第167話 そこは重要なところではない

生暖かい潮風が吹き、静かに揺れる暗黒の波に月の光が反射していた。

静寂の空間に海の音が聞こえてくる。

おかっぱヘアーの少女とドレッドテールの男と一緒に、全長が10mほどの小舟に乗り込み、見渡す限り陸地が存在しない大海を進んでいた。

船首の先に魚群のような等間隔を保ちながら同じ方向へ走る統制された船団が大海を横断していく姿が見える。

1隻の大きさが300m級の帆船で、違法物を法外な価格で売買している闇商人達の拠点だ。


その中の1隻が、闇商人の船団から離脱を開始し、巨大な魚に姿を変えながら海面から上昇していた。

その巨大な魚こそが、私達の目的物、架空艦ノーチラスの本体だ。

チャラ男の半身であるそいつは、鳳仙花を闇商人にスカウトした鉢特摩であり、廃業に追い込んだ紅蓮の英雄と同一人物でもあった。

接近してきたチャラ男の存在に気が付き、逃走を始めたのである。

チャラ男の話しによると、元々同一個体であった半身は邪の心が膨れあがり、もう抑え込むことが出来ない状態になっているという。

魚の姿に変えた架空艦ノーチラスは、海面から30m程度上昇したところで静止すると、向こうの方向へ船首を向けるように旋回を始めていた。

背後へ振り向くと、おかっぱヘアーの少女である鳳仙花が、必死な様子で検索エンジンタブレットを触っている。

こんな状況で何を調べ始めているのかしら。

何となく気になり、そのタブレットを覗きこんでみると、そこには差出人が鉢特摩船長が全闇商人達へ送信したエアメールがずらりと並んでいた。

題名のほとんどは、鬼可愛い聖女に関わり合いにならないためのガイダンスのようだ。

なるほど。

鳳仙花から、闇商人が清楚系聖女のことを異常過ぎるくらい恐れていると聞いていたが、これがその原因だったというわけか。

私が覗きこんでいることに気がついた鳳仙花が、カチカチとエアメールを開きながら、調べている内容について説明をしてきた。



「鉢特摩船長。もとい、紅蓮の英雄のクソ野郎が書いたメールを読んで、奴について何か分からないものか、分析しているところです。」

「鳳仙花は、メールに書かれていや事柄を一つ一つの要素に分け、その構成を明らかにし、紅蓮の英雄の思考パターンを明らかにしようとしていたわけですか。」

「はい。そうしようと思ったのですが、分析するほどのこともありませんでした。」

「ほぉう。つまり、奴の思考パターンを簡単に分析できたということですか。」

「三華月様。それでは説明させてもらいます。こちらのタブレットをご覧下さい。」

「似たような題名ばかりのメールですよね。」

「そうなんです。奴は誰が魔王であるかを理解し、絶対に敵視されないように立ちまわろうとしているんですよ。」

「鳳仙花。その魔王とは、一体誰のことを指しているのでしょうか。」

「つまり、奴は悪さをするうえで、魔王にだけは絶対に接触しないように、細心の注意を払っていたようです。」

「鳳仙花。もう一度伺いますが、その魔王とは、一体誰を指しているのですか?」

「三華月様。今はその魔王が誰かなんて、重要なところではありませんよ。」

「そうなのですか。いやでも、個人的に気になったもので。」

「気になりますか。分かりました。それでは、その話しについては後ほどさせてもらいます。」

「え。後ほどですか。」

「はい。後ほどです。話しを戻しますと、紅蓮の英雄は三華月様を恐れております。絶対に神託による討伐対象標とならないように、できる限りの策を講じていました。」



おかっぱヘアーの少女のその言葉には怒気が籠っている。

向こうをみると、魚の姿に変えた架空艦が離脱を開始している。

そう。小舟が接近する速度よりも明らかに早い速度で離れていっているのだ。

そして、闇商人の帆船に装備されている砲台が、空飛ぶ魚へ照準を定めようと旋回し始めていた。

闇商人達が、架空艦へ砲撃するつもりのようだ。

闇商人側からすると、船の姿に変え、船団に紛れ込んでいた正体不明の魚を処分する理由は十分にある。

その様子を見ていた鳳仙花とチャラ男の声が聞こえてくる。



「チャラ男。あれを見ろ。闇商人の船団が、魚の船に砲撃をしようとしているぞ。」

「嬢ちゃん。俺っちの兄弟は魚の姿に変えているが、伝説の船なんだぜ。」

「つまり、闇商人ごときに撃ち落とせるはずがないと言っているのかよ。」

「俺の兄弟は、最強スキルの一つ、重力を操ることができる。それでも凄いことだろ。」

「何だよ。その言い方だと、重力以外にも何か切り札があるように聞こえぞ。」

「そうだ。奴は死霊使いネクロマンサーでもあるんだ。」

「まじか。船が死霊魔術を使うっていうのかよ。」

「魂が無くなった軍艦を召喚することができるんだ。」



2人の会話が白熱している。

どちらが勝つにしても、今、私達が乗っているこの小舟の方が心配だ。

架空艦の片割れであるチャラ男がどこからともなく創りだしてきた船は、河を渡るくらいの造りになっている。

戦闘が開始され、高波が襲ってきたら、簡単に沈没しそうだからだ。

――――――――闇商人の一隻の船に実装された主砲が火を噴いた。

真っ黒な海に重低音が轟、その衝撃に波が生まれる。

海面から30mの高さを飛ぶ魚の周囲には、景色に歪みが生じていた。

チャラ男が叫んだ。



「兄弟が周囲に重力場を発生させやがった!」



重力場。時空中に重力が作用する発生されたということだ。

光さえも吸収に逃げることが出来ない暗黒空間に近いフィールドを発生させたのだ。

当然であるが、物理攻撃は通用しない。

闇商人の船から発射された砲弾は、走っていく音だけを残し、魚の姿をした架空艦に着弾することなく消滅していた。

周囲に展開されている重力場へ吸収されてしまったのだろう。

轟音の余韻が残っているものの、海の世界に静寂が戻ってくる。

そして、87隻で構成されている船団は規律正しく等間隔を保ちながら、リズムよく一斉砲撃を開始してきた。

雷鳴が走るような轟音が暗黒の海に絶え間なく続いていく。

波がたち、小舟が暴れ馬のように揺れ始め、鳳仙花とチャラ男は転覆しないように、慌てて姿勢を低くしバランスをとっている。

そして、船団から連続して発射される砲撃は、届くことはなく、重量場に吸収され消滅していた。

巨大な魚は何事もないように空を航行していたが、闇商人の船団の方へ船頭を回頭させていく。

架空艦が反撃に移行するようだ。

魚の周囲に展開されている重力場から、無数の沈没船が姿を現し始めている。

死霊魔術を使用してきたのか。

となると、あれが魂の無くなったという沈没船なのか。

夜空が見えなくなるくらいの相当の数がいる。

見た感じ100、いや千個体くらいはいそうだ。

ここまでの艦隊戦を見ても、チャラ男が予言したとおり、闇商人の船団に勝ち目はないと容易に予想がつく。

鳳仙花いわく、闇商人は社会のクズと言っていたが、それでも私と同じ人である。

このまま、見殺しにしてもいいものなのかしら。

その時である。前触れなく神託が降りてきた。



―――――――――――――闇商人の船団を守り切れ。

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