第7話 美琴

ある日、涼から「美琴ちゃんも交えてお茶会しましょう。」と連絡があり、安曇は菜摘と北家を訪ねた。

北家にお邪魔すると、既に、見事なアフタヌーンティーのセットがテーブルに置かれており、流石の安曇も驚いて

「涼さん凄いわ〜!大学の講義だってここまで再現出来ないと思う!!」

と、感嘆の声を上げた。

「お母さんって凄いでしょ〜。私は2度目ね。強制性行為法に参加する前に、ゆっくり話しましょって用意してくれて…。あのときは、大人の女性として扱ってくれたのが嬉しかったな〜。」

「食べるのが勿体ないくらい。本当に凄いわ。」

「そんなに褒められると照れますね。」

ふふっと微笑む涼に促されて、皆席に着いた。


美琴が率先してカップに紅茶を注ぐ。南の家に居た頃は自分から手伝うことも無かったので、安曇も菜摘も顔には出さなかったが驚いた。

「お母さん、大ママちゃん、お祖母ちゃん、どうぞ。あ、後はティーポットから各々でお願いします。」

美琴はそう口にすると、イソイソと自分の席につく。

「美琴、涼さんに色々教えてもらってるのね。」

安曇が声を掛ける。

「うん。お菓子作りとかも少しづつ教わってて、この前はホットケーキを焼いたの。」

「そう。今度、大ママに作ってね。」

ニコニコと笑顔で話す孫娘を見て、安曇はホッと息をついた。

「お母さん、今日のお茶会は何会なの?」

菜摘が涼に問う。

「そうね〜、恋バナ会ってどう?自分のことじゃなくても、印象に残ってる恋バナを語り合うってどうかな?」

「うわっ、涼さん、今それ?!」

安曇が目を丸くする。

「いえ、今だからいいんじゃない?」

涼が答える。

「とりあえず、溶けちゃいそうなお菓子を食べてからにして!」

美琴は何が始まるのか気にしていない様子だ。


涼は美琴に、霞澄さんが和琴とのお付き合いを申し入れて、今2人は交際しているとだけ話していた。男同士の友達関係だと思っているのではないかと南家には伝えていた。


安曇は思う。美琴は、自分が誰かを不幸にしたかもしれないなどと、考えも及ばない程に感情が育っていなかったのではと。小さな子供が玩具を欲しがるように、ただ、好きな人が欲しかっただけなのではないかと…。


しばらくして

「では私から。」

菜摘が手を上げる。

「ん?菜摘ちゃん?誰の恋バナ?」

安曇が問うと

「はい、お義母さんと、お義父さんの恋バナでーす。」

「ちょっ、ちょっと待って。な、な、何を話すの…」

安曇は慌てたが

「まあまあ安曇さん。大人しく聞きましょーね。」

ニヘラっと首を傾げた涼に静止され、安曇の目が宙を泳いだが、そんなやり取りを気にする事無く菜摘は話始めた。

「実は、お義母さんは押しかけ女房だったと大ママちゃんに聞きまして…」

菜摘の話が進むにつれ、爪の先まで真っ赤になって安曇が俯いてしまう。

「もう、酷い義娘ね!じゃ、私は一樹の話しちゃお!」

「えっ!お義母さん、それはチョット、娘の前では止めてー!!」

「はいはい、貴方も諦めなさい。」

ニコッと、涼が菜摘に声を掛ける。

一通り、父母と祖父母の馴れ初めやら何やらを聞いて

「へぇー凄ーい。いいな〜、好きな人と一緒にいられてー。」

美琴が羨ましがる。

ハァ、甘いお話ばかりね〜、とつぶやいた涼が

「では、甘い話ばかりじゃ無いのが恋バナなので、私は苦いお話をしましょうかね…。」

と、幼い頃にシェルターで出会い、その人から聞いたという話を始めた。


「その人とは十歳の頃に別れたから、もう昔話だけどね。とある男の人のお話…。その人は、私を凄く可愛がっでくれてたの。」

涼は静かに話始めた。

「その人にはね、幼い時から好きな女の子がいたの。でも、出会った時から、その子を守るように一人の男の子が、決して離れることなく傍にいて、近づく事も叶わなかった。大きくなるにつれ、どうしても我慢できなくなっていって…で、ある日同級生から話しかけられた。女の子の母親が不治の病で、治療費が高額で父親が困ってるって。確かアナタの所、土地を担保に融資を受けて新しい事業を始めるのよね。私があの人の所に嫁げるなら、融資の事も含め、父と祖父が手を貸してくれるわ。ってね。」

何やら怪しげな話に、皆耳を傾ける。

「それが、12歳の時だったんですって。おませさんよね。で、その人は父親を経由してお金を貸した。借用書には、返済が少しでも滞ったら、家族の誰かを労働力として提供する事って一文を入れて…。」

「高等学院の卒業間近、女の子の家でほんの少し返済が遅れた。それを聞きつけたその人は、労働力ではなく自分の嫁を貰い受けろって父親を焚き付けて、その女の子を無理やり卒業式のその日に車に押し込めて、家まで連れてきて自分のものにした。」

「えっ!そんな事、許されるんですか!?」

安曇が口を挟むと

「事前に事情を聞かされてたらしくて、女の子は覚悟を決めてたんでしょうね。毅然としていたそうよ。」

「そんな…。」

菜摘が口元を手で抑える。

「連れ帰って、籍を入れて、夫婦になって、大好きな女の子を、それはもう愛したそうよ。そして2人の間には男の子が産まれた。子供が産まれて嬉しかった。凄く可愛くて愛しくて堪らなかったって話してた。でもね、その人、男の子が小さいうちに家出して、行方をくらませたんですって。私は何故って、手に入れて幸せだったんでしょう?どうしてって、不思議に思って聞いたの。そうしたらね、自分達は只々家族だったって言ったの。夫婦の間には、家族としての情はあったけどって…。私は?だった。幼かったしね。

その人はね、女の子から向けられる情は家族としての情で、男として、男性として愛されている訳じゃ無いって気付いて辛くなったって。その子の中に居るのは引き離した相手で、決して消えて居なくなりはしないのだと気付いて、辛くて苦しくて逃げ出したって。」

「勝手だわ。あんまりだわ…」

安曇が呟く。

「そう、勝手ね。私に話してくれた時、後悔してるって言ってた。本当に苦しそうにそう言ったの。何もかも捨てて逃げ出して、何十年も世捨人のように彷徨って…、たまたま助けた相手に縋られて、安らげる場所を手にして…。自分を愛してくれる人を抱きしめた時、死ぬ程後悔したって…。」

「お祖母ちゃん、好きな人と一緒にいられるのに辛いなんてあるの?」

美琴が聞く。

「そうね。美琴ちゃんには少し難しいかもね。感情ってね、立場によって複雑なのよ。一緒にいるからこそ辛い事もあるの…。」

涼が答える。

「その人がね、私に言ったの。器だけを手にしても虚しさだけが最後に残る。心を通わせられる相手を見付けなさい。自分自身を深く愛してくれる相手を見付けなさい。そして、そんな相手と巡り合ったら、何があっても離すんじゃないよって。」

「深いわ…」

安曇と菜摘が、ふぅーっ、と息をはいた。

あれっ?何かが引っ掛かると安曇は思ったが、それが何なのか、その時は思い至らなかった…。


「美琴ちゃん、美琴ちゃんの恋バナは何かな?」

涼が美琴に問いかける。

「私は、霞澄さんとのお話かな。でも皆知ってるでしょ。失敗しちゃった。結婚したかったな〜。」

「結婚したかったの?でも何でかな?お付き合いしていたわけじゃないんでしょ。」

涼が聞く

「だって、好きだったし。皆カッコイイって言ってたから、結婚したら羨ましがられるでしょ?そうしたら自慢出来るし、会社経営しててお金持ちだし、お手伝いさんいるから家事苦手でも大丈夫でしょ。」

「そっか。そうなんだね。」

幼い。ただ、高価な玩具を自慢したい子供のような答えに、菜摘は何となく相槌を打つしかなかった。

「私も頑張ったんだよ。写真部の友達に綺麗に撮ってもらえるように頼んだり。」

「美琴ちゃん、写真の御礼は何かしたの?」

「和琴の小さな本をあげたの。」

「美琴?和琴の本って何?」

今度は安曇が問う

「お婆ちゃんの部屋に和琴の本があるの。誕生日とかに増えて、それをお婆ちゃんの本棚に置いてもらっるの知ってたの。」

「ち、ちょっとまって!和琴が本をプレゼントされてたってこと?」

「そう。お婆ちゃんズルいよね。和琴ばっかり。だから、小さな本を持ち出して、友達にあげたの。」

「何てことを…」

この時代、紙の本がどれほど価値のある物かも分からないなんて…。しかも、多分それは、霞澄がプレゼントした物だ。断りもなく盗るなんて…、安曇が絶句する。

「そうなんだね。ところで、美琴ちゃん、さっきのお祖母ちゃんのお話聞いてて、霞澄さんの気持ちはどうなんだろうって考えた?」

涼が優しく問う。

「霞澄さんの気持ちは分からないから器?でも、結婚すれば私の旦那さんなんだから、私の事大切にしてくれるでしょ。霞澄さん、見掛けると優しい笑顔だったし…?さっきの人とは違うと思う。」

菜摘は愕然とした。

まさか、ここまで幼いとは気付いていなかった。話を全く理解していない。親として失格だ。どうして…。

「美琴ちゃん、霞澄さんの事、もっと早く相談してくれればよかったのに。」

涼が美琴の話を引き出す

「だって、学院であったことや、お友達の事とか、そういう事しか聞かれなかったから…。お勉強好きじゃなかったから、何か言われても聞き流してたし…。」

安曇も菜摘も思い当たる節がある。確かにそうだった。会話が軽かったと。

「和琴君の事教えたよね。それ聞いてどう思った?」

「私の好きな人盗ろうなんて酷いよね。小さい時も思ったの、霞澄さんは女の子の私のだって。なんで和琴なの?どうせ友達以上にはなれないでしょ?男同士なんだし。」

「美琴ちゃん、話したよね。霞澄さんにとっては美琴ちゃんより和琴君の方が優先度が高いって。」

「お祖母ちゃんなんて嫌い!美琴が悪いみたいじゃない。和琴は男なの!美琴の好きな人盗ったって、男同士なんだから!」

「美琴!」

菜摘が堪らずに止めに入る。

「お母さんゴメンナサイ。私が至らなかったせいで…。」

「菜摘、誰も悪くはないでしょう?美琴ちゃんは幼いのよ。さっきの男の人の話、私も、理解するのに心の成長が必要だったもの。」

涼の言葉に安曇が応える。

「そうね。菜摘ちゃんも本当の所、さっきの話、まだ深くは理解出来てないんじゃない?」

安曇の話を聞いて、美琴が嬉しそうに菜摘に話しかけた。

「美琴だけじゃないの?お母さんも分からない所有ったの?お祖母ちゃんが霞澄さんの話するから、全部つながってて、私だけ分からないから聞かれたんだと思った…」

菜摘は、安曇がワザと菜摘を美琴の心に近づけたんだと理解し

「そうなの。まだね、人の深い感情には思い至れなくて。お母さんもダメよね〜。美琴、お母さんと一緒に学んでいこうね。」

「良かったー。難しい話分からないの私だけじゃなくて。頑張って理解したら、霞澄さん、私をみてくれるよね。」


安曇が思っているよりずっと美琴は子供だった。和琴がしっかりしていたから、片割れの幼さをを見逃した。ただ楽しくお喋りするだけで、和琴との議論のような、深い洞察力を必要とする会話をして来なかった。今更ながらに悔やまれた。


美琴はCランク者…。美琴以外の3人は、もしかしたらDも有り得るかもしれないと、見過ごしていた事実を突きつけられる思いだった。


美琴の学院での成績は中の下。勉強が嫌いでも、目も当てられないような成績ではなかった。却ってそれが災いした。


「美琴ちゃん、お茶会終わったら南の家に戻る?」

涼がサラリと聞く。

「ううん、ここにいる。お菓子とか、お祖母ちゃんに教えてもらう。お母さんや大ママちゃんの教え方難しいんだもん。」

「そう。お祖母ちゃんも美琴ちゃんが居てくれると嬉しいな。またホットケーキ焼こうね。」

「うん。その時はお母さんと大ママちゃんを呼ぶね。」


帰り道、安曇が菜摘に話しかける

「さっき、自分を責めたでしょう?」

「はい。自分が至らなくてこうなったって…。」

「誰のせいでも無い。こればかりはどうにもならない。充さんが、私のせいじゃないって言ってくれても頷けなかったけど、今なら分かるわ。貴方のせいじゃないわ。ね、菜摘ちゃん。」

「ありがとうございます。母に、もう少し頼ろうと思います。」

「そうね。涼さんの経験に委ねましょう。」


安曇も菜摘もそして涼も、その夜帰宅した夫と言葉を交わしながら、愛し合う伴侶が居ることを、そして自分を支えてくれている事を深く感謝した。













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