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「なあ、透子さんは、俺に少しは興味があると思う?」

 眠る手前に彼の声が聞こえてびっくりしたが、わたしは当然自宅にいたし、そばに暮野さんはいなかった。

 目だ。目というか、芋虫だ。暮野さんは物憂げに、真っ赤な芋虫への相談事を話し続けた。わたしに関する話だった。

 居酒屋でわたしが隣に座って、横顔が綺麗だと思った。しずかな話し方と伸びた背筋も、オクラ納豆をぱくぱく食べる姿も良かった。画家と聞いてからは驚きつつ納得して、更に興味を持った。虫が好きだと言われて、かわいらしくおもった。わたしの絵を何枚も検索した。密かに画集も購入したし、ネット記事をいくつも読んだ。部屋に来るから、画集は慌てて浴室に隠した。

 芋虫の返答は、あまり聞こえなかった。むしろ返答をせず、黙って聞いているだけなのかもしれない。どちらでもかまわない。わたしに関係はない、ないけれど、見ることをやめなかった。ほとんどまどろみながら、暮野さんが話す藤宮透子の印象を、子守唄のように聞き続けた。

「透子さんはあんまり読めないというかさ、会ってはくれるし雑談で笑ってくれたりもするけど、あくまでも業務用、って雰囲気だから。どうして何回も会ってくれるのかもわからない……ああでも、ゲームのシナリオライターだって言った時の本当に驚いた顔が、意外だったしかわいかったな……他のゲームも気にしてくれたり、しないかな……なあ……、いや、違うよ…………うん…………」

 声はゆっくりフェードアウトした。うっすら目を開けるがなにも見えず、薄暗い寝室が広がっているだけだった。

 彼の語るわたしはわたしではないようで、でもそれは暮野さんから見たわたしではあって、二体のわたしはその実さほど剥離してはいない、のだろうか。

 わたしはわたしを客観するけど、それなりに整えた外側ではなく剥いたあとの内側を、暮野さんは知りたがっているし見つめようとしている。

 なぜだか、とても不快だ。体を丸めて目を閉じた。わたしに他人はひつようだけど、特別な他人はいらなかった。


 暮野さんが知り合いだと話すかどうか迷い、結局教えた。教えなくてもコンタクトを取られればいずれ知ると思ったからだ。

 食後のバナナパフェを頬張っていた山吹さんは、喉の奥で呻きながら目を見開いた。

「すごい! やっぱり才能のある人達って、知り合いなんだね!」

 パフェを飲んでから開口一番そう言った。明朗な明るい声は聞き取りやすく、配信の成功を察するには充分だった。

 山吹さんは愛嬌がある。どこか天然で、顔立ち自体は上品だ。白いワンピースがよく似合うし背も高くて見映えがいい。流暢に話題を回すし、配信を聞いたことはないが、飽きずに聞き続けられそうだ。

 配信などの、直接話す媒体に向いているとはわかる。わかるけれど、腹の底には澱がゆっくり降り積もる。

 影の雰囲気がある佇まいとは裏腹に、話せば柔らかで気遣いも寄越す暮野さんが、山吹梢と並んで画面に映る様子をわたしは、心底見たくないと思ってしまった。

「暮野さんはわからないけど、わたしは個展のあともばたつくから、いい返事は難しいよ」

 遠回しに断ると、山吹さんは残念そうにしつつ一応頷いた。

 チャンネルのURLが載った名刺は受け取り、店の外で別れたが、駅に向かって歩く途中追いかけて来た。

「透子ちゃん、あのね私、絶対にはじめのゲストは透子ちゃんがいいの。だからいつになってもいいし、お仕事が落ち着いた時でもなんでも、一緒に配信してほしい。年単位で難しくても、透子ちゃんの手が空くのずっと待ってるから、よろしくお願いします」

 ぎゅっと手を握りながら説得を重ねられた。真剣な目が、真剣過ぎて鋭かった。なぜそこまでわたしに固執するのか不明だった。それから、はっとした。

 考えておくね、ありがとう、落ち着いたら連絡するから、そう返して宥めたが、内心は違うことに気付いてそぞろだった。

 一番はじめのゲストになるわたしの都合がつかない限り、山吹梢が暮野さんに会う機会は先伸ばしになるのかと、手を振り見送る彼女を背にしながら考えていた。


 個展の二日前に、暮野さんと映画の約束をした。待ち合わせ場所は決めていたけど、当日に雨が降ったからか、彼は朝方にメッセージを送ってきた。映画をやめて近場に変えるか、日にちをずらすかの打診だった。後者は個展の関係で調整が難しかったけど、近場もとくべつ行きたい施設がなかった。

 まどろっこしくなり、家の住所を教えた。はじめは抵抗されたけれど、来るくらい別に構わないと説き伏せて呼びつけた。

 暮野さんは昼前にやってきた。かなりひどい降り方で、玄関先で畳んだ傘は雨を蛇口のように吐いていた。彼自体も、濡れていた。

「こんなに降るなんて思わなかった、台風でも来てたっけ」

「さあ……テレビを見ないので、知りません」

「俺も、見ないんだよね……」

 なんとなく無言になった。眼帯を弄りつつ、とりあえず上がってくださいと、中へ誘った。暮野さんはためらった。何故かと思えば、他に家族がいると勘違いしたかららしかった。

「いませんよ。わたしは五年ほど独り暮らしです」

「持ち家ってわけじゃ、ないのか」

「いえ、五年ほど前にみんな死んだだけです」

 それからずっと独り暮らしです。さあ上がってください。

 暮野さんは無言で靴を脱ぎ、わたしの後ろをついてきた。居間に通してタオルを渡すと静かに礼を述べたけれど、困惑気味だとはわかった。

 ソファーに座らせた。左隣に腰掛け、五年前、と呟いた。暮野さんの目が、長い前髪の隙間からわたしを見た。

 五年前。わたしは家族旅行についていかなかった。大学がそれなりに忙しく、コンテストや学内展示の絵画作成に加え、企業からの依頼をもらって切羽詰まりかけていた。家族がいない方がありがたかった。母は画家やデザイナーには消極的で、父はその頃からある虫部屋をかなり嫌がっていた。

 弟は、わたしにも虫にも、よくなついていた。わたしと並んで絵を描いているような高校生だった。絵に関わる職業がしたいかどうなはわからなかったが、延々とデッサンを続ける横顔は真剣だった。

 三人は旅行に出掛けた。今日のような、ひどい雨が降っていた。カーブを曲がり損ねたワゴン車と正面衝突したらしかった。わたしはパソコンに向かいながら絵を描いていて、電話を五回ほど無視した。暮れた部屋がじっとり暗くなってから、やっと通知を見た。病院や警察だった。雨は止んでいたけど、すっかり暗い部屋の中はしずか過ぎてうるさかった。

「それからはずっと独り暮らしです。五年、なんなら六年、はじめは色々と困りましたが、今は馴れました。だから大丈夫ですよ、暮野さん」

 雨の音が途切れずに聞こえる。暮野さんはなにかを言おうとして、やめて、まだ湿っている髪を掻き、視線を落とした。

 それから手を握られた。わたしは露骨に驚いた。

「藤宮……もしかして藤宮純太ふじみやじゅんた?」

 と、わたしの弟を呼んだからだった。

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