第42話 メザーロック公爵家

 本気で怒っているサイラスを見るのは、どれくらい振りだろう、とジェシーはその後ろを歩きながら思った。


 五年前に回帰していることもあって、もはや思い出せるレベルではなかった。けれど、普段怒る姿を見慣れているにも関わらず、こんなにも怖く感じるのは、サイラスが相当頭に来ている証だった。


 ヘザーが私の代わりに、あの令嬢のようになっていた可能性があったから。


 それでもジェシーを非難しなかったのは、サイラスもまた命を狙われることが多いからだろう。誰かが自分の代わりに被害に遭うことにも、慣れているのかもしれなかった。


 そんなサイラスに連れられて、ジェシーたち一行が向かっているのは、王城内にある宰相の執務室だった。


 お茶会の事件の後処理は衛兵たちに任せ、参加していた者たちへの説明と退避は給仕たちと、集まっていた侍従と侍女たちが手伝ってくれたため、無事終えることができた。


 宰相の執務室に辿り着くと、扉の前に衛兵が二人立っていた。サイラスの姿を見た途端、確認も取らないまま扉を叩いて、中にいる人物にお伺いを立てる。


「サイラス様方がお見えになられました」

「通せ」


 この部屋でそう言える人物は一人しかいない。


 扉が開かれ、ジェシーたちが中に入った先で見たものは、なかなかシュールな光景だった。

 部屋の隅で正座している青年がいながら、机で淡々と仕事をしている中年男性。それも青年の方は、口を布で塞がれ、縄に縛られている状態である。

 これで、中年男性が青年の前で椅子に座っていたら、後退りして、部屋からそっと出ていったかもしれない。


「父上、お手数お掛けします」


 サイラスは慣れているのか、怒りで気にならないのか、部屋の隅を一瞥だけして、中年男性、メザーロック公爵に詫びの礼を言った。


「構わんよ。エストア侯爵のせがれが何を仕出かしたのか分からんが、煩いくてな。気絶させるわけにもいかんから、塞いでいるだけだ」


 一応、自分の趣味ではないことを、入室したジェシーたち令嬢に言い訳しているように聞こえた。


「さらに迷惑を承知で、ここを使わせてもらっても構いませんか?」

「ふむ。条件が二つ。一つは、令嬢方を同席させないこと。二つ目は、私の仕事の邪魔をしないことだ」

「一つ目は分かりますが、二つ目は……」


 執務室を使うな、という要求にも聞こえ、サイラスは言葉を詰まらせる。しかし、これは逆に捉えることも可能だと、ジェシーは思った。


「つまり閣下かっかも、お知りになりたい、ということですか?」

「当然ではないか。何やらコソコソやっている、とソマイア公爵から聞いているぞ、ジェシー嬢」


 あら、と口元に手を当てながら、ジェシーは内心舌打ちをした。


 やっぱりバレていたか。


「加えて、セレナ嬢が未だ行方不明のままでは、ゾド公爵が王妃に何を要求するか分かったものではないからな」

「心中お察し致します」

「先の件で、ソマイア公爵が胃を痛めておったぞ」


 まるでその言葉は、そなたの父親に言ってやれ、とでも言われたような気がし、心に刺さった。思わず目を逸らし、胸ではなく脇腹に手を当てた。


「では、遠慮なく使わせてもらいます」


 サイラスは一連のやり取りのことなどなかったかのように、ロニ以下シモンたちに目配せした。

 そして、ミゼルとヘザー、コリンヌを部屋の外へ出す。さらにレイニスも、外で控えている衛兵と共に護衛として付き添わせた。


 四人が出て行くのをロニたちと共に見ていると、後ろから視線を感じた。相手が誰だかは分かっていたため、助け舟を出してほしいとばかりに、その人物を呼んだ。


「閣下」


 ジェシーは条件を出したメザーロック公爵に判断を仰いだ。


「……ジェシー嬢。ここは聞き入れてくれ。私もエストア侯爵の倅に聞きたいことがあるんでね」


 暗に邪魔だと言われてしまっては、聞き入れるしかない。渋々ジェシーは、扉を潜った。



 ***



 三十分ほど経った後、執務室の扉が開かれた。窓の外を見ながら、立ち話をしていたジェシーたちは、その音を聞くとすぐに視線を向けた。


 出てきたのは、メザーロック公爵とシモンの二人だけだった。こちらにやってくるシモンに構うことなく、ジェシーはメザーロック公爵に近づいた。

 それはシモンも承知だったようで、すれ違いざまに会釈された。


「閣下。もうよろしいんですか」

「あぁ。聞きたいことは聞けたのでね。ジェシー嬢も、中で二人から聞くといい」

「二人? フロディーからではないのですか?」

「ん? そんな者、いたかな?」


 メザーロック公爵の言葉に、ジェシーは急いで中に入ろうとした。フロディーがいない、とはどういうことだろうか。


「それよりもジェシー嬢」


 けれど、メザーロック公爵に声を掛けられ、足を止めるしかなかった。


「サイラスから便利な通信魔導具があると聞いたのだが、今度詳しく見せて貰ってもいいかな」

「……まだ試作段階ですので、お渡しできませんよ」

「なかなか、便利だと聞いたんだが。ソマイア公爵に頼んでおくよ」


 すでにメザーロック公爵の頭の中では、貰う気満々のようだった。


 あぁ、サイラスの時は上手く逸らしたのに! この三十分で何を喋ったのよ!


 ソマイア公爵家にとって、メザーロック公爵家はお得意様なので、ジェシーはそれ以上何も言えなかった。できたのはただ、上機嫌なメザーロック公爵の後ろ姿を、見送ることだけだった。

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