朝ご飯は大爆発
「え、え、爆発……?」
私はおろおろしてしまったのだけど、辰之助は顔をしかめて、チッ、と舌打ちをしただけだった。
「ちょ、またなんかやらかしたな」
口調と顔はそれであったけれど、辰之助の様子は悪いものではないように私には見えた。
いや、まだ知り合ってから丸一日すら経っていないから、わかりやしないはずなのに、このひとは多分わかりやすい、のであろう。
「おい、お流(りゅう)。また爆発かよ」
辰之助は歩調を速めてつかつかと歩いて、平屋の戸口に立って呆れたように腰に手を当てた。
私は慌ててそれを追って、辰之助のうしろからそろっと覗き込んだ。
「ちょっと火が強かったみたいで……」
中にいたのは女のひと……私より少し年上に見える……であったけれど、そのそばが問題であった。
現代でいうところのこんろのようなものが設置されているのだが、そこに乗って加熱されていたであろう鍋がふたつほど土間に転がり、中身が飛び散り、おまけにこんろからは、ぶすぶすと真っ黒な煙が出ている。
「わりぃな、招いて早々、だせぇとこ、見せちまって」
辰之助は私を振り向き、きまりが悪そうに笑みを浮かべた。
私はそれより、転がった鍋やこんろのあたりをじっと見てしまったけれど。
「まったく、なにがいけないんだろうねぇ……」
お流と呼ばれた女性はぶつぶつ言いながらしゃがんで片付けようとしていたようだったけれど、私は「あの」と口を開いていた。
「突沸(とっぷつ)が起きたんじゃないでしょうか」
私の見解に、辰之助とお流が一緒にこちらを見た。
私はどぎまぎしてしまう。けれどこれでも学校では専門の授業も受けたのだ。
「とっ……? なんじゃ、そりゃ」
辰之助は顔をしかめた。今度は『わからない』という類の顔であった。
私は「ちょっとお邪魔しても良いですか?」とことわり、お流は戸惑ったようだったけれど「あ、ああ。どうぞ」と言ってくれた。
お言葉に甘えて土間の台所らしきところへ入れてもらい、しゃがんで鍋の様子を検証する。
転がっている鍋のひとつは汁物が入っていたらしい。
どうやら味噌汁。たっぷり入れられた汁も具も無残に土間の土にぶちまけられてしまっていた。きっと美味しかっただろうに勿体ない、と心が痛む。
だが今はこれが起きた原因である。
味噌汁の入っていた鍋の底は、普通に火にかけたらありえないほど真っ黒になっている。同じことが何度も起こっていたのは明白であった。
「お流さん、このお鍋、はじめから強い火にかけられたんじゃないですか?」
私が鍋の様子を見ただけで言ったことにお流は目を丸くした。
「あ、ああ……今日は、火がうまくついたもんでね。それで汁も早くあったまるだろうと思って」
朝、作った味噌汁が冷めてしまったので、もう一度あたためようとしたらしい。
それなら私の考えたことは多分当たりだ。
「冷めていた汁物を急に加熱すると、熱がこもってしまうんです。それが爆発してこういうことが起こるんです」
説明するとお流は『思い当たった』という顔をした。
「た、確かに……爆発したときは、毎回そうだったよ」
「ほぇー、見ただけでわかんのか。夜留子、あんた、学者かなんかなのか?」
辰之助は感心した様子。
「いえ、そんな……。えっと、私の……そう、学校ではこういうことも習うんです」
私のいた場所では、なんて言っては、異世界から来たらしいということがお流にもバレてしまうだろう。とりあえず初対面のひとにいきなりこの話は話が逸れる。
「ふぅん……そういう学校もあるんだな」
「ですから爆発を防ぐには、はじめは弱火にして、中身もかき混ぜながら、ゆっくりあっためると良いんですよ」
私はまだ熱いお鍋を掴めそうな布はないかどうか、そのあたりを見つつ、言った。
「そうなのかい。いやぁ、初めてここに来た子に教わっちまうとはね。ありがとう」
「いえ……」
お流に感心したように言われて急に恥ずかしくなった。
ずかずかと入っていって、おまけにえらそうに説明してしまった。
不躾だっただろうか?
けれどそれは違ってくれたようだ。
「今度から道場のメシ作りは夜留子に任せたほうがいいかね」
辰之助はお流をからかうようにそう言い、お流はちょっと膨れた。
「なにさ、私だってまずいとは言われないよ。そりゃあ、たまに爆発してはいたけどさ」
「たまにか? 結構頻繁だった気がするが」
「うるさいね」
やりとりは親しそうだった。
私はやっとその様子をはっきり見て、ちょっと気になった。
このひとたちはどういう関係なのだろう、と。
私のそれを悟ったらしく、辰之助はこちらを振り向いて、私をお流に向かって示してくれた。
「お流、こいつは夜留子。あー……縁あって、今、俺んとこで預かることになった」
「よ、よろしくお願いします」
ちょっと言い淀んだけれど、そういうことにしてくれるらしい。
話を合わせておこう、と思ってぺこりとお礼をした。
「で、こいつはお流。この道場の主人の奥方様」
最後はからかうようであった。
お流はまた「失礼ね」と膨れたが、私に向かって「どうぞよろしく」と笑みを向けてくれた。
優しそうな笑みで、私はほっとしてしまった。
そもそも、はじめにこのやりとりをすべきだったのに、と少し反省はしたけれど。
それはともかく、奥方なのだ。結婚してらっしゃるのだ。
私はほっとして、すぐに内心首をひねった。
私のそれを見て取ったように辰之助はにやにやした。
「俺の女じゃなくて、ほっとしたってよ」
言われたことに、かぁっと顔が熱くなった。
まったくそんな意味ではないのにからかってばかり。
「そんなことは思っていません!」
言ったのに、焦ってしまったからか辰之助に、更にお流にもくすくす笑われてしまった。
「いやぁ、俺も罪な男だね。知り合って間もないおなごを惚れさせちまうんだから。お流に妬かれちまうかもなぁ」
最後はお流をからかうようなものであったので、お流のほうが今度、辰之助を小突いた。
「やぁね、こんなばらがき、私が独り身でも旦那にはしないさ」
「はっ、俺からお断りだ」
そのやりとりはかなり親しいものだと感じさせられて、私はからかわれたというのに、くすっと笑ってしまった。
そして今度は別のところが気になる。
『ばらがき』とはなんだろう?
聞いたことがあるような、ないような……。
それに辰之助はどうやらこの道場に通っているとか、働いているとか、そういう雰囲気である。
聞いてみようかと思ったけれど、その前に辰之助が私を振り向いた。
「夜留子は詳しそうだからな、メシの支度を手伝ってもらいたいとこだが。一応、主人やほかのやつらに紹介もしといたほうがいいから、先に道場に行くか」
「は、はい!」
私はほっとするやら、更に大勢に紹介されるようなので緊張するやらで、硬い返事をしてしまった。
それは辰之助に笑われる。
「んな緊張せんでも。俺が食客(しょっかく)だから獲って食われたりはしねぇよ」
私の知らない言葉ばかり出てくる。
また内心、首をひねってしまったのだけど、辰之助に「ほら、行くぞ」と促された。
お鍋を鍋つかみで掴んで、一回洗うのだろう。水場へ持っていくお流に「お邪魔しました」と声をかけて「ああ、またね」と笑顔で返してもらって、私は辰之助を再び追いかけた。
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