第8話 青年の初恋
「……見ない顔だけど、どこの子かしら?」
ディゼルの足に包帯を巻きながら、レイナが聞いた。
確かにこの辺りでは見たことがない。彼女の名前にも聞き覚えがない。
レイナの問いにディゼルは表情を曇らせながら、話し始めた。
「……私、両親に家を追い出されてしまって色んな所を転々としているんです。先日までガウロの村で村長さんのお屋敷に住ませていただいてたのですが、お金がなくて……」
「追い出されたのか?」
「……はい」
「そうか……」
アインは泣き出しそうなディゼルに、胸を痛めた。
こんな若い子がそんな辛い思いをしているなんて信じられない。彼女のためにしてあげられることはないのだろうか。
そう思っていると、レイナが溜息を吐きながら口を開いた。
「残念だけど、この村にも空家なんてないわよ。悪いけど他を……」
「いや、この屋敷に住まないか?」
「アイン! 何を言ってるの!?」
自分の言葉を遮って提案してきたアインに、レイナは声を荒げた。
可哀想な生い立ちではあるが、身元もはっきりしない人間をそう易々と屋敷に住まわす訳にはいかない。それに、二人は婚約していて近々結婚式を挙げる。これから新婚生活が始まるというのに年の近い女の子が一緒に暮らすというのはレイナにとっては面白くない状況だ。
「ちょ、ちょっと待って! そんなこと、お父様が許す訳が……」
「大丈夫だ。父なら分かってくれる」
「アイン!」
「じゃあ君は、うら若い女の子を町から放り出して何とも思わないのか?」
「で、でも!」
「空家がないってだけで追い返すことは出来ない。この町はそんな冷たいところなんかじゃないだろう」
「……わかったわよ。でも、お父様に何と言われても私は知らないわよ」
力強く話すアインに、レイナは根負けした。
しかし、アインはこう言うが彼の父も良い顔はしないだろう。今は結婚式の準備でも忙しいし、息子夫婦と共に若い女が暮らしているなんて町民たちに知られたらあることないこと噂されてしまう可能性だってある。
きっと彼の父が反対してくれるだろう。レイナはその思いもあって今はアインの言う通りにしてあげようと諦めがついたのだ。
「ディゼル。君さえ良ければうちの一室を用意するよ」
「でも……」
「君は何も心配しなくていい。ずっとツラかっただろう? もう大丈夫だから」
「アインハルトさん……」
この日からディゼルはアインの屋敷の離れにある物置小屋で暮らすようになった。
物置小屋と言っても、広さは普通の一軒家と同じくらい。一人で住むには十分な広さ。アインはちゃんと屋敷の一室を用意すると言ったが、レイナの考え通りに親から反対されて物置小屋に住まわせることになった。
「ゴメン、ディゼル。こんな汚いところで」
物置小屋に案内し、アインは部屋の汚さに申し訳なくなった。
しかしディゼルは悲しむ様子もなく、笑顔を浮かべてお礼を言った。
「いいえ、ありがとうございます。実家ではもっと汚くて寒い地下室で暮らしていたから平気よ」
「君は……今までそんなところに?」
「……今、私のこと可哀想だって思った?」
「え……」
確かにそう思った。まるで心の中を見透かされたみたいで、思わずディゼルから離れるように一歩後ろに下がった。
彼女は常に変わらぬ笑顔を浮かべている。その表情からは何を考えているのか全く読めない。
「ふふ。私は可哀想なんかじゃないわ。大丈夫よ、ありがとう」
「……ディゼル」
「ねぇ、アインハルトさん」
「アインでいいよ」
「でも、それは……」
「レイナのことなら気にしなくていい。あれは……親が決めた相手だから」
「そのようなことを仰ってはいけませんよ。彼女は、貴方を愛しているのでしょう?」
ディゼルの言葉に、アインは言葉を詰まらせた。
確かにレイナは自分を慕ってくれている。だが自分は彼女と同じ気持ちにはなれない。
愛が何なのか、何も分かっていないのだから。
「……ねぇ、アイン」
「なんだい?」
「私、ここで花屋を営もうかと思うの」
「花屋?」
「ええ。今までもそうしていたし、ダメかしら?」
「いいよ。君の好きなようにしてくれ」
「ありがとう」
その声、その柔らかな笑顔。
アインの心はどんどんディゼルで埋め尽くされていく。
もっと彼女の笑った顔が見たい。彼女に名前を呼んでほしい。自分の中で大きくなっていくディゼルの存在。
ああ、これが愛するということなのか。彼女を愛しているんだと生まれて初めて芽生えた愛情に高揚感を覚える。
知ってしまった。これが愛なのだと。この想いを知って、今まで通りレイナと接することが出来るのだろうか。結婚なんて出来るのだろうか。
アインは悩んだ。
この初恋を、どうすればいいのだろうか。
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