第87話 vs黒河膳

工場であった建物をリフォームした宿屋の入口ホールにある吹抜けの窓ガラスが、降ってきた雨に濡れてきており、昼間にも関わらずロビー内の壁にあるブラケットライトには灯りがついていた。

宿屋のフロントカウンター前にいる制服を着た従業員と綺麗な服装をしたお客さん達の声が聞こえてくる。

観葉植物の鉢がたっぷりと間に置かれている大きなソファーの向かいには、佐藤翔と一緒に召喚されてこの世界にやってきたという黒河膳が座っており、その隣にはボディーガード役の獣人ちゃんが腰掛けていた。

佐藤翔からまとまった金を預かって温泉をつくるためにS王国からやってきた黒川膳は、三条華月と名乗る者から詐欺にかけられてお金を巻き上げられてしまった、間抜けな鴨だったようだ。



「黒河様は、温泉をつくる融資を受ける約束をした貴族、三条家当主と話しをしたと言っておりましたが、その者は本人で間違いなかったのでしょうか。」

「心配無用でござる。拙者は『鑑定眼』の持ち主なのです。拙者の目を誤魔化すことなどできぬでござる。」

「もしかして、その三条家の当主と名乗る者に手付金みたいなものを、もうお渡しされたのでしょうか。」

「聖女殿。何度も言うが、『鑑定眼』で確認したところ、拙者が交渉した相手は三条当主の華月様で間違いござらぬ。そして、手付金をお渡しした代わりに、三条華月様ご本人の直筆で書かれた借用書も貰っているでござるよ。」



全身をタプタプさせている黒河膳が、緩い笑顔を浮かべながら、偽の借用書を見せてきた。

もう、有り金の全てをむしり取られてしまった後みたいだ。

帝都筆頭4家の一角である三条家当主の華月と名乗る詐欺師と共同事業主の契約を行い、その詐欺師に訳が分からないまま手持ち金のほぼ全額を支払ってしまっていた。

異界神の神官達が召喚してくる異世界人は、人生に不満を持っている者がほとんどであり、世間知らずで厳しさに欠ける者が多く、召喚された際にスキル『鑑定眼』を獲得していた黒河膳もその例外ではなかったようだ。

信仰心が稼げる要素が無い黒川膳には、何の魅力もなく、興味もない。

適当に話しを切り上げて、次元列車がF美を元の世界へ帰して後こちらへ戻ってきたら、続いて黒河膳を送り届けてもらうことにしよう。



「黒河様が会ったその者は三条華月ではありません。あなたは詐欺にあってしまい、有り金の全てをむしり取られてしまったのです。」

「な、何を言う。そんなことは絶対に無いでごさるよ。拙者はA級スキル『鑑定眼』の持ち主ですぞ。拙者が会って話しをした女性は三条華月殿で間違いござらぬ!」

「その者が偽物だという理由は、私が本物の三条華月だからです。」



何気ないカミングアウトに黒河膳がフリーズした。

ボディーガード役である獣人ちゃんが、隣りで興奮状態になっている黒河膳を冷めた目で見ている。

これは駄目な奴を見る眼だ。

先ほど獣人ちゃんが私を威嚇してみせたのは、黒河膳に対する『あなたのために仕事をしていますよ』というアピールで、黒河膳を金ずるとしか見ていないのかもしれないな。

現実を受け入れられないでいる黒河膳は、自身に言いきかせるように声を張り上げた。



「A級スキル『鑑定眼』を持つ拙者が詐欺にあうはずないでござるよ!」

「そもそも黒河膳あなたの『鑑定眼』は本当にA級相当のスキルなのでしょうか?」

「なんですと!」



『鑑定眼』といっても上級から下級のものまで存在する。

再びフリーズしている黒河膳は、私からの質問に対して言葉が出てこないようだ。

仕方がありません。

答えやすい内容に質問を変えてあげましょう。



「質問を変えます。黒河膳あなたの獲得した『鑑定眼』が、A級相当のスキルであると誰に教えてもらったのでしょうか。」

「そ、それは拙者達を召喚した者達でござるよ!」



佐藤翔を召喚した者達といえば、佐藤翔の元から離れていった異界神の教徒達なのだろう。

その異界神の教徒の立場になり考えてみると、いくら黒河膳がポンコツといえども、希少なA級相当のスキルを獲得している者なら手元に置いておきたいと思うはずだろ。

状況より推測すると、黒河膳の『鑑定眼』は高確率で低ランクであると推測される。

―――――――そしてもう一つ。瞳を見て気が付いたのだが、黒河膳は何者かにより『催眠』をかけられていた。

上級スキルを獲得していたとしても無敵ではない。

世界で最も武装強化をされている私でさえもステータスダウン系のスキルには耐性が無い。

仮にA級クラスの『鑑定眼』をもっていたとしても、『催眠耐久』が無ければ簡単に騙す事が出来るのだ。

人に認めて欲しい欲求の塊のくせに何も行動を起こさない者が、特殊なスキルを獲得しても厳しい社会に出たらハイエナ達の餌食になるだけなのである。



「気がついていないようですが、黒河膳あなたは何者かに『催眠』をかけられています。『鑑定眼』を獲得していても騙す手段はいくらでも存在します。」

「何ですと。拙者が催眠にかけられているというでござるか!」



一言呟くと黒河膳は再びフリーズした。

―――――――その時、スキル『未来視』が発動した。

黒河膳が『拙者は催眠になどかかっていないでごさるよ!』と、火山が噴火するように無数のツバを飛ばしてくる未来が見えたのだ。

身の危険を感じた瞬間、私自身にかけていた神経回路のリミッターを反射的に外していた。

脳内処理速度が加速して跳ね上がっていく。

世界から音が消え始め、周囲がスローモーションになっていき、時が静止していく。

静止してしまった正面にいる黒河膳は、ツバの粒を大噴火させるコンマ1秒前の状態で時が止まっていた。

私の体は、深く座っていたソファーから状態から浮き上がり、腰を回転させて、軸足に加重が乗り始めている。

静止した空間の中、私のつま先が真一文字に走り、黒河膳のあご先を捕らえた。

一瞬の出来事である。

冷静に考えれば、無数に発射される散弾つばを私なら回避する事も出来ただろうが、遺伝子に刻み込まれた本能が、黒河膳に蹴りを入れる選択をしてしまった。

蹴りを入れた後で思うのも何何だけど、黒河膳は生きているのかしら。

音が少しずつ戻りはじめ、止まっていた景色が動き始めていく。

ソファーから立ち上がり怒りの雄叫びを上げようとしていた黒河膳が、横一閃されていた蹴りに気絶し、床へ崩れ落ち始めた。

そして私を見ていた獣人ちゃんが顔を赤くして「ヤバい、超格好いい…」と呟く声が聞こえてきた。

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