめたばかりで、良かったら、えっと、色々教えてほしくて……知り合いもあんまりいないから、また、これからもお話しさせてもらいたいなって」

 画集をこちらに差し出す山吹さんは恥ずかしそうだった。

 彼女の描いた人物画は躍動していて、生身がうごめく迫力があったから、純粋に面白い子だとその時は思った。

 だからサインを書き、連絡先を交換した。山吹さんは子供みたいに喜んで、堰を切ったようにいろんな絵の話をした。好きな絵画や、好きな装丁や、好きな着色について話す横顔はずっと無邪気だった。本当に絵が好きな子だという印象だけは、今でも変わりはない。

 何度か会って、一度機会があり、一緒に絵を描いた。ビル群に群れるバッタを油彩で描くわたしの隣で、山吹さんはずっとわたしを描いていた。

「ああすごい、透子ちゃんの絵だけは本当に、どうやって描いてるのかわからないの私。構図もわからないし、その配色で描いた虫がどうして不気味に見えないのかもわからない。バランスの取り方も独学よね? 本当に不思議だな……ワインレッドの置き方が特にすごい。絵を描いてる透子ちゃんを描いてもわかるわけないんだけど、でもひとつだけわかってきた。私は透子ちゃんに本当に憧れてるんだって、こんなにすごい人と仲良くなれて夢みたいだなって、わかってきたよ」

 けっこう、意味不明だった。山吹さんが恐ろしく模写が得意だとはあとで知って、画風のコピー精度の高さが不気味だと感じた。

 でも一番不気味だったのは、同じような精度でシナリオライターもやっていることだった。

 山吹さんはいつだったか、明るく笑いながらわたしに話した。

「私はオリジナリティが本当になくって、でも上手な人の真似は出来たから、たくさん絵を見てたくさん本を読んで、とにかく色々覚えたの。それで、色んなもののいいところを、ちょっとずつ組み合わせて絵とか話を作ってるんだ。パズルみたいなものかな……。目が疲れたときにちょっと横になるくらいで、私元々あんまり寝ないから、色んな作品を見る時間もパズルを組む時間もたくさんあるの、才能あるわけじゃないから、そのくらい努力しなきゃって思って」

 話を聞き終えた頃にはかなり吐きそうだった。なんだか胃の下が痛くて、目眩も感じた。山吹さんはかわいらしくにこにこして、わたしを本気で褒める言葉を続けたけれど、笑顔を向けていられたかどうかもあまり覚えていなかった。

 化物じみた女ではなく、間違いなく化物だった。山吹梢はわたしどころかすべてを踏み越え屍るいるい進むだろうと確信した。

 実際にそうなっている。今は配信を始めて、相変わらずわたしのことを褒め続けているし、暮野さんにも無邪気な矛を向けている。

 そして個展の三日目に、矛は暮野さんに近付いてしまった。


 透子さん。呼び掛けられて少しだけ動揺した。暮野さんが赤い芋虫つきでやってきたからだ。彼の肩にしがみつく芋虫はまたちょっと太っているようだった。

「せっかくだから、観に来たんだ。こいつにもなんでかせっつかれて」

 こいつと言いながら、暮野さんは芋虫を指す。

「そういや、こいつって成長したら何になるんだ? なんの幼体?」

「さあ……たまたまうまれた虫なので。来てくれてありがとうございます、ゆっくり見て回ってください」

 話を切り、さっと頭を下げて行かせようとした。あまり悠長に話している暇がなかったからだ。でも遅かった。

「透子ちゃん! お昼ごはん買ってきたよ!」

 サンドイッチの袋をぶら下げた山吹さんが帰ってきた。彼女は暮野さんを見て、わたしを見て、友達と聞くか恋人と聞くか迷ったような顔をした。

 暮野さんは顔を知っていた。山吹さんを見て、目を見開いた。声をかけるかどうかは決めかねたらしく、横目でちらりとわたしを見た。

 わたしはどう言えばふたりを穏便に追い払えるか必死に考えていた。

「えっと、その肩の芋虫って、透子ちゃんのグッズとかですか?」

 やがて山吹さんがそう問い掛けた。芋虫が赤い体を揺らしながら挨拶する声を、わたしは無に近い感情で喧騒と共に聞いていた。

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