対決・道場破り
今度、辰之助が構えているのは竹刀である。
それはそうだ、道場破りと物騒な名前こそついていれども、模擬試合のようなものだから。
なのでそれほど心配は要らないだろう、と私は広く開けられた道場の隅に座っていた。
それでもそわそわしてしまう。
だって剣道の試合のようなものだろうが、見たことがないのだから。
楽しみやら、緊張やら、打ちあうのだからちょっと怖いやら。
「お頼み申す」
辰之助の向かいで竹刀を構えたのは、中年に差し掛かろうとしている男性。ぺこりと礼をして構える。
防具とかはないのかな、と思った私だったが、ないだろう。つけないということは。
「こっちこそ頼むぜ」
相対する辰之助も小さく礼をしてから構える。
宗太郎が審判をするらしい。すっと手を上げた。
「……はじめ!」
言われると同時、男が動いた。
「はぁっ!」
振りかぶり、突っ込んできたが、パンッと辰之助の剣が弾いた。
私は既に息を呑んでしまう。
辰之助の腕が並みのものではないのは助けてくれたときに感じていたけれど、本当にそのようだ。
パン、パンッと竹刀のぶつかりあう軽やかな音が弾けた。
ただ、顔つきはまったく違っていた。
両手で構え、受けては弾く辰之助は楽しそうな表情をうっすら浮かべていた。
対して男は必死といった様子。
力の差は歴然であった。
が、辰之助も即座に叩きのめす、というほどではないらしい。
自分からも打ち込み、男に受け止めさせる。
「くっ……」
辰之助の一撃。切り込んできたそれを、斜めにした竹刀でなんとか受けて、男が顔を歪めた。
それを見て、辰之助はにやっと笑う。
「こっちが……がら空きだぜっ!」
パンッ!
いい音がして、男の胴が打たれていた。
勝負あり。
「うぐっ!」
男はその場に膝をついた。打たれた胴を押さえてうめく。
大丈夫かな、と私は心配になった。あんなところを竹刀で打たれては痛いに決まっているだろう。
他人事ながら、それも道場破りをしてくるような相手ながら心配になってしまったのだけど、これで終わりではないようだ。
「一本!」
宗太郎が手を上げて宣言する。それで次の一戦になった。
だが辰之助が押しているのは同じであった。
私は、すごい、と思ってしまう。
振りかざす剣は竹刀だけれど、まるで真剣のような鋭い閃きなのだ。きらっと光ってすら見えるように錯覚する。
相対する男は一本目に胴を取られたのが効いているのか、少々動きがおぼつかなかった。
そんな状態で辰之助に適うものか。二本目も辰之助が取った。
勝負は三本だろうか、五本だろうか、と詳しくないながら私は思ったのだけど、どうやら五本の模様。もう一戦はじめられた。
「く、くそっ……!」
最後の一戦。
相対した二人、その奥のほう……男がいるほうが不意にどろっとした。
男の足元からなにか黒いものがたちのぼる。
え、なに、あれ。
煙、いや、そんな軽そうなものじゃない。
むしろ泥かなにかのようにどろどろして見える。
「……てめぇ……」
辰之助も構えつつ、目を丸くしたようだった。つまり辰之助にとっても意外なことなのだろう。
そのどろどろしたものはするすると男の体のほうへ上がってきて、やがて竹刀にぬるりと絡みついた。
まさか、あの剣で打つつもり……。
私が息を呑んだときには男が竹刀をかざして辰之助に突っ込んでくるところで。
「がぁぁっ!」
声を上げたけれど、それはさっきとは違い、ひととは思えないような声だった。獣にも似たもの。
「チッ……、妖魔遣いかよ!」
辰之助は舌打ちをして、竹刀を横に構えた。その竹刀をすっと引き、パンッと……弾こうとしたところで。
どろっと辰之助の竹刀にも黒いものがまとわりついた。
ぬるぬるとして弾かせない。
辰之助はもう一度、舌打ちをすることになったけれど、不意にぐいっと竹刀を引いた。
その拍子に黒いものがずるっと糸を引くように引いて、私はぞくりとした。
なにか悪いものなのは明らかであった。
これは現実なの、こんなことが現実に起こるわけは、いや、ここは異世界だけど、まさかそんな……。
「わりぃな、ちっとだけ、使うぜ!」
辰之助の引いた竹刀。その柄。
急にぽうっと光を発した。
いや、光を発しているのは竹刀じゃない?
私は急な光に目を細めつつ、なんとかそれを確認した。
その光はすぐ橙色になり、色が濃くなり、まるで炎のようにゆらりと揺れた。
「おら、よっ!」
ボッ、と点火するように竹刀にその色が乗り移る。
その竹刀で薙ぎ払うようにしたのは、男の持っていた、ぬるぬる黒いものがまとわりついた竹刀。
パンッという、ここまでしてきたような音はしなかった。
代わりにゴォッ……という音が鈍く立ち、またたくまに黒いものは覆いつくされていった。
まるで火事のように、火が家屋を呑み込むように、どろどろした竹刀は橙色の光に呑み込まれる。
ぱぁっと強い光が弾けて、私はとっさに顔の前を覆った。
焼きつくされる、と思ってしまって。
パンッとなにかが弾ける音もする。小さなものであったけれど、正体を確かめている場合ではなかった。
「ぐぁぁ……!」
その光と音の中で男が苦しそうな声を上げ、竹刀の柄から手が離れた。
ガシャンッ、と竹刀が道場の床に落ちる。
どろどろとしたものは、まるで零れるように床に広がっていったけれど、やがてすぅっと霧が四散するようになくなっていった。
消えた、のかな。
私はことの次第がちっともわからないまま、呆然と思った。どろどろした黒色が消えたとき。
ドサッと音が立った。
膝をついた男が横ざまに倒れ込んだ音だ。
どうも気を失ったらしい。
もしかして、あの黒くてどろどろしたもののせい……?
私は一気に込み上げてきた恐ろしさに震えつつ、思った。
どうも間違いではなかったようで、辰之助はその男のそばに行き、しゃがみ、様子を見るように肩に手をかけた。
触って大丈夫なのかな。
ひやっとした私だったが、それは杞憂だった。
辰之助はほっとしたような顔で、男をそっと、上向きになるように寝かせた。
「妖魔使いってより、憑りつかれてた、って感じかね」
はぁ、とため息をついて、それは離れたところに座っていた、審判の宗太郎も同様だったらしい。
「最近、多いと聞いてはいたが……まさか道場破りにまでくっついてこようとは」
とりあえず、一段落……?
私も息をついて、ほうっと肩の力を抜いた。
「ま、抜けたみたいだから寝かしときゃそのうち気付くだろ。無事そうなら帰してやりゃいいよな」
「そうだな。……おーい、お流!」
辰之助の言ったことに宗太郎も同意して、声を上げた。
お流を呼んで、布団の支度でもしてもらうのかもしれない。
「やれやれ。予想外になったが、宗さん、報酬は弾んでくれよな」
竹刀を片付けるのだろう、肩に行儀悪く担ぎつつ、辰之助はにやっと言った。
が、それは宗太郎が、すっと指差した方向によって、げっ、という顔に変わる。
「報酬は出すが。お前、あれを張り替えろよ」
「うわ……、久しぶりにやっちまったな」
そちらを見てみると、道場の窓に嵌まっていた障子。
紙がずたずたに裂けていた。
どうもさっき放った光だか衝撃だかで破れてしまったようだ。
なにか弾けるような音の正体を、私はやっとそれではっきり知った。
「やれやれ……めんどくせ……」
辰之助は肩を落としつつ道場の奥へ行く。今度こそ竹刀を片付けるのだろう。
大変なことになったようだったが、一応、犠牲になったのは障子の紙だけで、平和に終わったようだ。
まったくなにがなんだかわからない、と私は違う点に首をひねることになってしまったけれど。
この世界は一体なんなのだ。
どろどろした黒いもの。
辰之助と宗太郎は『妖魔』と言ったけれど。
あんなものがいる世界なのだろうか。
そして辰之助の手から、竹刀から溢れた橙色は。
あれを倒せるものだったのは確かだけど……。
色々聞きたいことはあったけれど、とりあえず私はお流を手伝うことにした。
宗太郎が奥へ運び、お流の敷いてくれた布団に寝かせた男。
ただ、無表情だった。
ただ、眠っているようだった。
一応、さしあたっては問題なさそうに見えて、私はほっとしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます