第50話 私を絶対に殺さない人
彗星の到来から三日が経ったけれど、私はまだサシェの町の宿屋にいた。町の人々はいつもの生活に戻りつつある。
『セレスティアのまりょくはもうすっかりもとどおりだね』
「ええ。あとはトラヴィスが目を覚ますだけ……なのだけど」
そのトラヴィスはと言えば、ベッドでお行儀よく眠っていた。初日に私が『豊穣の聖女』の力を使って消耗した命を修復したものの、まだ目覚めないのだ。
身体の面で見ると彼は十分に回復している。けれど、青白い顔色からは時間をかけた回復が必要だと簡単にわかる。
ちなみに、大神官様からは目覚めて自分の足で歩けるようになるまでは王都に戻るなというお達しが出ている。まぁ身体の回復が最優先なのは当然のことで。でも、どうしても納得いかないことがある。それは。
「今回の遠征任務で……トラヴィスの功績は何ひとつ王宮に報告されないんだって」
『それはだめなことなの? じっさいにセレスティアのちからがあったからサシェのまちをまもれたんだよ』
「……私一人では無理だった。それなのに、トラヴィスの活躍がなかったことになるなんて」
大神官様のお達しによって、あの場にトラヴィスがいたこと自体、緘口令が敷かれていた。
『トラヴィスはむずかしいたちばのひとなんだよ。あまりかつやくすると、それをよくおもわないひとがでてくるから。トラヴィスのためだとおもうな』
「うん……改めてそうなんだなって思った」
私はベッドサイドの椅子に座ってトラヴィスの寝顔を眺める。おでこには包帯が巻かれているけれど、ちょっとしたかすり傷を保護するためだけにこうなってしまった。
医務官がレイに付き添っていなくなってしまったため、私が応急処置で薬を塗ったのだ。結果、いろいろ端折って包帯ぐるぐる巻きという結果に。
刺繍は得意なはずなのに怪我の手当てはだめだった。トラヴィスは私のことを必死で守ってくれたのに、私はまともな手当てひとつできなくてごめん。
回復魔法を使えば、と思ったけれど、トラヴィスだけではなく神官はみな聖女に回復魔法を使われることを嫌う。だから私は薬を塗って包帯を巻いた。
人差し指でトラヴィスのおでこ――包帯の下の擦り傷があるあたり、を軽く触る。いつの間に傷ができていたんだろう、必死で気がつかなかった。彼は気を失いそうになるまで私のことを守ってくれていたのに。これじゃあ相棒失格すぎる。
リルがトラヴィスの枕元にぴょんと下りたので、私は頬を膨らませた。
「リルにずっと聞こうと思っていたの。アリーナが作ってくれたブレスレットが発動する条件を知っていたでしょう? それなのに、どうして言ってくれなかったの」
『ごめんね。おこってるよね』
「うん、結構怒ってる」
『だって、セレスティアはトラヴィスのことがすきでしょう』
え?
あまりにもリルが当然という顔をしているので私は呆気にとられた。一気に頬が熱を持つのを感じて、ぶんぶんと首を振る。
「す、好きじゃない!」
『すきなひとがくるしむのをみられないだろうなっておもったからいわなかったんだよ。でも、かくじつにサシェのまちをすくえるっておもったから』
好きじゃないって言ったの聞こえなかったのかな?
「違う。私、トラヴィスのことなんて……」
だって死にたくないし、と思いながら声を張り上げたところで。
「ぷっ」
私でもリルでもない笑い声が聞こえた。その方向に視線を向けると、トラヴィスが目を開けていた。自分がたった今していた会話のことも忘れて、私は身を乗り出す。
「トラヴィス! よかった……」
「ねえ。命を懸けた人の横でひどい会話するのやめてくれないかな?」
「ひどい会話……?」
「リルの言葉はわからないけど、セレスティア?」
あれ、私はさっきリルになんて言っていたっけ。回想した私ははっとする。そうだ、好きじゃないとか何とか言っていたような。
とりあえず、身体を起こそうとするトラヴィスを助ける。
「……ど、どこから起きていたの」
「うーん、セレスティアがおでこに触っているあたり?」
全部聞かれてた!
「ふ、深い意味はなくて」
「大丈夫、期待はしていないから」
そう答えるトラヴィスに「違う」と否定しそうになった私はあわてて唇を噛む。否定したって、私には伝えられる言葉が何もないのだ。
この数日で私は十分に分かっていた。彼のことは何とも思っていないと強がりつつも、そうではないことを。
でも私は死にたく……ない。好きと認めなくても結局同じ運命を辿ることになるのかな。私は死んでループして、またシャンデリアが落ちる朝に戻るの?
彼に殺されることもだけれど、この人生がなしになるのが怖い。トラヴィスやバージルやシンディーやエイドリアンと仲良くなって、幸せで満たされた日々が消えてしまうのが怖い。
「……敬語を使ってくれる?」
トラヴィスの言葉に私は目を丸くした。そっか。任務は終わったのだ。いつも通りの言葉遣いにしないといけない。
「ご無事で何よりです。私を守ってくださってありがとうございました」
姿勢を正して深く頭を下げると、トラヴィスは膝の上に揃えた私の手を取る。
「敬語禁止ルールって悪くないよね、主に罰則つきなところが。今日はこれぐらい許してくれる?」
「え」
そしてそのまま、私の手に口づけて目を閉じた。瑠璃色の瞳が見えなくなって、かわりに長い睫毛の影が落ちる。
「セレスティアが無事で、本当によかった」
何かを愛おしむような、低くて優しくて温かい声が、私の胸に響く。
「それは……トラヴィスの方でしょう」
堪えていたのに、視界が滲んで、揺れて、頬が濡れる。彼は少し驚いた表情を見せたあと、私の涙を指で拭ってくれた。今日はシーツ越しじゃなかった。
ごちゃごちゃしていたはずの頭の中が一気に整理されて、もやが消えていく。そこに残った答えはひとつ。
――この人は絶対に私を殺さない。
それだけだった。
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