第8話 キリヤという少女
「俺の大事な嫁と娘になにしてんだよ」
怒気を孕んだ強い口調で目の前の兵士を睨み付け、そのまま兵士の顔面に回し蹴りを叩き込む。小さな悲鳴を上げて勢いよく吹き飛び地面を数回跳ねて動かなくなる。
すぐさまアイシャを押さえつけている兵士に接近して同じように顔面を蹴り飛ばす。
「パパ!」
「ガイアくん!」
アリアはガイアの胸に勢いよく飛び込み、ガイアは優しく受け止め頭を撫でる。
そして、アイシャをそっと抱き起こす。
「遅くなってごめんなアイシャ、アリア。もう大丈夫だ。俺が二人を守るから」
安心させるように力強く告げるガイア。その目には二人を傷つけたマキア王に対する怒りが宿っていた。
「ガイアくん、ごめんなさい。まさかこんなことになるなんて……」
アイシャは、申し訳なさそうにガイアに謝った。
ガイアは「何言ってんだよ」と眉を下げる。
「俺だってこんなことになるなんて想定していなかったんだ。アイシャのせいなんかじゃない……。それよりも今はここから逃げよう」
それに待ったをかけるようにマキア王が口を開いた。
「私の計画を邪魔しておいて逃げれると思っておるのか?お前も殺す予定であったから手間が省けた。……安心していいぞ。私は慈悲深いからな、娘と一緒に殺してやる」
「全く慈悲深くねえよ脳ミソ腐れ野郎。運動もできないうえに頭までお粗末なのか?救いようのないクズだな。うちの娘を少しは見習ったらどうだ?」
その言葉にマキア王は、顔を真っ赤にして怒りを露にした。
「この汚らわしい豚が!誰に向かって口を利いておるのだ!もう慈悲はない、即刻死刑だ!」
唾を撒き散らしヒステリックに喚き散らすマキア王。
マキア王の兵士は一斉に剣を抜くとガイアたちに襲いかかった。
「『ストーンエッジ』!!」
兵士の足下から無数の岩が隆起する。
岩に顔面やら胴体やらを打ちつけられて真上に吹き飛び受け身もとれずに落下する。
「逃げるぞ!」
アリアを抱き、アイシャと貧民街を抜けるべく市街地に向けて走り出す。
「逃がしません。『ファイアーアロー』!」
進行方向を塞ぐように無数の炎の矢を飛ばすサイノス。
逃げ道を塞がれガイアたちは足を止める。
「あなたも休んでいないで働いてください。キリヤ」
キリヤと呼ばれた10代前半くらいの小柄な少女が怠そうに欠伸をしながらガイアたちを見る。褐色の肌を多く露出した際どい服装で上からローブを羽織っている。
「えー、めんどくさいなぁ。サイノスぅ、帰ったらケーキ買ってよねぇ。」
「あなたは雇われの身でしょう!?働くのは当然です!……まあ、ケーキくらいなら買ってあげますから、早く働いてください。」
「よぉし、頑張るぞぉ」
語尾を伸ばす特徴的な喋り方をするキリヤ。見た目は完全にか弱い少女なのだが、肌をヒリヒリと刺激するほどの殺気を感じる。
強い。ガイアは瞬時にキリヤの異常さを察知しアリアをアイシャに預け武器を構えた。
「わぁ、おにーさん、もしかして強い?キリヤの強さに気づくなんて結構良い目してるねぇ」
口に手を当て驚いたようなふりをするキリヤ。大きなクマをした目を細めじっとガイアを眺める。そして、「ふぅん」と小さく呟き納得したように口を開いた。
「師匠───ジェイムズを殺したのはおにーさんだね?」
「……ああ、ジェイムズを殺したのは俺だ。それで?師匠の仇でも討つつもりか?」
特に驚くことはなく淡々と答えるガイア。
既にいつでも相手の攻撃に対応できるように集中を最大限に高めていた。
「まさか、まさかぁ。別に師匠を殺したことを恨んでなんかいないよぉ。ただぁ、あの師匠を殺すなんてどうやったのかは気になるかなぁ」
キリヤは師匠ジェイムズの死を別にどうとも思っていなかった。ジェイムズの死ではなく、彼を殺した方法に興味を示した。
「相手が油断した、ただそれだけだ。」
手の内を無駄に晒すことはしない。切り札は多いに越したことはないのだ。
しかし、ジェイムズの死体を見たであろうキリヤには嘘だと気づかれたようだった。
「ま、簡単に手の内は明かさないよねぇ。キリヤだってそうするし。それに───」
「キリヤ!何を話しておる!!さっさとその豚を殺せ!!」
キリヤの言葉を遮るように遠くから怒声を発するマキア王。
キリヤはやれやれといった様子でため息を溢す。
「承知しましたぁ。……まったく、わがままな王さまだなぁ。キリヤに少しくらいお話の時間をくれたっていいのにぃ」
そう言って、腰にある短剣に手をかける。
やはり弟子というだけあって、ジェイムズと得物は同じようだった。
「あ、勘違いしないでよぉ。キリヤの武器が短剣なのは師匠の影響じゃないからぁ。これは、キリヤが一番使いやすいから選んだ武器ってだけだからねぇ」
確かに小柄なキリヤには剣や槍などは扱いづらいだろう。必然的に短剣や鞭など比較的軽量な武器になるのは明白だ。
だが、ガイアにとって相手の武器が短剣であるのは嬉しい誤算であった。一度、ジェイムズと戦闘しているので短剣への対策はしっかりと練られている。
ただ、キリヤの戦闘能力が未知数なため戦闘経験と体格を考えても勝敗は五分五分といったところだろう。気は抜けない。
「じゃあ、行くよぉ───!」
キリヤは体勢を低くして高速でガイアに肉薄する。
速い。キリヤは小柄な体格を生かして素早い攻撃を繰り出す。ガイアはなんとかギリギリで反応して攻撃を防ぐ。
「ぐっ!!なんつー速さだ!今のは危なかった」
「やっぱりすごいねぇ、おにーさん。キリヤの速さについてくるなんてぇ。次はもう少しスピードを上げるよぉ───!」
キリヤはさらに加速してあっという間にガイアの懐に潜り込む。
「しまっ───ッ!」
キリヤの速度に反応できなかったガイアは、彼女の接近を許してしまう。
キリヤはガイアの顔面に短剣を突く。彼は必死に顔を短剣から背けるが避けきれず頬にかすり傷を負う。
反撃とばかりにガイアはキリヤに直剣を振るがかわされる。
「これにも反応するんだねぇ。師匠を殺したのはまぐれじゃないってことかなぁ」
彼女のスピードは異常だ。スキル『縮地』を常に発動しているかのようなあり得ないスピードなのだ。しかし、彼女はスキルを使用している様子はない。素の身体能力であのスピードを出しているのだ。
「化け物だな、こんなやつをジェイムズは育てたってのかよ」
「化け物だなんて失礼だなぁ。こんなか弱い女の子にそんなこと言うなんてぇ。おにーさんの目はやっぱり節穴だったかなぁ」
腰に手を当てプリプリ可愛らしく怒るキリヤ。それにガイアは呆れたように返す。
「目にも止まらぬ速さで動いて人を殺そうとする女の子がか弱いわけないだろ。俺の目は節穴じゃない、普通だ。異常なのはお前だよ」
「もぉ、キリヤ怒ったからぁ。次から本気でいくよぉ。おにーさん、後悔しないでねぇ」
「俺も出し惜しみなんてしてる場合じゃないな。本気で行かせてもらうぜ。」
「『縮地』!」
先に動いたのはガイアだった。『縮地』を発動してキリヤのスピードについていこうと力強く地を蹴りキリヤに接近して直剣を振る───。
「もぉ、キリヤのマネしないでよぉ」
───目の前にいたはずのキリヤがなぜかガイアの真横で不満を囁いた。
ガイアは目を見開いて横にいるキリヤに慌てて直剣を振り距離を取る。
「あれぇ、もしかしてぇキリヤが見えなかったぁ?」
彼女は煽るように人差し指を唇に当てながら目を細めて10代とは到底思えないほど妖艶に笑う。
「……マジで化け物だな、お前」
「あー、また化け物って言ったぁ。キリヤだって傷つくんだよぉ?」
ガイアは思考を巡らせた。どうしたらこの絶望的な境地から脱することができるのか、必死に考えた。
しかし、彼には全員で生き残る方法は思いつかなかった。
彼は自分の死と引き換えに二人を逃がす覚悟をする。
「……アイシャ、アリアごめんな。俺にはこの方法しか思いつかなかった。」
ポツリと小さく呟き、愛する二人を見つめる。アイシャは、彼が何をしたいのかすぐに理解できた。
「ダメだよガイアくん!そんなこと許さない!」
アイシャはガイアにやめるよう説得する。
「これしか方法がないんだ!……わかってくれ、頼む。時間がないんだ。」
少しの間見つめ合う二人。互いに譲れぬ思いがあり引く気配がない。
アイシャが困ったように眉を下げて譲歩案を提示してきた。
「………ガイアくん、これだけ約束して。そうしたら言うことを聞くから」
「ああ、俺にできることなら」
アイシャは、ガイアを真剣な眼差しで見つめると口を開いた。
「私を置いて死なないで……ガイアくん」
アイシャの言葉にガイアは息をのむ。
「この状況でそれを約束させるのか。俺の嫁はすごいわがままを言うな。………
あーあ、大事な可愛い嫁に自分を残して勝手に死ぬなって言われたら絶対に死ねないなあ。」
「もう、ちゃんと聞いてよ」
「ちゃんと聞いてるよ。……約束する。絶対にアイシャを置いて先に死んだりしない」
真剣な眼差しで約束をする。その目に嘘はなかった。
ただ、自分も生き残ってアイシャたちの逃げる時間を稼ぐとなると難易度は極度に跳ね上がる。無茶な行動ができないからだ。決死の覚悟なら無茶も押し通せるのだが、生き残ると約束してしまったので自分も逃げる体力を残して戦わなくてはならない。
できればアイシャ側に戦闘ができる人が一人いれば───
「三人とも!無事ですか!?」
遅れてやってきたシオンがガイアたちに声をかける。
その声に反応して周りにいた兵士たちがシオンを見る。
「なんだ?アイシャを匿っていた女ではないか。私の邪魔をしにきたのか。……おい!その女を殺せ!!」
マキア王がシオンを殺せと兵士に命令をする。数人の兵士が一斉にシオンに襲いかかる。
「『ウォーターキャノン』!」
シオンの前に大きな水の塊が現れ、兵士の集団に向かって放たれた。一瞬にして兵士たちを呑み込み、そのまま軌道上にいたサイノスめがけて飛んでいった。
サイノスはサッと手を突き出し魔法障壁を前方に張ると巨大な水の塊を防いだ。
呑み込まれていた兵士が水が弾けると同時に散り散りに吹き飛び壁や地面に勢いよく衝突する。
一人の兵士がマキア王に向かって飛んでいきそのままぶつかりマキア王は馬から落馬して兵士の下敷きになる。
「サイノス!何をしておるか!早くこの死体をどかさんか!」
マキア王がもがきながらサイノスに死体を退かすように叫ぶ。
サイノスは慌ててマキア王に近づいて死体を退かそうと手をかけた。
「……シオンさん強くね?」
先ほどのシオンの魔法を見てガイアが目を丸くして呟く。
「え?知らなかったの?シオンは帝国一の魔法科の学校で水属性魔法コースをトップで卒業してるんだから、強いに決まってるよ」
シオンはマキア第一帝国学校の魔法科で水属性魔法コースを首席で卒業するほどの実力を持つ魔導師なのだ。帝国内に水属性魔法でシオンの右に出るものはいない。
一通り兵士を蹴散らしてきたシオンがガイアたちに近づいてきた。
シオンはここまで休まず走ってきたのだろう少し息が上がっている。
「ガイアさん間に合ったようでよかったです。……アイシャ、アリアちゃん心配しましたよ、怪我がなくて本当に安心しました。」
シオンは三人が無事なことに安堵してそっと胸を撫で下ろす。
「シオンさん、時間がないので手短に話します。俺が一番強い敵を相手して時間を稼ぐのでアイシャたちを守りつつ逃げてください。できるだけシオンさんの負担は減らすつもりですが俺が抜けられたときはお願いします。……大丈夫です。死ぬつもりはありませんから」
シオンは大体の作戦を聞くと力強く頷いてアイシャとアリアを見る。
「では、俺が飛び出して敵と接触したと同時に市街地の方向に走ってください。」
ガイアは武器を構えてキリヤと向かい合った。
「話し合いは終わったのぉ?……まあ、何してもキリヤからは逃げられないけどねぇ」
「いいや、逃げるさ。なんとしてもな」
ガイアは『縮地』発動させるとキリヤに素早く接近して剣を振り下ろした。
キリヤは愛用の銀の短剣で受け止めた。
キィンと金属同士のぶつかり合う音を合図にアイシャたちは一斉に走り出した。
「へぇ、そう言うことねぇ。おにーさんを犠牲にあの三人は逃げるって作戦なんだねぇ」
キリヤが納得したようにガイアたちの作戦を口にする。しかし、ガイアはキリヤの発言の大きな間違いを指摘する。
「いいや違うぞ。……俺は犠牲になるつもりなんて毛頭ないからな」
高速で斬り合いながらニヤっと笑うガイア。
「おにーさん、それ本気で言ってるのぉ?キリヤに手も足もでなかったくせにぃ?」
キリヤは少し不機嫌そうに眉を顰めて言葉を溢す。
確かにその通りだ。彼女の本気のスピードにガイアは反応すらできなかったのだ。彼女がその気になれば彼は一瞬で屍と化すだろう。そんな彼が生き残ると言い切ったのだ。
キリヤからしたら彼我の差も理解できぬ愚か者に見えただろう。
「手も足もでなくても、勝ち目がなくても生き残らなくちゃいけない。……大切な人と約束したからな。」
「何それぇ?キリヤにはわからないなぁ」
「だろうな。まあ、お前にもいつかきっとそんな人が現れるさ。そして俺の言っていることが理解できたら、俺に感謝しながら泣き崩れやがれ」
「なんでおにーさんに感謝しながら泣かないといけないのぉ?」
心の底からわからないといった表情で聞き返すキリヤ。
ガイアは彼女に「キリヤという少女に欠落している大事な感情」を教える。
「お前には『愛』がまだない。その存在を教えた俺に嫌でもいつか感謝することになるさ」
「『愛』?なにそれぇ?ケーキみたいに甘くて美味しいのぉ?」
「ああ、とんでもなく甘いぞ。一度味わえば病み付きになって止められなくなるくらいにな。……だから探して見るといい。お前の長い人生をかけて」
「ふぅん、そんなに甘いんだぁ。キリヤも食べてみたいなぁ。ねえねえ、おにーさん。どこに『愛』って売ってるのぉ?」
「売ってはいないな。」
「えぇ、じゃあどこにあるのぉ?」
「どこにでもあって、どこにでもない。……まあお前次第ってとこかな。」
「おにーさんの言ってること難しくてキリヤにはわからないなぁ。……あ~、もしかしてぇ、キリヤに『愛』を食べさせたくなくて意地悪してるんでしょ~」
キリヤは不満気にぷくーっと頬を膨らませて怒っている。
「いいや、俺はお前に『愛』を絶対に味わってほしいと思ってるさ。ただ、見つけるのは難しいってことを伝えたいだけだ。」
そう言って一度斬り合いをやめて距離を取る。
「まあ、この戦いが終わったら探す旅に出てみるといいさ。案外あっさり見つかるかもな」
呼吸を整えながら何気なくそんな提案をする。キリヤは顎に手をやり首をかしげて可愛らしく悩んでいる。そして少し考えた後、納得したように頷いてガイアを見た。
「それもありかもねぇ。師匠もおにーさんに殺されていなくなったからぁ、
キリヤはガイアの提案を受けて帝国を出ようと考えたようだ。ガイアは内心ホッとした。この戦いを凌げば二度とキリヤと戦わずに済むからだ。
しかし、無情にもガイアの安心は彼女の言葉に打ち消される。
「ありがとぉ、おにーさん。……そろそろ殺すねぇ」
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