お手伝いは障子の張替え

「しっかり押さえててくれよ」

 木枠の上に乗せた白くて長い紙の端っこを私が押さえて、辰之助が逆側をそっと伸ばして木枠の反対側へ持っていく。

 釘を刺されたので私は手に力を込めてしっかり押さえ、「はい!」と答えた。

 辰之助は木枠にそっと紙を下ろし、指で少しずつ木枠にくっつけていく。

 木枠には糊が塗ってあって、こうして長い紙……障子紙……を下ろせばくっつくようになっている。

 障子張替えなんて私は初めてだった。

 実家に障子があるような部屋はないし、おじいちゃんおばあちゃんの家に和室はあるけれど、それを張り替えたことなんてない。

 それが急に「お前、手伝えよ」と辰之助に召集をかけられて、手伝わされることになった次第。

 破ったのは辰さんなんだけどなぁ……とちょっと理不尽に思いつつも、面倒を見てもらっているのだから私は素直に手伝うことにしたのだった。

 そう、辰之助がこの障子を破ることになってしまった一連の出来事。

 もう昨日のことだ。

 道場破りと称してやってきた男はもうとっくに目を覚まして、昨日のうちに帰っていった。


「すまん、まったく覚えておらんのだ」

「面倒をかけたようだな……」

 などと言って、本当にあのときの彼に意識はないようであった。

 あの黒くてどろどろしたものに乗っ取られていたのは本当らしい。


「よっしゃ! これであとはそっちにあるので最後だな」

 障子紙を貼り終えた一枚を、乾かすために道場の隅に立てかけてきた辰之助が、嬉しそうな様子で最後の一枚を持ってくる。

 床に置いて、まずは刷毛で水を塗って破れた紙を剝がすのだ。

 ここまでもう何枚も張り替えてきたので手順はもう完璧。私も刷毛を持って、丁寧に古い紙に塗り付けて濡らしていった。

 これが染みた頃、そっとこそげとれば、綺麗に剥がれる。辰之助に手順を教えてもらって、その通りにするので精一杯だったけれど、そろそろ余裕が出てきた。

 よって、私は気になっていたことをやっと質問できた。

「あの、辰さん」

「なんだ。終わったらお流が握り飯でも出してくれるって言うから、もうちっと頑張れよ」

 どうも違うように取られたらしく、私は慌てた。そんな食いしん坊のようなことを。

「いえ、そうじゃなくて……昨日のあれ、この障子が破れることになった原因なんですけど」

 説明すると、辰之助は刷毛で水を塗りながら「ああ」と言った。

「ありゃ、妖魔ってやつだ。お前に初めて会った日、町に陰陽師が来てるって話をしたろ。ここ数ヵ月で一気に増えたから、それを祓いに来てんだよ」


 なるほど。


 しかしここ数ヵ月、一気に増えたとはどういうことだろう。

「あれは……えっと、妖怪みたいなものですか?」

 思いついたことを聞いてみたけれど「違うな」と言われてしまった。辰之助ははじめに水を塗ったところへ移動して、紙のふやけ具合を確かめている。

「妖怪……あやかしは、そりゃあ悪さもするが時に人間を助けてくれたりもするだろ。昔っからいるもんだし。しかし妖魔は違う。悪さしかしねぇ。昨日のあの男を乗っ取ったみたいに……ああ、そういやあんたをはじめに襲ってきたあの辻斬りも多分同じだったな」

「え、そうなんですか?」

 辰之助は紙をこそげ取るべくへらを手にしつつ「ああ」と言った。

「多分、憑りつかれ方が根深かったんだろうな。それで斬るしかなかったんだが。ま、死んじゃいないと思うけど」

 辰之助は軽く言ったけれど、私はぞくっとした。

 見てしまった赤い血と、男の叫び声が頭に蘇ってしまったのだ。

 死んじゃいない、と言われたってあれほど血を流していたのだ。ただで済んだはずがない。

 いや、今はそれどころじゃない。

「そ、そうなんですね。あの、じゃあ辰さんのあの……橙色の光みたいなのは?」

 私は一旦辻斬りの話を終わらせて、別のことを聞いた。

 私の質問に辰之助は顔を上げて私を見た。

 そのときの視線がどこか重いものだったので私はちょっとたじろいでしまった。

 けれどすぐに笑顔に変わる。ごく普通の表情だ。

「ありゃ、加護の力だ。俺の仕事は道場の食客とか用心棒だって言ったろ。妖魔と対抗する力が必要になんのさ」


 なるほど。


 私はもう一度納得した。

 確かにあの妖魔とやらは普通ではなかった。つまり普通に日本刀で斬っただけでは撃退できたりしないんだろうな、と私は推測した。

「よし、じゃ、糊を……ありゃ、ちっと少ねぇな」

 辰之助は糊の入った皿を見たけれど、少し心もとない量に見えた。

「仕方ねぇ。ちっとお流に頼んでくるわ」

 面倒だ、という様子ながら辰之助は立ち上がった。

 しかし嫌々という様子ではない。単にたくさん張り替えて少し疲れた、という感じである。

「じゃあ、私、紙の支度をしてますね」

「おう、頼んだぜ」

 厨のほうへ向かう辰之助は少し振り返って、笑みを浮かべた。



 それから無事に障子張替えは終了して、二人で約束通りおにぎりをいただいた。

 塩と梅干しだけのおにぎりだったけれど、労働のあとではとても美味しく感じてしまった。

「じゃ、俺は別の用があるから行くわ。夜留子は?」

 ぺろっとおにぎりをみっつばかり平らげて、辰之助はその場を立った。私はまだふたつめのおにぎりを頬張りながら返事をする。

「私はお夕食作りのお手伝いでもします」

「そっか。じゃ、頼むぜ」

 それで辰之助は出て行って私一人になった。おにぎりも食べ終わって、その場の片付けをはじめる。

 そこへがらっと戸が開く音がした。

「辰にいちゃん! 早くなったけど、もう稽古してくれる……、あれ?」

 見れば子一郎が道場の裏口を開けて、こちらへ顔を見せたところである。

 しかし居たのは私。ちょっと不思議そうにされた。

「ねえちゃんだけ? 辰にいちゃんは?」

 不思議だと思ったようだ。私はあわあわと説明する。

「辰さんならなにか用があるって、先に帰っちゃったの。さっきまで障子の張替えを一緒にしてたんだけど……」

「ふーん。そう言われれば障子、すっげ綺麗だな。でも昨日まで普通だったじゃん」

 障子は褒められたけれど、子一郎の返しに、はっとした。

 障子が破けた話はして構わないだろう。

 でも妖魔がどうこういう話。どこまで話していいのかわからない。

 よって私は無難なことを言っておいた。

「じ、事故で破けちゃってね、張り替えをしたの」

 子一郎は幸い、それで納得してくれたようだった。

「そうなんだ。でも辰にいちゃんが破ったとかじゃないの?」

 しかし言われたのはそれで、しかもその通りだったので、私はぎくっとしてしまう。

 確かにその通りであるが、経緯を説明していいものか……。

「あ、やっぱそうなんだ。にいちゃんの稽古と剣はたまに荒っぽいからなー」

 私の顔を見て勝手に解釈したようで、子一郎はくすくすと笑った。

 『荒っぽい』の内容がなにを指しているかはわからなかったが、まぁ波風たてることはあるまい。私は笑みを浮かべて「そうなの」と言っておく。

 その間に子一郎は近くまでやって来ていて、障子をしげしげと見ている。

「辰にいちゃん、荒っぽいけど器用なんだよな。きちーんと貼れてるや」

 感心したように言う様子は、本当に心から辰之助を兄貴分として慕っているという様子で、私はなんだかあたたかい気持ちになった。

 しかしその後ろ姿を見て、私はちょっとどきっとした。

「子一郎くん、うしろ、破れてるよ」

 着物のうしろのあたり。ちょうど真ん中のあたりがざっくりと空いている。破れたのだろうと私は推測して言ったのだけど、子一郎はこちらを振り向いて、下のほうを見て「ありゃ」と言った。

「なんかぱっくり開いてきちまってさ。もう駄目かな、これ」

 困ったように言う子一郎の紺色の着物。

 私は気になったので「ちょっと見てもいい?」と断って、うしろへ膝をついて手で裾を持ち上げた。

 手に取ってみてわかった。

 これはただ糸がほつれているだけだ。

 和裁には詳しくないけれど、縫い物に変わりはないだろう。

 特に手縫いなら同じに決まっている。

「糸がほつれてるだけだよ。良かったら直してあげようか」

「え、ねえちゃん直せんの?」

 私は言って、懐からあるものを取り出した。子一郎が不思議そうに振り返る。

 私が取り出したのはソーイングセット。この世界へ放り出されたとき、なんの偶然かジャケットに入っていたもの。

 なんとなくそのまま携帯していたほうが安心かと、懐に入れて持ち歩いていたのである。手のひらに乗ってしまうほど小さくて軽いのだから、そう負担にもならないし。

「うん、少し縫えばいいだけだから」

 私はソーイングセットを開けて針と糸を取り出したのだけど、それを見た子一郎は目を輝かせた。

「なにそれ、かっけー! 裁縫箱!?」

「あ、うん。持ち運びできる裁縫箱みたいな……」

 確かに異世界のものだ。珍しかっただろう。こういうものがこの世界にあるとは考えにくいし。

 無駄に興味を引いてしまわないようにさっさと終えようと、私は糸を通した針を持って、もう一度、子一郎に「まっすぐ前を向いててね」と言って着物の布を手に取った。

 ちょっとだけ様子を見たけれど、やはり普通に縫われているだけだ。これなら真似をして縫えばいいだろう。

 まずはほどけた糸を切って、抜いて、ほどけていた部分から手にした針で縫い直す。

 縫い方は波縫いだったので、ただ丁寧にしていくだけだ。

 すっすっと手を動かしている間、子一郎は大人しく立ちながら感心したように言った。

「すげーや、ねえちゃん。母ちゃんみてぇ」

 その言葉にした返事に他意はなかった。そう言われたから普通に返しただけ……だった。

「そうなの? 子一郎くんのお母さんはお裁縫、苦手?」

 子一郎の着物がほつれていたのに気付かなかったのか、それとも気付いていたけれど、苦手だから直しに出すところだったのか……。

 でもそんな平和な思考は吹っ飛んだ。


「おれ、母ちゃんがもういないからさ」


 心臓がひやっとした。

 お母さんが、いない。

 気軽に聞いてしまったことを一瞬で後悔した。

「そ、そうなんだ。ごめんね、そんな事情を……」

 私は手を止めないままに、後悔しつつ謝った。

「え、ううん、別に気にしねぇよ。みんな知ってることだし」

 子一郎は軽く言ったけれど、私の心は別の意味で痛んできた。

 この子はまだ十歳になるかならないかだろう。それなのにお母さんがいないというのだ。

 もう二十歳を超えている私だって、お母さんがいなくなればすごく寂しいし、それに困ってしまうだろう。

 なのに。

「長屋で同じような子たちと暮らしてるし、世話してくれるおばちゃんなんかもいるし、フツーだよ」

 なのに子一郎は軽くそう言うのである。


 長屋。

 同じような子たち。


 そこから察するに、子一郎のような親のない……みなしごのような子は、それなりにいるようで。

 特別珍しいものではないようで。

 でもそれは問題ではないか?

 そんなものが珍しくないなんて、私のいた世界とはやはりまるで違うのだと思い知らされる。

 私が考えつつも手を動かしていたおかげで、繕い物はもう終わってしまった。子一郎は見えないだろうが、うしろを見ようとする仕草をする。

「ありがと!」

 明るく言われて、私もにこっとしてしまう。

「いいえ。私に手伝えることがあったら言ってね」

「うん! じゃ、おれは自主稽古でもするかなぁ」

 子一郎も私に笑い返してくれて、それから子一郎はあとからやってきたほかの子供たちと稽古をはじめたようであった。

 私はお流を手伝って夕食の支度をする。

 この世界の食生活は基本的に質素だ。米と野菜が中心。そういうところも昔の日本のようだ。

 炊いたご飯、煮物、味噌汁。

 そんなものだったが、道場の皆、宗太郎やお流をはじめとした、門弟だというひとたちは美味しそうに食べてくれて。


 でも。


 辰之助は戻ってこなかった。

 てっきり夕食までに戻ってくると思ったのに。

 私は気にしてしまいつつも、そういうこともあるだろうと、食べ終えて、後片付けをして、居させてもらっている長屋へ帰ることにしたのだけど。

 どうも事態は穏やかではなかったのである。

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