第13話 エスコート

 ソマイア邸の庭園は、垣根が少なく、邸宅から一望できる造りになっていた。故に、植えられた花々も膝より高いものはない。


 それ以上のものは、邸宅をふた回りほど小さくした温室に植えられている。

 中にある植物のほとんどが、観賞用ではないという噂が出回ってしまったため、担当の者以外の使用人はあまり近寄らない場所になっていた。


 そういった理由から、ここはある意味、第二の応接室となり、公爵以下ソマイア家の人間の出入りは多かった。


 ロニは勝手知ったる他人の家とばかりに、温室の扉を開け、ジェシーに入るよう促す。そこまでは構わなかった。問題は、当然の如く腕を差し出したことである。


「もうエスコートは必要ないでしょう」

「なら、こっちにするけど」


 そう言って、ロニは手を差し伸べた。ジェシーは数十分前のことを思い出し、溜め息をついた。


 インディゴの間で、本題を切り出そうとした直後、突然ロニから庭園に行こう、と誘われた。反対する理由がなかったため、部屋を出たところまでは良かった。


「この手は何?」

「エスコート」

「何故?」

「したいから」


 その一言に、ジェシーはロニの手を叩いた。


「ふざけないで。どうして自分の家の中でエスコートされなくてはならないの」

「嫌なら、こっちは?」


 手を引っ込めたロニは、ジェシーに左腕を差し出した。


 叩いてまで拒否したのに、どうして別のエスコートをしようとするのよ!


 またもや腕を叩こうとした右手をロニに掴まれ、あろうことか左腕に添えられてしまった。


 ここまでされたら、手を引くことができないじゃない。いや、できないことはないけれど、満足げな顔を見せられたら、余計に躊躇ためわれた。


 そんな押し問答のようなことがあったのを忘れたのかしら。あの時私が折れたのだから、今度はロニが折れるべきでしょう。


 ジェシーは抗議の眼差しを向ける。が、逆にしょんぼりした顔に、結局またジェシーが折れることになった。


「取ればいいのでしょう」

「一応、ここは危ないからね」


 私の家の温室よ、ここは。それとも、五年振りだから気をつけろとでも言いたいのかしら。


 そんなことを思いながら、温室の入り口で使用人に話しかけた。



 ***



 ソマイア邸の温室は、他家の温室とは、少々役割が異なっていた。庭園では育てられない植物は勿論のこと、国内の変わった植物も、多岐にわたり収集していたからだ。

 主に、保護という名目で、生態の研究、希少種の繫殖、さらに薬草の栽培と新薬の開発などもここで行われている。


 そのため、温室内には空いたスペースに、小さなテーブルと椅子が二つセットになったものが、至る所に置かれていた。


 ジェシーは入り口で、温室を担当している使用人に、食事とお茶を頼む。第二の応接室として使っているため、給仕の使用人が常駐しているのだ。


 何処が空いているかと周りを見ることなく、ロニはジェシーの手を引いて、二階へと進む。


「あっ」


 すると、階段の途中で足を踏み外した。すかさずロニが右手を引っ張り、持ち替えてジェシーの腰を支えた。


「ありがとう。こんなに長いスカートは久しぶりだから、まだ感覚が戻らないみたい」


 回帰前の服装は、平民というよりも、動き易さを重視して、スカートの丈はふくらはぎの真ん中くらいの物を着用していた。


 けれど今は、公爵令嬢。丈はふくらはぎの下。しかも、階段を上がる際、スカートの裾を持ち上げなければ上り辛かった。


「だったら、余計エスコートは必要だったじゃないか」

「ロニは何ともないの? 窮屈に感じるとか」

「……騎士団の訓練と思えば」


 何よ、それ。私だけ、不便な思いをしているというの?


「歩き辛そうなら、抱えようか」

「そこまでする必要はない!」


 しかし、ロニには不安材料しかなかったのか、腰を掴まれたまま階段を上ることになった。


 ロニが選んだのは、窓際の席だった。近くには本棚があるため死角になり易く、人には聞かれたくない、ちょっとした話をするにはうってつけの場所だった。


 しばらくすると、使用人が食事とお茶を持ってきた。ちょうどお昼頃だったこともあって頼んだのだ。


「なるほど、レイニスがねぇ」


 使用人の姿が見えなくなってから、ジェシーはロニに一部始終を話した。王子やコリンヌのことよりも、レイニスの方に反応するのは、仕方がなかった。


「ジェシーの判断が正しかったな。俺が聞くよりも、グウェイン嬢の方が情報を引き出せそうだ」

「たまたまよ。まさか、レイニスがコリンヌに気があっただなんて、思いもよらなかったんだから」

「普通は思わないよ。ランベールの傍にいるグウェイン嬢を見て、シモンやフロディーのような態度を取る方が多い」


 王子がどんな人物であろうが、媚びる令嬢は後を絶たない。婚約者であるセレナが、王子に一切興味を示さないのも、大きな理由だった。


「まぁ、私たちも見下していたのね」

「うん。とりあえず、ランベールの動きは、レイニスから聞き出すとして、そのレイニスの動きが気になるな」


 何が? と聞く前に、ロニは席を立ち、本棚の隣にあるキャビネットの引き出しから、紙と羽ペン、インクを取り出した。


 それらをテーブルに置くと、絵を描き始めた。


「王城?」

「そう。レイニスが出てきた位置が気になってね」


 王城を四角く、庭園を楕円形に描くという、何とも大雑把な絵だったが、その間に線を引いたところで、ジェシーの方に紙を寄せた。


「ここからレイニスが現れたと言っていただろう」

「えぇ。王城から庭園に歩いている途中、右から現れたって言っていたわね。それも、もうすぐ庭園に着く頃だった、と」


 右、と呟いて、楕円形に近いところに線を一本引いた。そして、先端を指差した。交差していない方の線の先端に。


「こっちには何がある?」

「え? 王城の何処かと繋がっているのではなくて?」

「いや、庭園の左側なら温室や王妃の宮殿がある。だが、右側は立ち入り禁止区域になっているんだ」


 王城にあまり行かないジェシーと違い、ゴンドベザーのすべての騎士団を率いているマーシェル公爵家のロニは、当然の如く敷地内を把握していた。


 しかし、それはマーシェル公爵家の傘下であるレイニスも、同様ではないだろうか。立ち入り禁止区域であっても、警備の管轄内だとか。


 いや、レイニスは王子の側近であり、騎士という身分から、護衛も担っていた。そんなレイニスが、王子が不在の場所で、一体何を……。


「ロニは把握していないの? この禁止区域を」

「調べれば分かると思う」

「つまり、ロニも入ったことがない場所に、レイニスがいた可能性があるというのね」


 ロニは頷いた。


「分かった。コリンヌに探らせる様に伝えるわ」


 口を割るかはコリンヌ次第。こっちもコリンヌの望みを叶えれば、必ず引き出してくれるでしょう。


 ジェシーはパンをちぎって、口に入れた。邸宅内と違い、温室で頼む食事は、基本軽食である。

 パンとスープとサラダ。要は、簡単に食べられて腹が満たせれば、何だっていいのだ。研究に没頭したい者たちにとっては。


「そうだ。そのコリンヌなのだけど、私の側近になったことは、知られていない状態なのよ。だから、明後日一緒に街へ行ってくるわね」

「二人で?」

「そんな物騒なことはしないわよ。本当にレイニスがコリンヌを好きなのを確かめたいから、護衛を兼ねて同行してもらうつもり」

「何時?」


 もしかして、余計なことを言ってしまったかしら。嫌な予感がする……。


「なるべく長く人目に触れたいから、一日一緒にいるつもりだけど」

「何時?」


 笑顔でロニはもう一度聞く。


「……十時」

「午後から合流してもいいか?」


 思わずジェシーは目を閉じた。


「条件があるわ」

「うん。いいよ」

「まだ、何も言っていなのに、返事をしないでちょうだい」

「でも、ジェシーは俺に無理な問題は頼まないだろう」


 うっ。むしろ自分が突っ走って、ロニにフォローしてもらっていることが多いため、反論できなかった。


「それでも言わせてちょうだい。コリンヌの評判が良くなって、レイニスと婚約する時期になったら、力を貸してあげてほしいの」

「じゃ、グウェイン嬢に伝えてくれるかな。これとそれは別だよって」


 ジェシーは敢えて、何が“これ”で“それ”なのか、聞かないことにした。そして、何が“別”なのかも。


 ロニの表情が、また怖くなっていたからだ。

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