『ばらがき』の謎
「……というわけで、俺んとこでしばらく預かることになった」
今度は板張りの間、道場というところに招かれて正座をして、私は主人というひとに紹介されていた。
正座はなるべく短いといいんだけどな、と内心思いつつ、私は足の先をもそもそさせる。少しでも血の巡りが悪くならないように。
『主人』と言われたので年配のひとかと思ったのに、彼・宗太郎(そうたろう)というひとはまだ三十歳前後くらいに見えた。
辰之助は二十代半ばくらいかと私は推測していたので、そう歳が変わらないことになる。
この世界の事情はよくわからない、と思いつつ、私は「よろしくお願いいたします」とぺこりと頭を下げた。
「辰が女を預かるとか、獲って食われないように気をつけろよ、嬢ちゃん」
言われてどきっとしてしまう。
確かにその通りである。
実際に昨夜、襲われかけた(?)のだし。
気をつけよう、と私は気を引き締め直した。役に立つかは謎であったが。
「こいつは食客なんてやっちゃいるが、なんせ、ここらのばらがきだからな、女にもだらしないし」
「宗さん! 余計なこと、吹き込まんでくれよ!」
それは戯れの会話だったと思うのだけど、私にとって気になったのは『女にだらしない』というところではなくて、その前のところであった。
「あの、質問なんですけど……」
そろっと手を上げてしまってから、学校の先生にするようであった、と恥ずかしくなったけれど、それはともかく。
「ばらがき、というのは、なんでしょう」
それである。
知っているような、知らないような言葉。
宗太郎という主人と、辰之助は顔を見合わせた。
そして辰之助が誤魔化すように、フォローするように説明してくれた。
「わりぃな、宗さん。こいつ、あんま俗に詳しくねぇんだよ」
「そうなのかい。そんな子を預けるとか余計心配だが。ま、質問だったな」
辰之助と二人のときに聞けば良かった、と少し後悔したのだけど、聞いてしまったものは仕方がない。
宗太郎は少し困ったような顔をして、頭に手をやった。
「褒められたもんじゃねぇけどな、あー……フラフラしてて、崩れてて、カタギじゃなくて、悪さばっかする男衆、って感じかね」
「ぼろくそだな」
考えたようだったが、出てきたのはそれであったので辰之助のほうが苦笑した。
だが否定はしない。ということは、ある程度は本当のことなのだろう。
私はそれで理解できたけれど。
なるほど、つまり私のいた時代で言うところの『不良』というわけである。
もしくは『ヤンキー』とか。
だが理解して、余計疑ってしまうことになった。
どう聞いても穏やかなひとではなさそうだ。
ここまで優しくしてくれて、人当たりも良いひとであったけれど、そう言われてしまうような立場なのだ。
信じて良いのか、という点は疑うというほどではない。
でも完全に身を任せていいとか、そういうものではないような気がする。
と、私は認識を新たにしたのであった。
「そう、なんですね」
ただ、言えたのはそれだけであった。
実際、ほかに言うこととしては「教えてくれてありがとうございます」くらいしかない。
「ま、ばらがきっちゃそうだけど、食客もそうだし、一応あれこれ金の工面はしてるからな、ただ飯食らいじゃねぇよ」
辰之助はフォローするように自分で言う。
なるほど、不良ではあるけどニートではない、というところだろう。私の世界の言葉で言うと。
そして食客、というのはこの道場の助けをしているという意味のようだ、とも推測した。
「申し訳程度のくせにな」
「俺がいなくなったら困るくせによ」
辰之助と宗太郎は軽口をたたき合う。ここでも親し気な様子であった。
辰之助は確かに『ばらがき』であるものの、コミュ力が高いというか、ひとに好かれるタイプなのだろうと私に感じさせてくる。
「ま、俺のこともわかったろ。じゃ、道場のほかの奴らにも紹介すっかね。しばらくここにも出入りするかもしれねぇし」
言って、辰之助は腰を上げた。
私も立とうとしたのだけど、例によって足はびりっとした。
ここで倒れ込むわけにはいかないので我慢して、何事もないふりをしてなんとか立つ。
が、辰之助の足は道場の奥ではなく、そこに止まってしまった。
「頼もーう」
重たい、太い声が、やってきた戸口のほうから聞こえた。
辰之助の顔が固くなる。ちらっと見ると宗太郎も同じであった。
お客さんかなにかだろうか?
それにしては良くない反応みたいだけど……。
私は二人を見比べて不思議に思ってしまった。それは中らずと雖も遠からず、だったらしい。
「チッ、タイミング良すぎねぇかよ」
辰之助はすぐに肩をすくめて、やれやれという様子になる。
宗太郎も苦笑の顔になった。
「ま、来られちまったもんは仕方がないな」
その場に諦めの空気が広がったとき。
ぱたぱたと駆けてくる音がして、道場の入り口に顔を出したのは、さっきのお流。
「あんた! 辰さん! 道場破りだよ!」
……道場破り!?
だいぶ穏やかでない来客のようだ。
私の心はひやりとして、つい辰之助の顔を見上げてしまった。
しかし辰之助は、私ににやっと笑いかけてきたのだった。
「ちょうどいいってことかね。俺の働き、見せてやろうじゃねぇの」
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