第5話 和琴と霞澄と澄恋堂

 土曜日の朝

「母さんすまない。さっきメールが着て、昼食べたら研究所に行かなきゃならなくなった!」

「えっ?充さんが居るから、私、一樹達と出掛ける予定組んじゃってる…。」

いつもなら誰かしか居る土曜日の朝、よりにもよって皆出払うようだ。

「仕方ないわね。和琴と美琴も5歳になったし、私の気晴らしに連れ出すけどいい?」

「うん。ごめん母さん。2人の事頼む。」

「じゃ、3人で楽しんでくるわ。」

澄麗のこの判断が、後の2人に大きく関わってしまうなど、この時澄麗は思っても見なかった。


「マー君、和琴と美琴連れてかなくちゃならなくなった。プリンアラモード用意出来る?」

「ん。了解!頼んどくよ。小さな子供じゃ待てないだろ。にしても珍しいな。」

「充の研究室でトラブルでも有ったんでしょ。今朝、急に出掛けるって言って…。」

「おチビさん達、会うのは産まれた時以来か。これも案外楽しみなもんだな。」

14:30二人を連れて澄麗は家を出る。

お目当ては『カフェ澄恋堂』

大好きなレアチーズケーキと珈琲と…。


 第2と第4の土曜日、15時、澄麗は決まって『澄恋堂』にやってくる。

充を産んで、乳離れした頃からずっと続く息抜きだ。

此処は、家族にも教えていない大切な場所だ。


皇都とは反対方向のこの地区は、Cランクの居住者が多く住む。高位ランク者は余程の用事が無ければ近付かない。行く必要も無いからだが。

和琴も美琴も、まだ5歳。

行き先を告げれば止められたかもしれない。

今回の同伴は言わば事故、だから仕方がない。と、自分に若干の言い訳をした。


2人を連れて、先に『貸し本屋澄麗堂』に足を踏み入れる。

美琴は知らない場所に、和琴は本棚に並ぶ様々な本に目を瞠っていた。


 紙の本、帝国時代には普通に、それこそそこら中に有ったのに、今では超高額商品になっている。余程余裕のある者しか買うことは出来ない。

それに、高ランク者と、その配偶者となったCランク者は、皇国から支給されている、自身の全てが登録済みの専用スマートデバイスで飽きるほど読める。

まあ、このデバイスで、何を検索したか、何を読んだのかまで登録、管理されているのだが…。


なので、本の蒐集を趣味にしている者くらいしか、『澄恋堂』を知らない。

ここは、そんな一部の高ランク者と、スマートデバイスで本を読めない、Cランク以下の者達が足を運ぶ場所なのだ。


借りていた本を返し、子供が楽しめそうな絵本を何冊か手に取って『カフェ澄恋堂』に移動する。

全てにAI管理が行き届いた皇都周辺と違って、人の温かさを感じる。


いつもの奥まったテーブルに腰掛け、オーダーを通す。見計らった様にプリンアラモードが運ばれてきた。

子供達の前に置かれる。

「お婆ちゃん、これ凄いね!キレイだね!」

和琴はじっくり見入っている。

「和琴、何見てるの!早く食べないと溶けちゃうよ!」

美琴は半ドーム型に盛り付けられたアイスにスプーンを入れ、パクッと口に入れて「あまーい!美味しーい!」と、ニコニコしながら直ぐに食べ始める。


2人がお行儀よく食べ始めたのを確認して、澄麗もレアチーズケーキを口に運ぶ。

「ん〜、この味この味!」

いつ食べても澄麗好みの酸味と甘さにホッとする。

「スーちゃん、今日はあんまり話せそうにないな。」

ディスプレイの本棚に隠れた、ホールからは死角になる作業スペース。そこから真琴が声を掛ける。

「しっかし、和琴は見た目女の子にしか見えないな〜。赤ん坊の時しか見てないからさ。久々に会って驚いたよ。」

「んー、和琴は子宮も卵巣もあるからね〜。どうしても、女の子寄りの育ち方になるみたいなの…。」

「難しいよなー、美琴は女の子だし、一緒っていうのも何かモヤッとするよなぁ。」

澄麗と真琴のお喋りは、覚悟はしていたが直ぐに遮られた。


「お婆ちゃん、ご本見せて!」

和琴が声をかけてきた。

2人共、書くのは少し苦手だが読むのは得意。5歳児にしては学習能力が高いのだ。

澄麗と真琴は、しばらくの間2人を観察してみることにした。


和琴は一冊の絵本を手に取ると、ゆっくり絵を楽しんでから、目を細め、フワッと微笑みを浮かべて文字を追う。

その仕草は何というか嫋やか?

前に垂れてきた髪を指で掬い、耳に掛ける仕草など、どう見ても男の子には見えない。

美琴はアチコチ手を出して直ぐに飽きてしまっている。じっとしていられない。

言うならば腕白小僧…?。

「スーちゃん、和琴見てるから、美琴と本見てきなよ。飽きてる。」

「いい?ごめんね。ちょっと行ってくる。

和琴、マー君と居てくれる?」

「…?」

「あ、ああ、このオジサンと居てくれる?美琴と絵本見てくるから。」

「うん。僕大丈夫だよ。これ面白いから読んで待ってるね。」


ここまで違うか!

まるで違う2人の行動。

逆でしょうよ!

比べてはいけないと思いつつも比べてしまう。

個性を伸ばすのも大変そうだ。


 澄麗と美琴が席を立つのと入れ替るように、和琴に近づく見目麗しい青年が居た。

「爺さん、その子誰?仕事じゃなかったのか?」

「ん、ああ霞澄か。仕事だよ。お客さんの曾孫ちゃん。ちょっと見ててあげてるだけ。」

真琴の孫、霞澄だ。

「にしても、可愛い女の子だな〜!」

「僕、男の子だよ!」

「えっ!嘘っ?」

そうだよな、知らなかったらそうなるよな。

「霞澄、本当だ。和琴と言ってな、男の子だよ。」

「えっ、いや、嘘だろ?」

今、ここで、その説明は憚られる。

真琴は

「その事は後で説明するから、今は大人しくしてろ!」

と、霞澄を黙らせた。


「マー君、お待たせ。ん?どなた?」

「お帰りスーちゃん。俺の孫。あれ、一度だけ会ってない?」

澄麗と真琴、2人の間には柔らかい膜のような壁がある。お互いの家族の事を知っているようで知らない…。

「え?始めましてじゃない?こんにちは、南澄麗です。マー君とは幼馴染み。ちょっと目が離せなくて和琴を頼んじゃったの。何か用があったのよね。仕事中にごめんなさいね。」

「孫の霞澄です。いえ、用という用は無いんです。本屋に来たら、爺さんが可愛い子と一緒だったので、攫ってきたかと心配になって。」

「霞澄!人聞きの悪い!でも、この2人が産まれた時『永遠』で会ってなかったか?」

「ん〜っ…?あーっ!もしかして見掛けたかも〜。見目のいい子がいるな〜って、あれ霞澄君だったんだ。」

澄麗の記憶の端に引っ掛かった。

ん〜、マー君の孫か〜。確かに似てるー!  


霞澄は挨拶を交わしなら、(この年齢で、この容姿っておかしくないか?爺さんだけなら、年取らない細工か何かをしてるんだろうで済ますけど、南さんは…?)と、素直な疑問をもった。

後に、思ってもいないタイミングで、その理由を知ることになる。


と、澄麗の横から美琴が顔を出し、キョトンとしている。霞澄を見て固まっていた。


「えっ、双子なの!女の子の双子なんて、滅多に見られないよ!!」

うわーっ、凄いの見たーっ!!

疑問は可愛い双子の衝撃にかき消えた。


「霞澄、だから、和琴は男だ!」

「ん?霞澄君、何興奮してるの?」

澄麗も真琴も、霞澄の驚き様に美琴が固まっている事に気付かなかった。。


嘘だ。こんなに可愛い子が男の子のハズがない。

美琴を見て、和琴を見る。何と言われようと、霞澄が気になるのは和琴だった。

その日から彼は悩める少年となった。

そして美琴も…、ホンの一瞬目が合っただけの霞澄が脳裏に焼き付いたままだった。


真琴は澄麗に、霞澄と2人で子供達を見てるから自分の本を借りてくればいいと提案する。

「お言葉に甘えるわ。ありがとう。」

と、自分の為に本屋へ戻った。


 美琴はディスプレイの本棚をいじり始め、物欲しそうに霞澄に目を遣る。が、霞澄は美琴を見てくれない。悪戯されているディスプレイが気になり真琴がくる。美琴の思いは報われず、仄暗い思いで霞澄をそっと見つめた。

真琴はその視線に気付いた。その時はそっと胸にしまった。決して忘れることは無かった。


 霞澄は膝の上に和琴を乗せて、絵本の読み聞かせを始めた。和琴は微笑みを浮かべながら聞き入っている。

美琴の胸がチクッと痛んだ。

そこは、女の子である私の場所…。何故か、そんな思いが頭を過ぎった。


細い、軽い、可愛い…。これ、石鹸の匂いかな?和琴ってば、いい匂い…ヤバイ!このまま、連れて帰りたい!!

俺、大丈夫かな〜?


時間はあっという間に過ぎて、澄麗達は帰っていった。


「爺さん、和琴って、本当に男の子なのか?」

「本当に男だ。但し、生まれつき子宮と卵巣がある。突然変異体だ。」

「それって、今研究されてるやつ?人工授精じゃなく、普通に妊娠出来るかもっていう…。」

「そうだ。だからスーちゃん所も解らない事が多くて大変なんだ。」

「和琴、どう見てもハイクラスだよね?集中力しっかりしてたし。本を手にした時の、あの落ち着き方。」

「あれはスーちゃん譲り。」

「ふーん。5歳にして色っぽかったよな〜。」

はぁ〜。


「お前どうした?まさか、和琴が気になるのか?いくつ下だと思ってるんだ。」

「ん、歳は関係なくない?」

「いや、いくらなんでもお前…。それに、男の子だぞ!」

「俺にはそれも関係ない!」

ったく、今時…、ふっと、薄い笑みを口元に浮かべて霞澄は会話を終わらせた。 


また会えないかな…。

可愛いかったな…。

和琴…。


俺の『澄恋堂』通いが始まった。

幼稚舎は水曜日が早帰りだったはず、と、ターゲットを水曜日に絞って。


だが、なかなか、その日はやってこなかった…。

思いだけが募る。


何ヶ月か経って、南のおばさん(呼び方に迷って、これになった。)が『カフェ澄恋堂』に和琴だけを連れてやってきた。和琴が強請ったらしい。

「あの綺麗なご本を読みたいの。彼処に連れてって!」って。

紙の本なんて、今時珍しいから興味を持ったのかもしれない。


美琴は、「ツマラナイから嫌!」と言ったとかなんとかで、一緒には来なかった。

初めて『澄恋堂』に行ったあの日以来、美琴は和琴をなんとなく避けている。一緒の行動も減った。

美琴は和琴と距離をおくようになっていた。

周りの大人達は、女の子と男の子だから自然な事かも、と特に気に掛けなかった…。


南のおばさんは、さすがにCランク以下が多いこの地区に和琴を連れて行くとは言えなくて「近くのカフェに行く。」と連れ出していたようだ。

なんにせよ会えて嬉しい。

俺は和琴の本選びに付き合い、楽しい一時を過ごした。


和琴はそれからも強請り続け、根負けした南のおばさんが、月に2度、水曜日に和琴を連れて来るようになった。『カフェ』ではなく、お稽古事に行くことにして。

そのうち、美琴も何やら習い始めたとかで、美琴を家で見ていた母親が付き添うことになり、和琴と美琴の距離はますます離れていく。

そして、本屋通いは水曜日の午後の定例となった。


 和琴は小等学院に通い始めると、お小遣いでバスに乗り『澄恋堂』に行こうと計画した。

ベーシックインカム、略して『スメコ』は皇国民全員同額支給。だが、小さい子供の分は親が管理している。

子供は、自分の支給分からお小遣いを貰うのが普通だ。

小等学院に通い始めて、和琴もお小遣いを貰えるようになったのだ。

安価で本が借りられる『澄恋堂』は、和琴にとってお小遣いを使うのに価する場所だ。

いつも、霞澄が優しく迎え入れてくれる大切な場所でもある。

それに、鮮やかな挿絵が入る刺繍や染め物、織物の本が好きで、それを手に取り愛でることが出来る。紙の本は高額すぎて購入など出来ない代物。宝物。

好きな人と好きな物、全てが揃う至福の場所…、和琴はそう思う。

けれど、計画はアッサリ、送迎を引き受けているお婆ちゃんに見抜かれた。


しまった!

『澄恋堂』に行かせて貰えなくなるかもしれない。霞澄さんに、会えなくなったらどうしよう…。

真っ先に思ったのは本の事ではなかった。

和琴は、霞澄への恋心に気付き始いていた。早熟な少年だった。


和琴の計画を知り心配したのは南のおばさんだった。

南のおばさんは爺さんに

「和琴を1人でバスになんか乗せられない!それこそ攫われ兼ねないんだからっ!」

って、血相を変えて相談を持ち掛けた。

俺は、和琴が来ようとしている日を本人から聞いて知っていた。和琴の本選びに付き合おうと思って、体を空けていた。

爺さんが気付いた。

「霞澄、お前、何か知ってるだろう?」


『澄恋堂』通いが高じて、大学に進むと共に、爺さんから『貸し本屋澄恋堂』の経営を譲り受けた。

爺さんも、大学進学と共に、此処の経営を任されたんだそうだ。

水曜日の午後と、奇数の土曜日は『カフェ澄恋堂』の作業スペースを借りて仕事をした。

爺さんは何故か、第2と第4土曜日の午後は決まって此処を使うから。

和琴には、それを教えていた。


「霞澄、お前は節度ある対応が出来ると思ってる。和琴の送迎やってくれないか。」

えっ!

何を言われるかと構えていたら、意外にも、嬉しい提案が降ってきた。

「わかった。南のおばさんには、ちゃんと送り迎えするから心配するなって言っておいてくれ。」

「言っておく。

あ、あと1つだけ忠告しておく。美琴には見付かるな。絶対に見られたらダメだからな。」

真琴は、美琴の視線を思い出して伝える。

「お、おう。でも、なんでだ?」

「年寄の感だよ、感。でもな、かなり的を射ていると思うよ。」

俺は頷いた。


爺さんは『カフェ澄恋堂』を手放す気は無いらしかった。

譲渡の際、爺さんの名前の横に、共同経営者、南澄麗の名前を見付けて「おやっ?」と思ったが、その時は、出資でもしてたのかな?としか思わなかった。


和琴は、小等学院在学中、水曜の午後は南のおばさんと、奇数の土曜日は俺と、『澄恋堂』で過ごした。おやつを食べ、勉強もした。頭が良すぎて、あっという間に卒業したが。

卒業記念はお菓子作りの本にした。車の中で渡した。喜んで、横から抱きついてきたから、抱きしめ返して、頬に口付けた。

耳まで真っ赤に染まって恥ずかしがる和琴は、それはもう可愛かった。


 中等学院の制服姿は、可愛いすぎてヤバかった。

趣味も料理や刺繍など、似合いすぎて、何とも興味をそそられた。

貸し本は各店一冊重複無し!のハズなのだが、稀に複数冊有る事があり、料理や手芸系の本を見付けると除けておいた。主に和琴へのプレゼントに活用した。俯き加減にはにかんだ表情は、得も言われぬ色っぽさを醸し出していて、自制するのが大変だった。


 和琴は、父親と同じく飛び級を繰り返した。

進学した学部は芸術学部染織学科、好きなのは知っていたが、まさか染め、織りから入るとは思わなかった。

論文の数も半端なかった。

そして、まあ、当然のように教授職に修まった。


 皇国の成人年齢は18歳。

霞澄は和琴が成人するまで、色々、我慢するつもりだった。が…


美琴は頭は良かった。ただ、和琴のように1つに集中して努力するのは苦手だった。

お稽古事も、和琴が何かしているから自分も、という感じで始めたもので、特に身に付いたとは言えなかった。

美琴に特筆すべき何かがあるとしたら、それは霞澄への執着心だろう。何処かで拗じ曲がってしまった思いだった。


ある日、皇都にあるカフェの1つに、霞澄が定期的に仕事で訪れる事を知った。

高等学院の女の子の間で話題になっていた。

美琴はその噂話の元を確認し、その場所が東家経営のカフェで有ることも突き止めた。

霞澄を自分のものにする計画を立てた。

美琴の人生で、生まれて始めて集中した事。それが、この計画だった。


 17歳の美琴は、その計画を実行に移した。

ある夜、両親に

「大学には進学しないで結婚したい。」

と言い出した。

両親は慌てふためいた。まだ学生だ。成人してもいない。

「相手は誰なの?」

と、問い詰めた。

「東さん…。」

「どういうこと?」

「ずっと、お付き合いしてるの。月曜日に写真が出回ると思う。今日、皇都のカフェで撮られて…。出していいかって聞かれたから、どうぞって言ったの。」

「えっ!」

「だって、本当の事だから。写真が出れば、噂が広まるし、結婚せざるを得なくなるでしょ!大学なんて行ってられないじゃない!!」

美琴は霞澄が欲しかった。

だから、霞澄が定期的に、そのカフェで仕事をすることを知って近づいた。

親しそうに話し掛け、ワザと写真を撮らせた。

歳の差がある。

こんなにも歳の離れた女の子と付き合って、責任を取らないとなれば世間の目が許さない。

きっと結婚に進ませてくれるだろう。

世間を味方にして絡め取る。

幼い頃の仄暗い思いは、暗いまま花開いた。

失敗する可能性も、自分を傷つける可能性も考えずに。


和琴は一瞬、何が起きたか分からなかった。

何故?

霞澄さんと美琴?

何故…

そのまま自室に戻り、ベッドに突っ伏して、声を殺して泣いた。

優しい霞澄。

優しい包容、優しい口付け…

思い出しては泣き続けた。

僕は霞澄さんの何?

涙が止まらなかった。


一樹が充に、充が澄麗に相談した。

澄麗の相談相手は当然…

「マー君、美琴はオバカさんだったみたい。」

「霞澄が誰を大切にしているか、俺達、知ってて良かったな。」

「そーだね…。同じ轍を踏ませなくて済むね…。」

「そーだな…。」

2人は、霞澄と和琴にプレゼントを考えた。傷付き、憔悴している和琴を思って…。


土曜日、澄麗は、躊躇う和琴を引っ張って『カフェ澄恋堂』にやってきた。

珈琲を飲みながら

「和琴、これから和琴は、お婆ちゃんと旅行に行くの。お父さん達には了承を得たから大丈夫。AIの使えない場所だから雑音は入らない。暇つぶしの本とか選んできて。」

「お婆ちゃん?」

「なーに?」

「気を使わせてごめんなさい。」

…、

「ほら、早く選んできて。」


「霞澄、ちょっと出掛けるぞ。」

「えっ?何…?」

「泊まりになるから、用意しろ。」

「…?」

「我社所有のリゾートがあっただろ、視察だよ。」

「一人で行けよ!」

「たまには良いだろ、温泉あるし。飯も美味いぞ。」

「たくっ!」


こうして、澄麗と真琴は、別々に同じ目的地を目指した。


到着直前、

「霞澄、俺は泊まらずに帰る。1つ言っておく。

欲しい者を手に入れろ!

当然、同意は必要だが。大切にしすぎて、俺と同じ轍を踏むな。」

「それって、どういう意味だよ!」

「こういう意味だよ。」

目に、和琴の姿が飛び込んできた。


車が止まる。

和琴の目が潤んでいる。

どう見ても泣き腫らした目だ。

どうした?


「和琴、2人で話しなさい。

ちゃんと。

何が本当で、何が嘘か。

お婆ちゃんは和琴も美琴も可愛い。

けれど、嘘はダメ。

自分の心にも嘘を言ってはダメ…だからね。」


「霞澄、これルームキー。いい部屋取っといてやったから感謝しろよ!」

「じゃ、明日、15時に迎えにくるから。」


「えっ!お婆ちゃん?」

「お、おい、爺さん!」


「じゃあね〜。」

「じゃあな!」

…?


チェック・インを済ませて部屋に入る。

なんだよコノ部屋。バカでかいベッドって、爺さん何考えて予約したんだ?


和琴の余所余所しさが気になって声を掛けた。

「和琴…」

ビクッ!

えっ!なぜ?

「どうして怯えるの?」

ヒック…両手で顔を覆って泣き始めた和琴に、戸惑いを隠せない。

「何かあった?」


「わ こ と…?」


何故、霞澄さんは聞くのだろう。

僕が悲しまないとでも思ってるのかな…

「み、美琴との…ツーショット…出回るって…ヒック…。」

「なに?なんの話?」

酷いよ!はぐらかすつもりなの!!

うぅぅ…涙で喉が詰まって声が出ない。


「和琴、美琴がどうしたの?なんで、2人きりなのに美琴の話が出るの?」

「み こ が言った… みこ 結婚するんでしょ…!」

ヒック…涙が溢れる。


「和琴、何言ってるの?ほら、手をどけて。擦ったらダメだよ。」

優しく手首を掴んで降ろす。

頬を手で挟み、指で涙を拭う。

「和琴…泣き過ぎ。腫れちゃってるよ。」

顎に指をあて掬い上げる。顔を上に向ける。

「ね、和琴。俺には何が起こっているのか解らない。教えてくれるか?」


霞澄さんは本当に知らないの?

和琴の顔を心配そうに覗き込む霞澄の瞳は、嘘を言っているようには見えない。


霞澄さんは、僕をソファに座らせ、飲み物のルームサービスを頼む。

僕を優しく抱き寄せて、背中を撫でながら、もう一度聞いてきた。

「和琴、何があったの?」

「霞澄さん…。」


僕は、先日起こった出来事を話した。

霞澄さんは驚き、事実無根だと憤慨した。

「何故直ぐに教えてくれなかったの?」

「だって、僕は男で美琴は女で…。後継者の事を考えたら、霞澄さんも美琴を選ぶんじゃないかって…。」

「俺、信用ないな…。」

「違っ!」

「違わないでしょ。」


「僕の気持ちなんか分からないよ!」

ウッ、ヒック…。


「ごめん和琴。泣かせたい訳じゃ無い。」


僕の涙腺はまたしても壊れ、溢れる涙が頬をつたった。


ルームサービスがきて、テーブルにセッティングされていく。


僕は泣き疲れて、ソファに凭れた。


「はい和琴。とにかく、落ち着いて話そう。」

カップを手渡される。

紅茶の香りが辺りを包んで、少しホッとした気分になる。

僕は紅茶を少し口に含んで、カップをテーブルに戻す。とつとつと話始めた。


「霞澄さん、僕は男なんだ。

子宮は有るけど。

まだ、何も解らない。

子を孕めるかどうかも、

孕んだとして、育つかどうかも解らない。

僕は、どうすればいい?

僕は貴方の子を孕み、産むことが出来るかどうかわからないんだよ。

僕の気持ち理解る?

ねぇ、僕はね、小さい時からずっと不安だったんだ。

後継者を産めないかもしれない僕は、いつか必要とされなくなるって。

美琴の話を聞いて、ああ、とうとう来てしまったって…、夢が、終わったんだ…って、心の何処かで諦めたんだよ。

自分のことを…。」

「なっ、何を言って…」

「本当ことでしょ。霞澄さんは一人っ子で、東家の後取りで 」

「和琴!」

思わず抱きしめる。

もう、これ以上、和琴に辛い話をさせたくない。


爺さん、欲しい者を手に入れろって、和琴を離すなってことなんだよな…。


俺は、なおも言葉を紡ごうとする和琴の唇を自分の唇で塞いだ。


恋愛結婚が少しずつ増え始めてきたとはいえ、婚前交渉は認められにくい。

だが…


俺は、和琴の唇に唇を重ねた。何度も何度も、角度や深さを変えて…。

そして、押し倒した。

「俺が愛してるのは和琴、お前だけだよ。ずっと、ずっと、何年も大切にしてきた。でも、こんな思いをさせるなら、俺は和琴を自分のものにする。」

和琴の瞳が揺れる。

あっ。


俺は、朝まで和琴を離さなかった。


翌朝、抱き潰された和琴の声は掠れ、腰は立たなかった。

「ごめん。やりすぎた。」

「お婆ちゃんは、皆に怒られるのかな…。」

「あの人に助けられたよ。和琴を失う所だった…。俺は感謝しかない…かな。」


朝食を頼む前にと思い、和琴を抱き上げてバスルームに運ぶ。

和琴の体を洗いながら、抑えきれなくて抱いた。

湯船の中でも一度、ベッドに戻ってまた…

流石に和琴が意識を飛ばした。


食事はブランチになった。


15時過ぎ、2人が迎えに来た。

別々の車で帰る。

和琴は何を話すのだろう。


「霞澄、写真は止められなかった。が、明日、俺が東家総帥として記者の質問に答える。いいな。」

爺さんが言う。

「俺は、何が有っても和琴を離さない。爺さんの投げ掛けたものの答え、それで合ってるか?」

「ああ。霞澄、守りきれよ。」

「ああ。今回の事、感謝してる。ありがとう。」


次の日、爺さんの答えは明瞭だった。

「東霞澄の会った人物、時間、場所は、全て秘書により管理されている。休日もしかりだ。即ち、行動の全てが記録され残っているということだ。何かあってからでは遅いからね。そこに、南美琴が個人的な理由で関わった記録は一切ない。以上だ。」


真琴の言葉で、この話題は立ち消え、霞澄と和琴は平穏を取り戻した。


あの日の帰り道、和琴が澄麗と交わした会話は

「和琴、誤解は解けた?」

「お婆ちゃんは判ってたの?」

「霞澄君の事?だってバレバレでしょ!」

「えっ?バレバレ…だったの?でも、僕救われた…ありがとう。」

「和琴、体、辛くない?」

「うっ!」

僕は真っ赤になりながらも、会話を続けた。

「お婆ちゃん、また相談事有ったら聞いてくれる?」

「いつでも聞くよ。」

「1つ…聞いてもいい?男って、タンポン無理だよね?」

「随分直球だね。っていうか、和琴は生理が来るの?」

「うん。ちょっと困ってて、相談、誰にしたらいいか分からなくて…。」

「ナプキン、いいの出てるから。今度お婆ちゃんが買ってきてあげるよ。使い方も教えるね。」

「ありがとう…」


お婆ちゃんと曾孫の会話としては、シュールな内容だった。


美琴は大変だった。

父母からは何も言われなかったが、真琴の発言のダメージは計り知れなかった。

まさか、こんなにも粉々に打ち砕かれるとは考えてもいなかった。

一時、精神的なバランスを崩した。


和琴と霞澄、そして、美琴の取った行動を考慮し、両親は和琴と美琴を離すと結論づけた。

母方の実家から、涼さんが手を差し伸べてくれた。

美琴は進学せず、涼さんの元で、静かに静養することとなった。


和琴と霞澄はその後、合う度に求め合った。


和琴は貧血の様な症状を見せることがあった。

元々細いが、そういう事ではなく体調が悪い。

「お婆ちゃん、ここ2ヶ月くらい怠いんだ。微熱も度々で…。生理来てない気もするし…。」

「和琴、吐き気とかある?」

「ずっと体調の悪さを引きずってる感じなんだけど…。なんか、熱っぽいし、食べ物によっては吐気ある…。」


和琴は妊娠していた。

澄麗は特に驚かなかった。生理があるなら、そういう事も有るだろうくらいの感覚だった。

やることやってれば妊娠くらいするだろうし、妊娠したらしたで霞澄が大喜びするだけだ。

彼なら確実に、嬉々として責任を取るだろう。

真琴も、和琴に生理があると伝えられていたから、澄麗とさして違わない反応だった。


 ただ、澄麗と真琴以外の両家の者達は大騒ぎになった。

何故なら和琴は男で、自然性交で妊娠するとは思われていなかったから。


安曇さんが責任を感じて倒れた。

男の子が自然に妊娠するなんて…、自分の遺伝情報が変化したせいで和琴を好機の目に晒してしまうなんて…。

ほぼ、情報を聞いたと同時に崩折れた。


南のおばさんの指示で、両家に正確な情報を届け、鎮圧に動いたのは充さんだった。

稀なケースで、皇国研究所に報告がチラホラ上がっていたとはいえ公にはされず、しかもハイクラスの男同士など例が無かった。故に混乱が生じたそうだ。

この時ほど、和琴の爺さんが皇国研究所に勤めてて良かったと感謝した事はない。研究所仲間に、チラホラ出てきてる事例を聞いてきては、和琴を励まし、安曇さんを気付かった。


最終的に、和琴の家は南のおばさんの、俺の家は爺さんの鶴の一声で皆が黙った。あの人達、伊達に長く生きてきた訳じゃ無い。

先を見通し、先手先手で行動する。

敵う相手じゃないと、心の底から思った…。



 



 


















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