ばらがき辰

「さて。あんた、変な服着てるけど、こんなとこでなにしてんの?」

 どうやら私を助けてくれたらしい。刀を肩に担いだ、長身の若い男性。

 しかし彼も不審そうに私を見た。

 それはそうだろう。こんな夜中に女一人でいるのだ。不審に決まっていた。

 そのひとは格好良かった。

 ふわっとした赤髪を軽くうしろでくくって、茶色い瞳の丸い目は笑えば人懐っこいだろう。

 イケメン度、満点である。

 えんじ色の着物を着流しにして、上に薄茶色の羽織を羽織って、すらりとした素足に下駄。

 ここまで怒涛の展開に流されんばかりだったけれど、私はやっと、痺れていたようになっていた頭の中が動き出した。

 しかし動き出したがゆえにわからなくなった。


 なんなのだ、この状況は。

 映画村のようなところで?

 日本刀を持った暴漢に襲われて?

 危うく斬られそうになったところへ、イケメンが暴漢を斬り倒して助けてくれた……?


 言葉で説明するならそれであったが、そんな展開が現代日本東京にあってたまるものか。時代劇か漫画の中の話だ、そんなもの。

 でも私の体験したのはそうとしか表せないわけで……。

「……」

 私の口からはなにも出てこなかった。だってなにも言えることはない。

「おーい? ショックで気でもおかしくなったか? おーい?」

 そのひとは行儀悪く、足を大きく開いてしゃがんだ。その状態で私の顔の前、ぱたぱたと手を振る。

 私はそれではっとした。

 なにか言わないと。

 とりあえず……そうだ、返事だ。そしてお礼だ。

「あ、え、えっと……だ、大丈、夫、です……」

 口を開いた。

 言葉は出てきた。

 自分でほっとする。

 それは向こうのイケメンも同じだったようだ。少しだけ表情が緩む。

「そりゃ良かった」

 親し気な口調だが、何故か馴れ馴れしいとは少し違うと感じられた。不快ではない距離の近さである。

「あの、ありがとう……ございました。助けて、くださった……んですよね?」

 明らかであったが、一応確認するように言った。

 彼はそのまま「そうなるな」と肯定してくれた。

 それなら次に聞くべきことは。

「えっと……、ここは……どこでしょう」

 そう、ここがどこで、この展開が一体なんなのかを知りたい。

 それで私が目下、この質問をできるのはこのイケメンしかいないわけである。

 けれどそのひとは「はぁ?」と盛大に顔をしかめた。

「どこって、あんた、自分のいる場所もわからないっての?」

 そう言われてしまえばその通りなので言い返せない。

 だが私の答えは「そうです」しかない。

 よって黙るしかなかった。

 沈黙が落ちる。

 そのひとはしばらく変なものでも見るような目で私を見ていたけれど、やがて、はぁっとため息をついた。

「キオクソーシツとか、そういうやつ?」

 厄介なもんに関わっちまったな。

 言わなかったけれど、その顔はそう言っていた。

 『厄介なもん』の張本人・私は「…………そうかもしれません」と答えるしかなかったのである。


 私は都内の大学に通うごく普通の女子大生、戌井 夜留子(いぬい よるこ)。

 大学生活もバイトも順調、近付いてきた就活が少し億劫だなぁ。

 そんな悩みしかない、呑気な生活をしていた。

 のに、そんな呑気な生活は一瞬にして消え失せた。多分、おそらく。



「行く場所もないんか」

 平坦に聞かれたので、私は事情を軽く説明した。

 高い建物の屋上から落っこちて、気付いたらここに居たのだと。

 よくわからずに呆然としていたら、さっきの男に襲われたのだと。

 あとはこのイケメンがしてくれた通りである。

 そのひとに聞かれて、私はやはり間の抜けた返事と思えど「そうみたいです」としか言えなかった。

 そのひとは数秒黙り、はぁー……と長いため息をついた。

 そのあと立ち上がって「来な」とだけ言った。

 私はきょとりとしてしまった。

「落としもんを拾ったと思って、一夜の宿くらいは恵んでやるよ」

 どうやら助けてくれるらしい。

 一瞬だけ、迷った。

 誘ってくれているけれど、多分助けてくれるつもりなのだろうけれど、ついていっていいものだろうか。

 だって見ず知らずのひとだ。おまけに男のひとだ。

 そんなひとに気軽について行こうなど。

 でも。

 だからといって、このままここにへたりこみ続けていても、なにも解決しない。

 それどころか、さっき既に暴漢なんて存在に襲われてしまった。ここは平穏、安全な場所ではないのだ。

 それならここにずっといるのは危険だ。

 それに今は夜で、人通りもないから不審に思われないのかもしれないけれど、朝になって人々が出てきたら、と思うとまた別の不安がある。

 どうやらここで異端なのは私のほうなのだろうから。

 よって私は立ち上がった。

 必死で走った末に転んだのだ。少しふらつく感じはしたけれど、足に力を込めて。

 幸い怪我はしていなかったようで、普通に歩くことができそうだ。

「うん。じゃ、こっちだ」

 そのひとは私が立ち上がったのを見て、微笑を浮かべた。私はその笑みにほっとしてしまう。

 きっと悪いひとではないのだろう。

 そう感じられたのだ。



「あの……、えっと、さっきの……」

 さっきの暴漢。血を流して倒れ込んだ男。

 襲ってきたのだから心配や、なんとかしてあげないと、なんて気持ちはない。

 けれど放っておいていいのだろうか。

 しかしイケメンは振り返ることなく「ほっとけ」とだけ言った。

「辻斬りがたまに出るんだ。そいつがいつもしてるようになっただけだろ。自業自得だっての」

 吐き捨てるようであった。

 それで私はやっと気付く。

 このひとだって、好きであの暴漢を斬ったわけではないのだ。

 ……私のために、刀なんて振るわせてしまった。

 実感して申し訳なくなった。だからといってなにもできないけれど。

 ただ、地面に立ったとき『辻斬り』の男の刀からどろっとした黒いものが抜け出して、四散していったことを思い出してぞくりとした。

 あれは一体なんだったのだろう。

 でも目の前の彼はさっさと行ってしまう。私はなるべく急いで、ひょこひょこついていった。

 ひょこひょこと、なんて足取りになったのには理由がある。

 ヒールはやはり上手く歩けない。こんな土の上では。

 東京では神社とかお寺とか、あるいはグラウンドとかでしか土の上なんて歩かないのにすんなり歩けるものか。

 私の足取りがおぼつかないのを見て取ったのだろう、彼は不審そうに顔をしかめた。

「あんた、変な履き物だなぁ。舶来品か、それ」

「ええと……普通に買ったものですけど……」

 舶来品、なんて歴史の授業でしか聞いたことがないけれど、意味はわかる。

 でもそんな表現のものではない。

 私はおそるおそるそう言った。


 ここでは異端なのは私のほう。


 さっき思ったことが町の中を歩くにつれ、強く感じられるようになっていったのだ。

 彼もそれは感じているのだろう、「ふーん」とだけ言った。

 それだけで終わらせてくれて私はほっとしたのだけど、そこで彼がぼそりと呟いた。

「まったく、当てが外れたな」


 当て?


 なんの当てだろう。

 私は首を傾げるしかなかったのだけど、とりあえず私に向けて言われたものではないらしい。よって気にしないようについていって……。

 彼が「ここだ」と示したのは、町外れの一軒の平屋だった。

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