【無知な少女、聖女の力】




「…………これ、は」


 トワは村に入った瞬間、怯えた様子で足を止めた。

 訪れたのはガウロの村。目についた人たちはみんな沈んだ表情をしていて、村中の雰囲気が重たいものになっている。


「悪魔の気配がまだ残っている。きっと君のお姉さんもここにいたはずだ」

「お、お姉様が……」


 クラウスの後ろについて村の中を歩く。

 周囲を見回しても外を歩いているのは女性と子供。それから中年以上の男性だけ。若い男性の姿が見えないことにクラウスは疑問を覚えた。


「……ここの村長に話を聞こう。トワさん、大丈夫ですか?」

「は、はい……」

「不安になることはありません。むしろ君は気丈に振舞ってほしい」

「え?」

「言ったでしょう。君は聖女だ。君の力が彼らを救うのだから」

「わ、私が……」


 クラウスの言葉に、トワはギュッと手を握り締めた。

 自分に何が出来るのだろうか。悪魔を払うため、姉を救うためにと意気込んで家を出てきたが、実際に苦しんでいる人たちを目の当たりにすると体が強張ってしまう。


 村の人達に話を聞きながら、クラウスは村長の屋敷を訪ねた。

 出迎えてくれたのは村長と、彼の妻。話を聞くため、客間へと案内してもらった。


「……それで、この村で何が起きたのか聞かせていただけますか?」

「ええ……実は、もう数ヶ月前になりますが、ある娘がやって来たのです……」


 ある日突然やってきた娘、名をディゼル。

 彼女は身寄りがなく、天涯孤独で花を売りながら村や町を転々としていると話していた。

 そんな彼女を不憫に思い、村長は屋敷の相部屋を貸したと言う。


「その娘は、この村で花を売るようになったのですが……その美しさに村の若者が皆、彼女の虜になってしまったのです……うちの息子もその一人で……」

「……彼は、いま?」

「部屋にいます。あの娘が去る前、息子とリュウガ君がいきなり喧嘩を始めて、気が狂ったように互いを殴り続けて……」


 その直後に村中の若い男たちが苦しみ出したのだと、村長は続けて話した。

 今もまだ原因が分からず、男たちは時折幻覚を見ているのか外をフラフラと歩いたりしているそうだ。


「……そうでしたか」

「聖職者様。どうか助けてくださいませんか……これまでも医者を呼びましたが、何一つ解決しません……このままでは、この村は……」

「ええ。我々も協力します」


 クラウスは頷き、安心させるように笑顔を浮かべた。


 原因は悪魔のせい。医療の力では限界がある。

 トワを連れて各家を訪ね、男たちの容態を一人一人診て回ることにした。


「……悪魔の力は私の予想を遥かに超えていますね。こんな多くの者を苦しめているとは……」


 小さな村とは言え、男たちの数は少なくない。この数を一気に狂わせることが出来るなんてと、クラウスは顎に手を当てて、ブツブツと呟きながら考える。

 悪魔の影響がこれほど深刻なものだとすると、これから先はもっと酷いものが待ち構えているかもしれない。


「……お姉様」


 トワはずっと黙ったまま、彼の後ろを着いていた。

 ここに来るまで、ずっと軽い気持ちで考えていた。悪魔の力なんてふわっとしたイメージでしかなく、聖職者であるクラウスがどうにかしてくれるのではないのかと。

 自分はただ姉に謝れればいい。沢山謝れば許してくれるだろう。そうすれば、姉についた悪魔もクラウスが退治してくれる。

 その程度の気持ちでいた。


 しかし、現実はそんな甘くない。

 多く者が苦しみ、悲しんでいる。


 姉のせいで。姉に取り憑いた悪魔のせいで。

 そもそもの原因は、姉をぞんざいに扱っていた自分たちのせい。


 二人は村の中心にある広間に来た。

 ここでディゼルは花を売っていたと聞き、何が彼女に繋がる手掛かりがないかと思ってきたが、特に何かが残っている様子はない。


「……お姉様。私に、お姉様が救えるでしょうか……」


 トワは祈るように、両手を握り締めた。

 どうか皆の悲しみが、苦しみが、晴れますようにと。

 姉の罪を、自分が償うことが出来れば、と。


「……トワさん」


 その思いに応えるように、トワの体が仄かに輝いた。

 聖女の力。人々を慈しむ思いが、その力を目覚めさせたのだ。


 それから暫くして、少しずつ苦しんでいた男たちの容態が回復したという報告が来た。

 まだ全てではないが、聖女の祈りが悪魔の力を祓ったのだろう。


「トワさん。貴女のおかげで悪魔の力が弱まっているようです」

「ほ、本当ですか? 私、ただ祈っただけなのに……」

「それが聖女の力なのですよ。優しき心が、彼らを救ったのです」

「……優しい、心」


 その言葉に、トワは俯いた。

 本当にそうなのだろうか。確かに聖女の力をこの身に宿しているのかもしれない。そのおかげで救えた命があるのかもしれない。

 だけど、素直にその言葉を受け入れることは出来なかった。


「聖女様!」


 村長や村の人達がトワを囲んだ。

 皆が涙ぐんで、トワに頭を下げている。


「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「息子が正気に戻りました。聖女様のおかげです!」

「聖女様!」

「聖女様!」


 この人達は、元凶であるディゼルがトワの姉であることは知らない。

 そんなことを話せば、どんな目に遭うことか。


「皆さん、落ち着いてください。まだ完全に回復したわけではないので、彼らのそばにいてやってください」


 困惑するトワに代わり、クラウスが皆の対応をしてくれた。

 感謝されるのは悪い気はしない。だけど、後ろめたい気持ちがあることも事実。


 村の人達が離れ、トワはクラウスの隣に立って小さな声で呟いた。


「……姉は、これから先もこんなことを続けるのでしょうか」

「お姉さんのせいではなく、悪魔のせいだ。君のお姉さんも彼らと同じ被害者なんですよ。君の力で、助けてあげないと」

「そう、ですね。私、頑張ります」


 トワはギュッと手を握り締めて、改めて意気込む。

 姉を救えるのは自分しかいない。現に悪魔の力を祓うことが出来たのだから。


 これはきっと、自分に課せられた責務なのだから。




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