第3話 パスワードを発声してください
やたらと広いリビングの窓を全部閉め、テンがいそいそと用意するテーブルについた。きらびやかに盛り付けられたサラダ、ローストチキン、ローストポテト、ガーリックバターを塗って焼いたガーリックトースト、赤ワインが並んでいる。
「私、未成年なんだけど」
「あ、これはおれのぶん」
「えっ。テンも食べるの?」
「えっ。うん」
「えっ」
「えっ」
私たちはふたりしてお互いの顔をぽかんと見つめた。
「なに。なんかへん?」
「へんっていうか……テン、食事できる機能があるってこと?」
「うーんと。あるよ? 博士が『そりゃ食えたほうがいいでしょう』って」
「えええ……」
その機能、本当に必要か?
それにしても、テンみたいなアンドロイド、はじめて見る。
そもそも人型ロボットって、普通はデフォルメしたキャラクターにしちゃうのに。あんまり人間に近づけすぎると、違和感が生まれて不気味さに変わるから。でも、もっと頑張って人間に近づけると、不気味さが抜けて本物みたいになる。これがいわゆる「不気味の谷」。
テンは不気味の谷を抜けている。
なにもかもがナチュラルで、普通に人間に見える。
「ん。どうしたの?」
テーブルの向かい側に座ったテンの手を握り、私は「すごい」とつぶやいた。
「人間みたいに柔らかいし……温かい……」
「シリコンと電熱のおかげだね」
テンはけろっと言った。
「あんたの博士って、本当にすごかったんだね」
「ウニ、よくわかってるねえ。頭いいねえ」
うれしそうににこにこ笑うテン。よっぽど博士のことが好きみたいだ。
テンはぱちんと両手を合わせて私を見つめた。
「じゃあ、いただきましょうか」
「うん、いただきます」
おいしそうな食卓に、おいしそうな香り。お腹はぺこぺこ。
よろこびいさんで一口食べて、うえっと吐き出しそうになった。
「テン!」
「はい!」
「まずいんだけど!」
「え、そうなの?」
テンはあわあわしながら、台所に走っていく。
「おれ、味蕾がなくてさ。どれが足りない? やっぱり、塩? ケチャップ? 豆板醤?」
「いや……ていうか、これ、なに?」
見た目は完璧なチキン。だけど、段ボールを煮詰めたみたいな味がする。
「食用3Dプリンターの粉食材を、適当にガーって混ぜてガーって焼いたやつ」
「……うそでしょ。ならこの香りはなに?」
「あ、おれ、ホログラムに合わせて香りを再現する機能がついてて……」
「まじか」
この美味しそうな見た目も、香りも、全部ホログラムの補正がかかっているらしい。
なんてこったい。
「ていうか、食用3Dプリンターがあるなら、料理する必要なくない? なんでテンが手作りしてんの?」
プリントアウトしたほうが、まだおいしいものができる気がするんだけど。
テンは口をすぼめて私をじいっとにらんだ。
なんだよ。その、お母さんに正論言われてだまっちゃう子どもみたいな顔は。
「でも、食材であることはまちがいないから、栄養補給のために食べといたら?」
「本当に栄養あるの、これ?」
「えーと」
目をきょろつかせるテン。
ないのかよ。
「あ、サプリメントもあるよ。博士がよく飲んでたやつ。賞味期限も過ぎてないと思う」
私はため息をついた。
まあ、仕方ないか。安全なだけラッキーと思おう。
ケチャップをかけると、段ボール味の食事はちっとはましになった。鼻をつまんで飲み込んで、一日分の栄養素が入っているというサプリメントももらって飲んだ。
テンはにこにこしながら、私の向かいでおいしそうに食用インクジェットを食べている。
はじめて、テンが人間じゃないことがしっくり理解できた。
驚くほど納得。
「テンって、人助けするのが基本設定なんだよね?」
「うん。ささやかな範囲でね」
「街の人たちが殺人AIに連行されてるあいだ、だまって見てたのは『ささやか』じゃなかったから?」
「うん。おれが介入したことで、おれが破壊される可能性が十五パーセント以上ある場合は、手を出さないように命令されてる」
ふーん。
たしかにここまで来る途中、破壊された人型ロボットや四足歩行ロボットをいくつも見かけた。あれは抵抗した人間が壊したもんだと思っていたけれど……ハッキングを免れて、人間を守ろうとして攻撃されたやつも、もしかしたらいたのかもしれない。
「命令したのは、博士?」
「うん。博士はおれの所有者だからね」
「でも博士って、死んじゃったんでしょ」
「そうだね。五年前に」
どんなに人間みたいに見えても、やっぱりテンはAIだ。インストールされた人格の範疇のもと、ささやかな行動を起こすことはあるだろうけど、所有者の命令に背くような自発的な行動はしない。
おそらく、食事を手作りするのは、テンの人格の範疇の行動で、街の人々を救おうとすることは命令違反。だからしない……ってとこだろう。
「テンの所有権を持った人が死んじゃった場合はどうなるの?」
「とくに設定はされてないなあ。おれの所有者はまだ博士だよ」
「もう死んでるのに?」
「そういうことになるねえ」
テンは当たり前みたいに言うけれど、死んだ人間のものだなんて、どう考えてもへんだ。普通は財産分与とか、するじゃん。
「まあいいや。テンが他人の命令に従うためには、どうすればいい?」
「パスワードがあれば、設定は変更可能だよ」
「じゃあ、パスワード教えてくれる?」
「パスワードを教えてって命令すれば、教えるよ」
「パスワードを教えて、テン!」
「おれに命令したいなら、パスワードがいるよ」
「だから、そのパスワードが知りたいんだってば」
「おっけー、じゃあ先にパスワードを発声してください」
「だから、パスワードを知らないんだってば!」
「なら、命令には従えません」
にこにこしながら、味のわからないワインをかたむけて、満足そうに微笑むテン。
私は頭を抱えて、テンをにらんだ。
「ねえ、テン。私、すごくこまってるの」
「うん。たいへんそうだね。おれにできることがあれば言ってね」
「そのことなんだけど……私と一緒に、展望台まで行ってくれない?」
テンが首をかしげる。
私はお願いするように手を合わせた。
「なにかあったとき、いつも展望台に行くの、うちの家族。御手付峠の展望台。お父さんか、お母さんか、お兄ちゃんか……わからないけど、だれかいるかもしれない。どうしても、行きたいの」
「なら展望台まで行ったらいいよ」
「そうしたいけど、私ひとりじゃとてもむり。展望台はまだここから何十キロも離れてるんだけど、地図アプリが使えないと道に迷うし、電車もバスも止まってるし……」
テンはだまって私を見ていた。
なにか言いたげなのに、言わないでおくような顔。
こわごわと、テンを見上げる。
「……なんで、だまってるの」
「……うん」
テンは少し顔をゆるめて、のんきに答えた。
「計算してた。ここを出て、ウニと一緒に御手付峠の展望台まで行ったらどうなるか」
私はごくりとつばを飲んだ。
「……どう、なった」
「途中で、ハッキングされたAIに見つかる可能性が高いね。ウニは連行されて、おれが壊される可能性も、十五パーセントを余裕で超える。つまり、『ささやか』の範囲を超えてるってこと」
「……だろうね」
それでも、あきらめきれない。
「テン、おねがいだよ。私、どうしても行きたいの。行って、確認したい」
「うん、そうだよね。ウニの気持ち、わかるよ」
「ほんと?」
「うん。おれには感情と共感性も組み込まれてるからね」
「なら、手伝って!」
「それはできない」
盛り上がってきた希望と期待が、一気に吹き飛ばされた。
ぽかんと、開いた口がふさがらない。
「なんで!」
「ささやかな範囲を超える手助けはできないよ。応援はしてるけど」
私はまゆをひそめた。
「じゃあ……あんたはそこに座って、がんばれーって、言ってるだけ?」
「うん、そういうことになるね」
信じられない。
こいつ、まじで、ただの機械だ。
「でも、テンに手伝ってもらいたいの。どうしても!」
「おれを連れて行きたいなら、博士の命令が必要だ」
「でも……博士は、死んじゃってるんでしょ」
「そうだよ」
「でも、だったら……」
「ウニは『でも』が多いなあ」
テンはからかうように笑った。
「ウニがおれの設定を変えれば、命令できるよ。簡単だろ」
「じゃあ……パスワードを、教えてくれる?」
テンはにっこり笑った。
「パスワードを発声してください。または、秘密の質問を参照しますか?」
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