第14話 スコールズ子爵家では
その少し後のスコールズ子爵家。
クリスティーナ・セレーネ・スコールズは神殿に向かう支度をしていた。翌日から行われる『巫女』専用の研修のためである。
「ドレスと、お化粧品と……あ、そうだ。魔法で動く美顔器も持っていこうかしら。神殿には特別な方たちが集まっているわ。きっと扱える人がいるはず」
ただでさえパンパンだったトランクケースに美顔器をつっこんでぎゅうぎゅうと押し込める。すると、自室の扉が叩かれて母親が顔を覗かせた。
「クリスティーナ! 巫女の研修は明日から十日間ね。あなたが家にいないとさみしくなるわ」
「ふふっ。たった十日間よ? ……神殿に着いたら、巫女専用のドレスがいただけるんですって! 楽しみだわ」
「そういえば、セレスティアも同じ時期に研修を受けるのよね。『聖女』は人数が少ないから別プログラムのようだけれど」
「……その話はしないで、お母様」
クリスティーナが表情を曇らせると、母親は彼女をぎゅっと抱きしめた。
「ああ、ごめんなさい。そうよね。この家で一番大切な娘はあなたなのだから。お父様だっていつもそう仰っているわ。名誉も屋敷も庭も宝飾品もドレスも召使いも何もかも、スコールズ子爵家のものはあなたのために存在しているのよ」
「私……セレスティアお姉さまが聖女だなんて、何かの間違いだと思うの。だって、あんなに何もできない人なのよ? ずっと別棟の寒くて暗い部屋に閉じこもっていて、ぼろぼろのドレスを着て、貴族令嬢とは思えない粗末な食事で暮らしていて。ただ、母方の血がちょっといいってだけのかわいそうな人なのよ。啓示の儀で石版が割れたのは、きっと手違いに決まっているわ」
「私もそう思っているわ、クリスティーナ。だって、あなたが巫女なのにセレスティアが聖女なんて……絶対におかしいもの」
異母姉・セレスティアが聖女だと啓示を受けてから、スコールズ子爵家の雰囲気は最悪だった。
母親は数日寝込み、もう少し長く王都にいられるはずだった父親も早々と領地へ戻って行ってしまったのだ。
(神殿に仕える巫女に選ばれるなんて……とてもめずらしくて名誉なことなのに!)
啓示の儀は貴賤の別なく誰でも受けられる。そして、貴族令息・息女が神に仕える資格を得られるとそれを祝うためのパーティーを催すのだ。
大神官様の前で石版が光ったときクリスティーナは完全に有頂天だった。裕福な家と、優しい両親と、魅力的な格上の婚約者(姉の)。
けれど、その幸せな気持ちはたった10分で覆された。クリスティーナの直後に啓示の儀を受けた異母姉が、金色に石版を光らせたのだから。
両親はパーティーをしようと言ってくれたけれどクリスティーナは断った。
あの姉と合同のパーティーなんてたまったものではない。もし仮に授かった役職が逆だったならまだいい。けれど、クリスティーナのほうが下という時点でありえなかった。
(セレスティアお姉さまなんて取るに足らない存在のくせに。私が恵んであげたお菓子を食べて、私のお下がりのドレスをうれしそうに着ていたくせに。許せないわ)
大体にして、啓示の儀へはクリスティーナだけが行くつもりだった。あの姉は社交界での評判は悪いけれど、実際に目の前にすると不思議と気になる存在なのだ。儚げなくせに目を惹く、というのだろうか。
出発直前になにかショッキングな出来事があれば、気の弱い異母姉は家から出ないだろうと思った。……けれど。
(セレスティアお姉さまに注目が行くのが嫌でシャンデリアを落としたけれど、もっと本気で対策をするべきだったわ)
ニコニコと可憐な笑みを取り繕いながら、そういえば、と母親に問う。
「お母様。マーティン様からのお手紙は届いていないでしょうか? この前、お手紙をお送りしているのですが」
「それが……。来ていないわね、クリスティーナには」
急に目を泳がせて挙動不審になった母親の様子に違和感を抱く。
(クリスティーナには?)
そもそも、姉の婚約者と親しくなるようにけしかけてきたのはほかでもなくこの母親だった。「クリスティーナ、あなたには美貌の他に私にはなかった貴族令嬢という地位があるわ。嫁ぐなら格上の家にしましょう」と。
クリスティーナの母親は平民出身だったため伯爵家以上の嫡男には見向きもされない。お茶会ではちやほやしてもらえるけれど、婚約者候補となると一気に距離を置かれてしまう。
そんなクリスティーナでも簡単に近づける相手。それが、異母姉・セレスティアの婚約者マーティンだったのだ。
セレスティアあてのお茶会への招待状は母親が握りつぶした。クリスティーナはセレスティアの代わりに出席しマーティンの隣をキープするだけでいい。
(マーティン様……)
母親は不自然に話題を変えた。
「そ、そうだわ。この前あなたの刺繡の腕が話題になったのよ。エイムズ伯爵夫人がね、次のお茶会にはクリスティーナ嬢の刺繍入りのクロスを使いましょう、と仰っていたわ」
「えっ」
「あら、どうしたの?」
「い、いいえ。ですが、しばらくは刺繍をする時間がなさそうだなって」
「それもそうよね。巫女に選ばれたんですもの。……けれど、エイムズ伯爵夫人は本当に楽しみにしているのよ? 近いうちに、必ず作ってちょうだいね」
「も、もちろんですわ、お母様」
クリスティーナの背筋には冷や汗が流れる。両親は末の娘の刺繍の腕が本物だと信じているけれど、実際には異母姉に作らせたものなのだ。
(大変だわ。セレスティアお姉さまがこの家にいるうちに、クロスを作らせなくっちゃ)
「お母様。今朝、セレスティアお姉さまがお出かけになるのを見ましたが。また神殿へ行っているのでしょうか」
「違うわね。馬車で誰かが迎えに来て出かけて行ったみたいね。あんなに辛気臭い顔をした子を誘うなんて、変わったお友達がいたものだわ。どうせ、平民でしょう」
「そう……ありがとうございます、お母様」
クリスティーナは無邪気な微笑みを見せてから、別棟の異母姉の部屋へと向かったのだった。
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