第16話 思い巡らす騎士(ロニ視点)

 二日前。

 ソマイア邸を出たロニは、そのまま帰路につかず、宝石商の元へ向かった。


 自宅に戻り、呼ぶことも出来たのだが、事が事だけに、気が急いでいた。なるべく早く用意する必要があったからだ。婚約指輪を。


 忘れられたり、なかったことにしたりはしないだろうが、長いこと待った分、早めに事を進めたかったのだ。


 幼なじみという目線ではなくなったのは、長い期間、首都を離れることになったのがきっかけだった。恐らく本人はもう覚えていないだろう。


 ある程度の年齢になると、マーシェル家の子どもは幼くとも、領地で訓練を受けるのが、古くからの仕来たりであったため、ロニも当然の如くジェシーにその話をした。


「そういうわけだから、お土産を沢山持って帰ってくるね」


 何が良いかな、とあれこれ考えていると、突然ジェシーに抱き着かれた。


「ダメ! 行っちゃ嫌!」


 二歳年下の小さなソマイア家のお姫様は普段、我儘を言ったりして困らせることはあったが、けして泣く姿は見せなかった。


 それがこの時は珍しく、泣いて言うものだから、どうしていいか、本当に困ってしまった。あんなに泣かれたのは、後にも先にもその一度だけである。


 しかし、それが好きになった出来事じゃない。ジェシーも、我儘を聞いてくれる人間が、傍から離れることを、単純に嫌がったに過ぎないのだから。


 その後、ソマイア公爵が折れ、父であるマーシェル公爵を説得して、了解を得た上で、ジェシーもマーシェル領に行くことになった。

 ジェシーは魔法が使えたから、一緒に訓練できるだろう、ということで。


 ただ、俺以外の知り合いもいない場所で、平気でいられるほどの精神を、幼い少女は持っているはずもなく。終始、俺の傍から離れようとはしなかった。


 だから、自然と世話をするようになり、寝る時も一緒だった。


 周りはジェシーの扱いをどうしていいか分からなったから、当然のようにそれを受け入れてくれた。が、それがよくなかった。


 領地から戻り、首都での生活が始まると、違和感を覚えてしまったのだ。ジェシーが傍にいない生活に。


 今何をしているんだろう。食事は食べたのか。怪我していないだろうか。ちゃんと眠れているのか。


 そんなことばかり考え出したのだ。そして気がつくと、ソマイア邸の前にいて、ジェシーを訪ねている始末だった。


 しかし、好きだと自覚したのはそこでもない。


 社交の場に出た時だ。領地で過ごしていた頃は、わんぱく少女だったが、磨かれて綺麗に着飾れば、それなりに、いや結構可愛くなっていた。


 すると当然、近寄ってくる輩が増える。勿論、公爵家という立場に魅かれて来る者もいたが。


 最初は、可愛い妹分に悪い虫がつかないようにしていたサイラスと、同様のことをしているつもりだった。が、途中から、ジェシーの横を、誰にも譲りたくない気持ちでやっているのだと自覚した。


 そこからは、ジェシーを驚かせないように、怖がらせないように、とアピールしていたのだが、まさかこんなにも気づかれないとは思わなかった。


 結婚適齢期が過ぎても好きになってもらえなかったら、告白するか、家同士の婚姻という形を取ろうかと考えていたところに、コリンヌ・グウェインに邪魔された。いや、褒めるべきか。


 ともかく、ジェシーが意識してくれている間に、渡さなくてならない。都合の良い男のポジションには戻りたくはなかった。


 ロニは、宝石商の店員から薦められる品を吟味する。


 ジェシーは自ら指輪のデザインをして作るほどだ。下手なものは渡せない。


「婚約指輪でしたら、こちらはいかがですか? 今人気のデザインとなっていまして」

「少し変わったデザインの物はあるか」


 人気なものは、定番ということもあって、あまり信用できない。それに、自らデザインするジェシーには、そこから離れた物の方がいい気がする。


「こちらはいかがでしょうか?」


 その中から一つだけピンときた物があったロニは、それにいくつか注文を付け加えてから、宝石商を出た。



 ***



 翌日ロニが向かったのは、ソマイア邸ではなく、サイラスのいるメザーロック邸だった。


「それでお前は、俺に惚気のろけばなしを聞かせに来たってわけか」


 サイラスに会った途端、思わず昨日の出来事を話した。ようやく思いが通じた嬉しさと、些細な自慢をしたくて。


「いや、それだけじゃないんだけど、一応報告しておこうと思って」

「そうだな。報告は大事だ。知らないまま近くでイチャつかれていたら、さすがにキレるぞ。俺がお前たちのためにせっせと調べて、情報を集めてやっているっていうのに」


 厳密に言うと、俺たちではなく、ジェシー個人の頼みなのだが、黙っておくことにした。


「それで、どれくらい分かった? グウェイン嬢の話だと、ランベールはまだ戻っていない、ってことらしいけど」

「へぇ、真面目に動いてくれたのか、あの女は」

「うん。レイニスを落とすなんて芸当までしたよ」


 さすがのサイラスも、驚いた顔をした。


「やるな。そっち方面で仕事をする気はねぇかな」

「無理だよ。グウェイン嬢はジェシーの側近になったんだからね」

「それは残念だ。どうせ、向こうの方が待遇はいいだろうしな」


 サイラスの下に付いたら、無理難題を押し付けられるに決まっている。人使いが荒いのだ。

 それに比べ、ジェシーは一旦懐に入れると、どんな相手でも守ろうとする。それ故に、もうコリンヌを攻撃することは出来ない。ジェシーが許さないからだ。


「とりあえず、ランベールは昨日、王子宮に戻った。これは目撃者が何人もいることと、こっちでも確認も取ったから大丈夫だ。ただ、それっきり王子宮から出てこないらしい」

「出てこないのは、別に可笑しくはないんじゃないか」

「まぁな。長いこと外出していれば、不思議じゃない。が、変だと言っているんだ。ウチの連中が」


 連中というのは、サイラスが抱えている、諜報員たちのことである。


「俺も直接、確認に行きたいところなんだが、もう一つ抱えているだろ?」

「あぁ。それで、セレナの方は?」

「さっぱりだ」


 えっ、と今度はロニが驚いた顔になった。


「さっぱりってどういうこと?」

「こっちでも調べても、ゾドの方で調べても、さらに教会の連中も加わっても、行方が分からねぇ」

「ランベールが戻ったのに?」

「そもそも誕生日パーティーで二人が消えたからと言って、ランベールがセレナを連れ去ったとは言い切れない。そうだろ」


 ロニは頷いた。たまたま二人がいなくなったから、安易にそう思っていただけで、違うとしたら、また別の憶測が生じる。


「じゃ、別の誘拐事件ってことになるのか」

「もしくは自分から失踪したか、だな」

「何の理由で」

「ゾド家は教会も抱えているんだ。俺らの知らないところで、頭の痛い問題が起こっていたとしても可笑しくはない」


 そう言い切られてしまえば、返す言葉がなかった。教会は不可侵の領域。宰相家のメザーロック家でも、入り込む隙間はない。魔塔を抱えているソマイア家なら、もっとである。


「教会には騎士団がある。ちょっと探ってみようかな」

「珍しいな。ジェシー関連以外で動くなんてよ」

「巡り巡れば、ジェシーのためだよ」


 それに、とロニは一旦間を置いた。


「役に立つところを見せないとね。グウェイン嬢ばかりに目が行くのは嫌だから」

「相変わらず、ジェシーのことになると、男女関係なく牙をむくな」

「ジェシーが誰でも懐に入れちゃうんだから、しょうがないだろう」

「あぁ、それな」


 サイラスもロニと共に、困った表情になった。


「気に入ると関係ないからな、あいつは」

「とにかく、教会は探っておくから、引き続き頼むよ」

「あぁ。それぞれ別の方角から探りを入れていれば、違うものも見えてくるかもしれないからな」


 方角、と言われて、ロニはあることを思い出した。


「ちょっと明日、王城に確認しに行くつもりなんだけど、サイラスも知っていたら教えて欲しいんだ」

「何を?」

「王城の敷地内にある庭園、温室と王妃の宮殿の反対側には、何がある?」

「反対側って、鬱蒼うっそうとしていなかったか?」


 そう、鬱蒼とした森のような場所。ロニの記憶と一致している。


「そこから、レイニスが出てきたらしいんだ」

「怪しいな」

「だろ。けど、やっぱりサイラスも知らない、か」

「レイニスってことは、ジェシーも知っている情報だよな。……危険だと思ったら、深入りするな」


 お互い、直感でヤバい案件だと感じたらしい。


「大丈夫。他にもやることが出来たから、深入りはしないよ」

「ならいい」


 それでも、サイラスは表情を戻すことはしなかった。懸案事項がまだあったらしい。帰ろうとするロニに向かって言った。


「ジェシーにも、気をつけろと伝えてくれ。お前だけじゃなく、俺からもあれば、少しは自重するだろうから」

「分かった。伝えとくよ」


 さすがは俺らの兄貴分、何でも見通している。少しでも、その肩の荷を下ろしてやりたいが、無理そうだ。


 ロニは苦笑いして、メザーロック邸を後にした。

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