第148話 生活保護とは
見上げると雲一つない夜空が広がり、星が輝いている。
淀みない風がながれ、少し蒸し暑い。
88隻で構成されている船団が、等間隔を保ちつつ、風による推進力を得て暗黒色の海を走っていた。
その船団の最後尾を走る船。
甲板から15m下の海へ降ろされたタグボート内に、鰐の着ぐるみを着込み、ガスマスクを付けている少女が私を待っていた。
彼女の名は鳳仙花。
周囲には外界からの来訪者である私を警戒しドローン群が飛びまわっている。
周りを走る船団の甲板からは、闇商人達が身を乗り出し、戦々恐々としながらこちらを見下ろしていた。
私がここに来た理由は、眷属になってしまった土竜が多額の借金を借りていた貸主である鳳仙花へ呼ばれたため。
鰐の着ぐるみを着ている少女は闇商人を廃業し、一般人となったと言う。
そして嫌悪感をにじませながら自身が生業にしていた闇商人を社会のゴミだと断罪してきた。
「私は闇商人を廃業し、一般人となりました。なので、社会のゴミである闇商人なんかと一緒にしないで下さいよ。何よりも三華月様とは同志じゃないですか。」
私は同志ではないと思うのだが、その問題についてはスルーしておこう。
廃業した理由についても気になるところだが、この件についても深く掘り下げるべきところではない。
私は他人に対し、無関心な聖女なのだ。
そう。そんなクソどうでもいいことよりも、土竜が鳳仙花から借りていた債権の行方の方が重要だ。
債権者が廃業した場合、一般的には債権が他の者へ譲渡される。
だが、鳳仙花と土竜が交わした契約内容に記載されているかによってその対応は変わってくる。
私を呼んだ用件もまだ聞けていないのだが、土竜の債権について尋ねることにした。
「鳳仙花が闇商人を廃業したことは理解しました。」
「はい。私が反社会的勢力とは全く関係ありません。安心して下さい。」
「一つ質問があります。伺ってもよろしいでしょうか。」
「もちろんです。何なりと聞いて下さい。」
「有難うございます。伺いたいことというのは、土竜さんが鳳仙花から借りていたその債権の行方についてです。」
「ああ。あの役に立たなくなった債権の行方ですか。土竜さんと交わした契約内容は、第三者への譲渡するためには債務者の承諾が必要な条文が書かれておりまして、引き続き私が所持しております。そもそも債務者である土竜が三華月様の眷属になってしまった時点で、この債券は回収不可な案件となり引き取り手が無い無価値なものとなりました。先にも申し上げましたが、闇商人達からすると三華月様は魔王のごとく存在でして、絶対的に関わってはいけない聖女様なのです。」
ガスマスクから深いため息が漏れてくる。
どうして世界最高位の信仰心を持っている聖女が魔王的な存在になってしまうのかしら。
闇商人に何かをした記憶は無い。
その理由について、気になるところであるが、今はスルーしておこう。
ガスマスクの少女からの話しによると、債権は誰にも譲渡されることなく今も鳳仙花の手にあるという。
知らない誰かに渡り悪用されることを危惧していたが、安心しました。
土竜の連帯保証人になったことも結果オーライだったということか。
とりあえず、問題が一つクリアした。
正面にいる少女は、聞いてもいないのに闇商人を廃業した話しを喋ろうとしてきた。
「三華月様。私が闇商人を廃業してしまった理由を聞いて下さい。」
「その話しを伺う前に、私がここに呼ばれた用件を聞かせてもらえないでしょうか。」
「そう。私が言いたかったこととは、まさにそれなんです。」
ガスマスクをつけた少女が、身を乗りだし私のパーソナルエリアに侵入してきた。
恐ろしいほど前のめりになっている。
少女が闇商人を廃業した理由と、私がここへ呼んだ用件は繋がっているというのか。
鳳仙花が激しい口調で話し始めてきた。
「三華月様。『紅蓮の英雄』と名乗っているクソ共を、ギッタギタにして、ぶっ殺してもらえないでしょうか!」
「ぶっ殺すとは物騒なことですね。同族殺しは重罪となります。残念ながら、その手伝いは出来かねます。」
鰐の着ぐるみを着た少女が必死な様子で頭を下げてきた。
世界を平和に導く役目をもつ聖女へ、英雄殺しを依頼してくるとは。
あり得ないだろ。
鳳仙花からの話しから察するに、その者が勝手に英雄と名乗っているのかもしれないが、それでも理由なく同族殺しなど出来るはずがない。
そう。私の命よりも重い信仰心を下げることに繋がる行動など、絶対に許されるものではない。
よって、そのお願いを受けることはない。
少女は、その紅蓮の英雄についての話しを続けてきていた。
「三華月様。紅蓮の英雄は、私を廃業に追い込みやがった極悪非道のクソなんです。」
「その者が、鳳仙花を廃業に追い込んだ張本人だったわけですか。」
「そうです。奴は、新米の闇商人だけを狙って狩りをするんです。」
「鳳仙花はその標的にされてしまったということですか。」
鰐の着ぐるみが地団駄を踏んでいる。
新人狩りとは、熟練値の高い者が新人に敢えて勝負を挑み、マウントを取ったり、装備品を奪ったりする者達のこと。
新米の闇商人を狙い撃ちしているということは、この船団内にいる誰かが、外へ情報を漏らしているのかしら。
話しだけ聞く限りでは、紅蓮の英雄とやらも相当の悪党なのかもしれない。
だが、何にしても私には関係のないこと。
鳳仙花の勢いは止まらない。
「紅蓮の英雄を返り討ちにしてやろうと思い、つい先日、『英雄王』として名高い藍倫様を雇ったんです。」
「それは取り立て代行のことですか。」
「そうなんです。超高額だったんですが、有り金の全てを注ぎ込みました。だが、奴等が現れることがなかったのです。」
「不発に終わったわけですか。」
今しがた、鳳仙花の言葉から新しい情報が何げなくといった感じで出てきたぞ。
藍倫は闇商人から『英雄王』と呼ばれているのか。
魔王のような存在とされている私と、扱いがえらく違うのは何故なのかしら。
ペンギンも四天王がどうのこうのと言っていた。
そもそも英雄王と呼ばれる者が、その社会のゴミである闇商人の取り立て代行をしたら駄目だろ。
そう言えば、土竜にサングラスを高値で買わせた新人の闇商人がいた。
おそらくだがその闇商人とは鳳仙花で間違いない。
まぁ、今更どうでもいいことだ。
―――――――声を荒げていた鳳仙花が、突然、付けていたガスマスクを外した。
この流れだと美少女が出てくるものと予想されたのだが、そうでもない。
汗だくになって現れた女の子は、それほど可愛くもない普通の容姿であった。
そして鳳仙花は、外したガスマスクを力の限りタグボートの底に叩き付けると、物凄い剣幕で怒りをぶちまけ始めた。
「このガスマスク。呼吸がしにくいんですよ。ああああ、不良品を掴まされてムカツク。とにかく暑い。この着ぐるみも通気性が悪い!」
この海域の気候は湿度が高く、暖かい。
薄着でないと、少し汗ばむくらいの環境だ。
お気に入りのガスマスクが不良品で、着ぐるみは劣化品だったというわけか。
鳳仙花は買い物が下手という疑惑が生まれてきたぞ。
いや。間違いなく衝動買いをして失敗を重ねていくタイプだ。
闇商人を廃業してしまったのは必然な流れだったということか。
少女が自身の踏んだ地団駄によりタグボートが大きく揺れてしまい、背中からこけてしまっていた。
そして例のごとく、一人で起き上がれなくなりもがいている。
自爆した姿は見ていて心が癒されます。
とはいうものの、このまま放置しておくと脱水症状を起こす可能性がある。
また倒れられても面倒だし、着ぐるみを脱がせてあげましょう。
もがいている着ぐるみの少女を転がして、背中にあるファスナーを開いてあげると、無地のTシャツと短パンをはいたおかっぱヘアーの少女が血相をかえて脱出してきた。
「ぶぅわぁ!死ぬかの思った。」
「何はともあれ、助かって良かったですね。」
「三華月様は命の恩人です。」
「大袈裟すぎです。」
「話を戻りますが、紅蓮の英雄をぶっ殺す件は、やはり駄目ですか?」
「はい。同族殺しは禁止されておりますので、お手伝いはできません。」
「やっぱり駄目ですか。分かりました。ぶっ殺す件は諦めることにします。」
「それはよかった。それでは要件も済んだようですし、私は失礼させてもらいます。」
「そうですね。それでは、そろそろ行きましょうか。」
汗だく状態になっていたTシャツ短パン姿の少女は、用意していた水筒を直角に立て喉をゴクゴクと鳴らしながら飲み始めている。
今しがた私と一緒にここから出て行くみたいな言い回しをしてきた。
考えてみると、闇商人を廃業したならば、ここから出ていくのが必然だ。
海面から15m程度の高さにある甲板から私達を見下ろしている多くの闇商人達の姿が見えるが、おかっぱヘアーの少女の行動を阻もうとするような行動は見受けられない。
周囲を忙しそうに飛んでいるドローン群からも、攻撃してくる気配はない。
「鳳仙花。この世界から出て私と一緒に地上世界へ行くつもりなのでしょうか。」
「もちろんです。眷属の一人として、三華月様の旅に同行したく思います。」
「えっ。今なんと言われました。鳳仙花は私の眷属になったのですか?」
「はい。宣言すれば、三華月様の眷属になれると聞いています。」
「…。」
「来る者は拒まずみたいな感じですよ。」
ズリシと心が重くなる。
物凄く重いものを背負わされた気がする。
宣言したら眷属になれるという都市伝説みたいな噂が、知らないところで流れていたのか。
そう言えば、ペンギンも土竜も勝手に眷属を名乗っていた。
信仰心に影響がなければ、どうでもいいので放置していただけ。
私の眷属になったとしても、利点は一切ないと思うのだが。
「三華月様。私は一文無しなのです。」
「藍倫に有り金の全てを注ぎ込んたせいですか。」
「はい。無茶苦茶、お金を釣り上げてくるんですよ。」
「なるほど。藍倫の尻拭いもかねて、旅に同行する件、承知しました。」
「有難うございます。三華月様に断られたら、野宿暮らしをするところでした。」
「眷属と言うよりは、実際のところ、私へ生活保護を求めてきたわけですか。」
「はい。そう受け取って頂いて問題ありません。」
思い返してみたら、私の眷属はみんな生活保護みたいな感じだったような気がしてきた。
鳳仙花から旅の同行を求められた件については、放り出すこともできない。
ズリシと重くなった心が更に重くなった気がしていた。
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