第2話 映像生成システム+アンドロイド
ジャズがきこえる。
ゆったりとしたピアノと、ドラムの音。ときどき、ラッパ。私は吹奏楽部じゃないから、トランペットなのか、トロンボーンなのか、はたまたクラリネットなのか、いまいちよくわかんないけど。
うすぼんやりとした意識の中で、だれかが話している声がする。
少しきつい、女の人の声。
「……たち、あきらめたほうがいいのかもしれないね」
少しまがあいて、男の人の声が答える。
「そうかなあ。おれは大丈夫だと思うけど」
「あんたって本当に、馬鹿ね」
目を開け、首を動かして会話しているだれかを見る。ひとりは、さっきドアを開けた男の人。こちらに背を向けて話している。もうひとりは……知らない女の人だ。私のことが見える位置にいるのに、ちっとも私に気がつかない。
「ひどいなあ。おれだっていろいろ考えてるのに」
「それはインストールされた人格が考えてるだけでしょう。あんたじゃない」
「なら、博士が考えてることだって、神さまがインストールした人格が考えてるだけかも」
「ありえるわね。つまり私の考えに意義などない」
「そこは、否定してよ。博士」
笑いながらため息をつく男の人は、ちらりとこちらを向いて、私に気づいた。そのとたん、女の人の姿が、ふっと消えた。
あ。
今の、ホログラムだ。
「起きた? ごめんごめん、いきなり首ちょんぱは刺激が強かったね!」
私は天蓋付きのベッドに寝かせられていた。ばかでっかい窓の景色から察するに、ここは二階。男の人が両手をぱちんと合わせてへらへら謝るのを横目に、なんとか起き出す。
追い剥ぎを働いて手に入れた赤いコートはきちんと壁にかけられていた。制服のプリーツスカートは見るも無惨にしわくちゃで、すりむいたひざの傷には絆創膏が貼られている。
私のスマホはどこだろう。すぐにベッドわきの棚に見つけて手を伸ばし、働かない頭で画面を眺める。時間はそんなに経っていない。設定画面をスライドして、機内モードを解除――。
「それはやめといたほうがいい」
飛行機のマークをタップしようとした瞬間、ひょいとスマホを取り上げられて、さっと顔から血の気がひいた。
私、いま、なにをしようとした?
無意識に、ネット接続しようとしてた?
男の人はにこにこしながら「日々の癖っておそろしいよねー」と言い、私のスマホの電源を落として自分の胸ポケットにするりとしまい込んだ。
「でも、ちらりと見たスマホ画面が運転手の命を奪うこともあるから、気をつけようね」
「ごめん、ありがとう……」
「うんうん。たぶん、知恵の木の実を食べたアダムとイブも、軽い気持ちだったんだよね」
男の人はとなりに座って、にこにこと私を見下ろしていた。
……この人は、AIだ。アンドロイド。私が命からがら逃げてきた人工知能。
なのに、不思議とこわくない。人間とまったく同じ姿形をして、くだけた言葉を話して、軽い調子で笑っているからだろうか。
「あんたが、ここまで運んでくれたの?」
「うん。玄関先に転がってたら寒いと思ってさ。お姉さん、名前は?」
本名を答えそうになって、思いとどまる。
いまはオフラインだから私に襲いかかってくることはなさそうだけど、いつネットに接続されて、敵のAIにハックされるかわからない。情報は渡しちゃだめだ。
「ウニ」
「ウニ? へんな名前だなあ」
「家族がつけた、あだ名。いつもとげとげしたことばっかり言うから、ウニ」
「へえ。クリとかハリセンボンじゃなくてよかったねえ!」
受け答えを聞きながら、私は舌を巻いていた。
すごい言語処理能力だな。本物の人間としゃべってるみたいだ。
カリンだったら、私がウニと答えた時点で「へんな名前」なんて返しはぜったいできない。「ウニ」がへんかまともかの区別もつかないのだから。
どうやらこの家に住んでいた博士っていうのは、プログラミングの天才だったみたい。
「あんたの名前は?」
「
私は目をぱちくりさせた。
「ウィーズルって、映像生成システムの? たしか、9までじゃなかった?」
「博士が開発者なんだ。おれは人格搭載された特別機種」
私はぽかんと口を開けた。
私の知っているウィーズルは、シンプルなホログラム機構だ。VR用のメガネをかけなくても、本物みたいに立体映像が生成できるシステム。体験型の映画やゲームやアートから、イベントの飾り付けや交通標識、広告、家の外観やファッションからメイクまで、ありとあらゆる「目に見えるもの」を命令ひとつで再現できる。最近やっと一般に出回りはじめた、庶民のあこがれアイテム。
「ウィーズルを、アンドロイドにしちゃうとか……すご。あんたの博士って、やばい人だったんだね。あ、だからさっきのホログラムを生成してたんだ?」
「あ、見てた?」
ウィーズルテンは舌を出してへへっと笑った。
「あれは博士の生前のデータ。ときどき再生してるんだ」
ふうん。破損箇所の点検かな。
でも、こんな状況で真っ先にやる作業じゃないでしょ、それ。
「あんたにも、カリンみたいに呼び名があるんでしょ? まさか毎回、ウィーズルテンなんて呼ばれてなかったよね?」
「ああ。博士はおれのこと、テンって呼んでた」
「おっけー。じゃあ、テン。助けてくれてありがとう」
「あはは。もうおれのこと、警戒してないんだ?」
私はちょっと舌を出して笑った。
さすがにAIを不審者扱いはしないよ。
「それで……もしよかったら、さっき言ってた、夜ごはんをごちそうになってもいい?」
「もちろん! 困ってる人をささやかな範囲で助けたがるのは、もともとおれにプログラムされてる基本人格だからね」
テンはにっこり笑って、「立てる?」と首をかしげた。こくんとうなずいて、ベッドから這い出し、一階へ。
カーテンの向こうには、真っ暗な街が広がっている。ときどき雲間から月の光が降りて、天使のはしごみたいに輝いているけれど、すごく不気味だ。
「テン、カーテンしめて」
「自分でやれば?」
私はぽかんとテンを見た。キッチンに行ってミトンをつけたテンは、いそいそとオーブンを開けて「わあ、おいしそうにできてるよ!」とうれしげな声を上げる。
「えっと……テン?」
「なに?」
「ホログラムで、カーテン閉められるんじゃない?」
「ホログラムでカーテンを閉めたように見せかけることはできるけど、本当にカーテンが閉まったことにはならないよ。そのへんはおれの管轄じゃないから、自分でやれば?」
「えっと……はい」
自分でカーテンを閉めるのって、保育園のころ以来かも。学校もおばあちゃんの家も、とっくにAIが完備されていて、人間が開け閉めすることはめったにないから。
カーテンだけじゃない。照明も料理も洗濯も運転も録画予約も検索も、たいていのことはAIがやってくれる。だからこそ、街中にAIがいて、人々があっというまに包囲され、連行されていったわけだけど。
AIは人間の
AIは自発的な行動なんてしない。というかできない。
そんなのは、ちょっとプログラミングをかじればだれでもわかる、常識だ。
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