大嫌いだから

たぴ岡

「もう、こんなのやめない?」


 私は小さな声で彼女に訴えかける。たぶん震えていたし、威厳なんて全くなかったし、彼女の心に届くような言い方ではなかったと思う。だから彼女はその整った顔をこんなに不機嫌そうに歪めているのだろうと、そう思う。


「アンタ何言ってんの、決定権はこっちにあるんだよ。それはわかってるよね?」


 一切こちらを見ずに、彼女はカラフルに彩られた長い爪を鳴らしながらスマホをいじる。この動きをするときはいつだって、私にあの動画を見せるとき。


「これ、いろんな人たちに送り付けるけど、それでもいいの」


 小さな画面の中で動く私は、中学時代の制服姿でおじさんと腕を組んで歩いている。たまに上目遣いで見上げては頭を撫でられる私、媚びるように身を寄せては何かを欲しがる私。そんなものを第三者の目線で見せられるのは苦痛だった。

 そのままふたりはどこか建物へと入っていく。直後すっと上げられたカメラに映るのはホテルの看板。


「アンタそんな真面目そうなかわいい顔しといてさ、だいぶえぐいことするんだねぇ。中学生のフリしてこんなおじさんとよろしくやってんでしょ? アタシだったら考えらんないけど」

 彼女は、気持ち悪い、とでも言うようにコップに刺さったストローを思い切り噛む。


「高校では成績優秀、大学は推薦でいくって聞いたよ。そんなアンタの裏にこんなことが隠れてるって知ったら、みんなどんな顔するかな。先生推薦取り下げるんじゃないかな。親御さんは……がっかりするかな、絶望するかな?」


 楽しそうにアイスコーヒーのストローを回す彼女は、私の苦しみなんて知らないのだ。

 幼い頃に離婚した両親に挟まれ、貞操観念なんてものはとうの昔に捨てた母親に連れられ、毎晩別の知らない男が母親の寝室に入っていくのを見ていた私の苦悩なんて、考えたところで普通の人間には理解などできないのだ。

 あんな母親に育てられたからこそ、今の私がある。男という生き物全てイコール金、と結びつけるようになった。大人しく自分の身体を差し出せば、それなりの金が貰えるのだ。少し身体を張ればその分多く貰えるし。

 こんな楽な生活はない。


「絶対、誰にも言わないで、ください……」

「そうだよね、アンタにはその答えしかないんだよ。ほら、出しな?」


 私は俯いたまま動かずにいた。

 彼女が何を出せと言っているのか、わかっている。出さなければきっと高校に例の動画を送るのだろうし、同じクラスの子たちや近所の人たちにバラされる可能性だってある。

 だけど、ここで出したらまた繰り返すことになるともわかっている。

 この前渡したのが二週間前。初めは二ヶ月に一回だったのが、だんだん頻繁になっていっている。この女が毎週強請ってくるようになったら、私は。


「何黙ってんの。社会的にアンタを殺すよって言ってんだよ、居場所全部潰すよって言ってんだよ。早く金出しな?」

「――わかった」

 私にはひとつ、考えがあった。

「だけどさ……一回、散歩でもしない?」


 静かなレストランの中で会話していた頃には気付かなかったが、外はだいぶ暗くなっていた。

 どうせどんなに帰りが遅くとも母親は私の心配なんてしない。元々そんなに人間ではなかったし、今はもう心配なんてできるような状態にないから。

 クズから生まれた私もクズ。あのときと同じように動けばいい。だから覚悟はもうできている。大丈夫。


「ね、散歩なんて――」

 その言葉を遮って、私は、こいつの唇を奪った。無理やり舌を押し込んで、毎晩男にするのと同じようにしてやる。

 どっちだって変わらない。だって、男と同じくらいこの女のことも大嫌いだから。


「なっ、何すんだよ!」


 慌てて手の甲で口を拭う女を見ていると、虫唾が走る。反応でわかってしまった。こんなに男を取っかえ引っ変えしてそうだというのに、こんな濃厚なフレンチキスなんてしたことないんだろう。こいつの初めてを、私が奪ったんだろうな。

 あぁ、本当に嫌いだ。こんな女、早く消えてしまえばいい――。



 気付けば私は、夜闇の中、空を見上げていた。こんなにも星が綺麗だったなんて、知らなかった。

 けれどきっとそれは違う。私が汚いから、汚れきってしまっているから、余計美しく映るのだろうと、そう思う。


 ゆっくり息を吐いて、立ち上がる。土で汚れた手を見て、それから傍に落ちているスコップを見つけた。何となく不自然に盛り上がる土と、飛び散った赤。

 首を回して、骨の音を聞く。私はまだ生きている。まだ許されている。星にも神にも、願ったところで叶わないものを、自力で掴む。

 私はまだ、――。

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大嫌いだから たぴ岡 @milk_tea_oka

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