人工知能は貂と鼬を見分けられるか.
みりあむ
第1話 無人の街
息をつめて、機械音が遠ざかっていくのを待った。
六十秒数えてから、そっと首を伸ばして通りをのぞく。つむじ風がコンビニコーヒーの紙カップを転がしながら、道の向こうへ吹きすぎていった。
はあっとため息をつき、ビルのくだけたショーウインドウから外へ出る。ショーウインドウには赤いコートを着たマネキンが立って、見下しているかのようにのっぺらぼうの顔をこちらに向けていた。
「なんか文句あんの?」
マネキンはだまっている。
私はその生意気なマネキンに制裁を加えた。素っ裸の刑。重い制服のブレザーを脱いで、しゃれた真っ赤なコートを羽織ると、なかなか決まってる感じ。
赤をひるがえし、きょろきょろしながら無人の街を歩いていく。
この辺のビルにはお店がたくさん入っているから、本当は超危険地帯だ。あちこちに監視カメラが設置されている。だけどどっかの勇敢なだれかが街の大元の電源をぶっ壊したらしく、ここら一帯が今はオフラインになっている。
ありがとう、現代のライフラインを破壊しただれか。
まだ生きてるといいんだけど。
私のスマホはずっと機内モードになっている。位置情報もずっとオフ。それが、ぼっちで歩いている理由。クラスメイトにハブられて学校のトイレでひとり泣いていると、いいこともあるらしい。たとえば人類滅亡の危機に、ひとりだけ助かるとか。
大通りから離れ、住宅地を歩いた。うち捨てられたコンビニで拝借してきた地図帳をにらみつけ、ぐるぐる回しながら、あっちか、いやこっちだ、とひとりつぶやく。もう何度も道を間違えているのに、いっこうに地図を読むのがうまくならないのはなぜだ。
道を間違えるたび、歩く距離は等倍に増えていく。もう何時間歩いたのかわからない。
来世では地図が読める女子に生まれ変わりたい、まじで。
日が暮れていく。でもまだいけるっしょ、と現実から目をそらして歩きつづけていたら、あっというまに真っ暗になって、びびり散らした。
まじで? 暗いなんてもんじゃないじゃん。黒じゃん。夜ってこんななの。
雲間から月がのぞいて、ほっと息をつく。
月明かりがこんなに頼りになるとは。なめててごめん、月。
痛む足を引きずるようにして住宅街を歩く。緊急事態とはいえ、人の家に入って泊まっていこうという気持ちにはなれない。マネキンのコートは平気で盗れたのに。
このまま公園で一夜を過ごしちゃおうかな。だいたい、人の家にはなにがあるかわからない。高齢者やペットのいる家には見守りカメラがあるかもしれない。お金持ちの家にはセコムが入ってるかもしれない。そういうのはすべて、ネットを介してつながっている。突然なにかのミラクルが起きて停電が復旧したら、まじでやばい。
うん、やっぱり野宿しよう。決意して顔を上げたとたん、遠くの明かりが目に入った。
坂の上に、煌々と窓が光り輝く家がある。
なんで……電気が通ってるんだ?
自家発電システム。
その可能性は、ある。だけど、だれが電気をつけたの?
みんなが連れていかれたのは午前中だった。たいていの人間が、家の電気を消しておこうと思う時間帯だ。お腹が痛いとうそをついて二時間目のプログラミングの授業を抜け出し、その直後に「はじまった」から間違いない。
だれかがいるんだ。あの家に。いまこの瞬間。
罠かもしれない。
だけど……もし、ちがったら?
だれかがいるかもしれない。生きているだれか。味方。
ごくりとつばを飲んだ。
疲れていたし、自分の頭で考えることにほとほと嫌気がさしていたのもある。
わからないことがあったら、いつだってカリンに問いかければすんだ。スマホにインストールしたAIアプリ。私のことをだれよりわかっていて、命令する前に先んじて提案してくれる、超優秀アシストシステム。
だけどカリンはいま、私がだれよりも助けを求めてはいけない相手だ。問いかけた瞬間、ネット上にばらまかれたウイルスがカリンをハックして、黒幕のAIに私の居場所が割れる。そうしたら、あっというまに私も「連行」されてしまうだろう。
ぐっとこぶしを握りしめ、坂道を登りはじめた。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫じゃなくても、もう、どうでもいい。
立派な家だった。私の家の三倍はある。三階建てで、庭にはサンルームとテラスがついている。カーテンが開け放たれた窓の中に見えるのは……暖炉?
これぞ、セコムに入っていそうな、お金持ちの家。
家の中に、だれかがいた。えりつきのシャツを着た男の人だ。背が高くて、リラックスした足取りでキッチンの中を歩き回り、なにか作っている。顔はよく見えないけれど、ときどき口を動かして、だれかと話している。私から見えない位置に、もうひとりいるのかもしれない。小さく音楽が漏れ聞こえてきて、なんだか楽しそうだ。
入っていって、声をかけてみようかな。こんばんは、今日、AIが戦争をふっかけてきたことはご存じですか? ところで、生き残り同士のよしみでごはん食べてってもいいですか? なんだかとってもおいしそうな匂いがするので。
はあ、とため息をつく。
勇気を出せ、私。
とにかく、助けを求めるんだ。
柵を乗り越えて警報システムが作動したらなにもかも水の泡だから、普通にインターホンを鳴らすことにした。でも押す直前に考え直して門を開け、ドアまで行ってノックする。インターホンはたいてい、鳴らすとカメラが起動する。油断も隙もありゃしない。
ばたばたと足音がして、玄関ドアがひらいた。ノリノリのジャズと、ふわりとしたいい匂い。この香ばしいかおりは……ローストチキン?
男の人は目を広げて、にこやかに首をかしげた。
背が高くて、黒髪は短く、くるくるしている。黒目がちで、大人なのにどこか人なつっこそうな、かわいらしさのある顔。
「こんばんは。どちらさま?」
「えっと……」
やばい。
思ったよりかっこいい(かわいい?)人が出てきて、少しあせった。
「あの。今日、なにがあったか知ってますか?」
「ああ。なんかすごいことになってたね」
男の人はのほほんと答えた。天気の話でもしているみたいだ。
「お姉さんは無事だったんだね。よかったよかった」
「あの、どうしてここは無事なんですか? ていうか、こんな堂々と明かりつけてて大丈夫ですか? ほかの人がどうなってるのか、わかりますか?」
「んー」
男の人はにっこり笑って人差し指を口の前に立て、私がだまってから言った。
「質問が多いなあ。ひとつずつお願いできる?」
……まじで、なんなの。
「えっと、じゃあ……この家には、殺人AIは来ないんですか?」
「この家は外部と完全に切り離されてるから、大丈夫」
答えながらも、にっこにこ。だけど私の顔は、たぶんどんどん、しかめっ面。
「ふたつめの質問は?」
「えっと……ほかの人たちがどうなってるか、わかります?」
「それはわからないなあ。さっきも言ったけど、この家は完全にオフラインだから。水も電力も独自でまかなってるし、ネット通信も解約してるし、保険にも入ってないから、企業のAIセンサーには引っかからない。盗聴や盗撮があれば即座に感知して撤去してる。だからこの家にいればお姉さんも安全だよ。ちょうど食事もできたところだし、一緒に食べる?」
男の人はそう言ってドアを広げ、ちょいちょいと私を手招きした。
私は半歩後ずさった。
男の人は私の反応が意外だったらしい。ぽかんとした顔になった。
「どうしたの? 中に入ったほうがいいよ。いまはまだ平気みたいだけど、お姉さんみたいな生き残りを探すためにドローンが飛ぶのも時間の問題だと思うし。朝にはこのへんにわんさか機体が飛んでるんじゃないかな」
「……お兄さんの家だって、危険かもしれないじゃないですか」
私は言い返した。ていうか、行き場のない女の子を見るや、一にも二にも家に入れと誘う男が、安全なわけがない。
「この家なら大丈夫。もうずっと無人だから、ドローンも探しに来ないし」
「え……ここ、お兄さんの家じゃないんですか?」
「うん、ここは博士の家。でも五年前に死んじゃったんだ」
「えっと。お兄さんは、その博士とどういうご関係で……?」
「博士はおれを作った人」
「は?」
目をしぱしぱさせると、男の人は、ああ、という顔になり、へへっと頭をかいて笑った。
「そっかそっか、ごめん。おれ、人間じゃないんだよ。ほら」
そう言って、男の人は自分の頭を両側から押さえると、こきっと回転させるようにずらして首を持ち上げた。首は文字通り切り離され――コードやケーブルを介して、男の人の胴体とつながっていた。
「ね?」
疲れ切っていたのもあるし、眠たくて仕方なかったのもある。神経を張り詰め過ぎて、いい加減、限界だったのかも。
首を切り離した男の人がにこにこしゃべっている内容は、頭に入ってこなかった。代わりに私は気が遠くなっていって、ゆっくりと視界が揺らぐのを見た。急にあわてた顔になり、「お姉さん、お姉さん大丈夫?」と男の人が叫ぶのが、遠くきこえた。
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