第157話 働き蟻の法則
青い空から眩しい太陽の光が落ちてきていた。
陽炎が立ち上り、更に湿度が高く蒸し暑く感じ、無数に聞こえてくる耳障りな夏の虫の鳴き声が、体感的暑さを加速させてくれる。
屋外の3階にあるテラスデッキから街を見渡すと、大通りに隙間なく埋め尽くされている人がうごめき、雑居音が反響していた。
マッシュヘアーの男が意識を失い、手摺りを背に崩れ落ちている。
世界の一部を賭けて戦い、顎を撃ち抜かれ敗北した監察官だ。
おかっぱヘアーの鳳仙花は、その男へ駆け寄り介抱を始めている。
そして私の目の前には謎のステータス画面が浮かんできていた。
――――――――――――――――――――
囲まれた街の1階層を地上世界へ加えますか?
YES/NO?
――――――――――――――――――――
このステータス画面から神の気配を感じる。
つまり監察官との戦いには神が干渉していたということになるのかしら。
ここまでの流れを考えれば、環境破壊が進み限界を迎えてしまったこの世界を救うために、この世界へ私が導かれたようにも思える。
だが、神託が降りてくる気配はないのは、関与してきている神はアルテミス神ではないということなのだろう。
ここはYESの一択なのだろうが、信仰心に影響がないこの選択は、前向きな気持ちですることが出来ないぜ。
躊躇している私の姿をみた鳳仙花が、手に持っているA4サイズのタブレット型検索エンジンを触りながらギロリと睨んできた。
「三華月様。何を迷っているのですか。ここは絶対にYESを選択するところですよ。」
「あら。鳳仙花にもこのステータス画面が見えているのですか。」
「はい。いまさら聞くものいかがかと思いますが、そのステータス画面って何何ですか。このタブレットでその画面についての情報を調べてみたのですが、全く分かりませんでした。」
「このステータス画面は、どういうシステムによりここへ出てきたのか私にも分かりませんし、知る必要性も感じません。」
「え。知る必要性がないって、もしかして三華月様は画面の正体について気にならないのですか?」
「はい。信仰心に影響がないようですし、全く興味がありません。」
「はぁ。そうですか。信仰心に影響がないので、とことん消極的な思考になってしまったわけですか。とにかく、聖女として、崩壊しつつあるこの世界に暮らす同族を放っておけないじゃないですか。早くYESを選択してください。」
おかっぱヘアーの少女が目を見開きながら圧を送ってきている。
NOを選択するのではないかと疑われているようだ。
はいはい。選べばいいのですね。信仰心が下がる可能性があるNOを選択する勇気はないし、ちゃんとYESを選択させてもらいますよ。
ご安心下さい。
というか、無駄な買い物を繰り返し闇商人を首になった少女が、聖女である私を諭そそうとしているのかしら。
これはもしかして、働き蟻の法則が作用しているのかもしれない。
働き蟻の法則とは、働き蟻と普通の蟻、そして働かない蟻の比率を調べたところ、2:6:2の割合となる。
そこから2割の働かない蟻だけを残した場合、怠惰を貪っていた蟻が働き始め、そしてその2:6:2の割合に分かれて動くのだ。
その理屈だと、つまり私が働かない蟻に該当することになる。
うむ。駄目な少女を更生させた私はさすがと言えるだろうが、何だか微妙な気持ちになってしまう。
手を伸ばし、正面に現れていたタッチパネルのYESへ指先を合わせると、画面が切り替わり、地上世界に地図が表示され、新しいメッセージが現れてきた。
―――――――本階層の融合先となる適正な場所を選択し、それに伴い地上世界のアップデートを開始します。合わせ帝都の都市レベルが上昇されました。
映し出されている地上世界の地図上にある都市が光った。
海に面し大きな川が流れている帝都である。
メッセージを読む限りでは、この異世界の階層が帝都に組み込まれるということなのかしら。
都市レベルが上がったと表示されているが、それはこの階層に暮らしている者達を救っただけでなく、地上世界にも無駄に貢献してしまったということなるのだろうか。
さすが世界最高位の聖女だ。
これで信仰心が上がらないのは恨めしく思うが仕方ない。
鳳仙花が、表示された文字を読んで驚きと戸惑いの声を上げている。
「おおお。融合って、私達がいるこの街が帝都に編入されてしまうのでしょうか。いきなりこの街が現れたら、帝都の方も大混乱に陥るように思いますが、大乗なんですかね。」
「メッセージを読む限りでは、地上世界に不具合が起きないように機能を追加し情報を更新するみたいですよ。どこかの神が関与しているようですし、何とかなるのではないですか。」
おかっぱヘアーの少女にそれらしい返事をしたものの、どうなるかなんてさっぱり分からない。
何とかならなかったとしても、もうそれは私の責任ではないだろ。
――――――――――空間に歪みが生じ始めている。
この地が転移、再編しようとしているようだ。
この『囲まれた街』が帝都に組み込まれてしまったら、私達も一緒に転移してしまうのかしら。
楽に遠方へ移動する手段として
そのことを考えると、帝都へ転移するのも悪くないか。
重力がなくなると、前に広がる景色が変わっていた。
赤い土が広がり、ところどころ草木が生えていた。
青い空に昇っている太陽が照り付けている。
先程までいた都市と同じように、10km程度は離れているだろうか、空まで伸びている塀が周囲を囲むように建っていた。
遠くには荒れ果てた世界に不釣り合いな綺麗な板状型の屋敷が建っており、その周辺にはいくつかの集落も見受けられる。
当たり前だか、ここは帝都ではない。
おそらくだが、『囲まれた街』の下層階なのだろう。
面倒ごとに巻き込まれる予感がする。
帝都に戻れなかったことは残念だが、水上都市へ引き返すのも有りなのではなかろうか。
鳳仙花が、A4型タブレットの検索エンジンにて収集した情報について報告してきた。
「三華月様。私達は『囲まれた』の下層階へ来てしまったようです。」
「水上都市からここへ来た木製扉が消えているようですが、戻る手段はあるのでしょうか。」
「おそらくですが、あそこに見える大きな建物に、この階層の主がいます。」
「何にしろ、あそこへ行かなければならないということですか。」
建物の方から土煙が上がっている。
甲冑姿の騎士が馬に乗ってこちらへ向かって来る姿が見えていた。
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