推して知るべし

凹田 練造

推して知るべし

   M−1


 今朝も、目覚めは、キュミリュンの笑顔だ。天井で微笑むキュミリュンのポスターは、両肩がふっくらふくらんだ真っ白なドレス。

 何もかも暗いぼくの生活の中で、キュミリュンだけが輝いているんだ。キュミリュンがこの世にいなければ、ぼくは一日だって生きてはいけないだろう。

 そう、キュミリュンは、スーパーアイドル。なかなか会いに行けないけれど、そのソプラノの歌声は、まるで天使の歌のようだ。透きとおった声に、何度励まされたことだろう。

 ぼくは、机の上の写真立ての中の、テニスウェア姿のキュミリュンにおはようを言う。ぼくの想いは、決してキュミリュンには届かないけれど、キュミリュンへの気持ちは、世界中の誰にも負けない。

 今日も、キュミリュンに贈る髪飾りの続きを作ろう。いつの日か、キュミリュンの柔らかい髪に、白い花の飾りをキラキラと輝かせるんだ。


   W−1


 わたしの王子様。優しく微笑んでくれる、りりしい壁のポスター。

 ジューモローヌは、いつでもタキシード姿。ある時はシックな黒。ある時は銀色に輝くタキシード。

 退屈な私の毎日は、ジューモローヌのためにあるようなものだ。ミュージカルスターである彼の、テノールの声は、いつでもわたしの心をふるわせる。

 部屋中の壁を埋めつくしているジューモローヌの写真。いつでもどっちを見ても彼と目を合わせることができる。そのあたたかい視線のおかげで、何もない生活に張りが生まれるのだ。今では、私の生きがいそのものだ。

 今日も、彼のために、タキシード用のネクタイ製作に取りかかる。きっと、彼のタキシード姿を飾る日は来ないだろうけれど、少しでもジューモローヌとつながっていたい。そのためなら、なんだってするつもりだ。


   M−2


 今日の仕事も、つらかった。ただでさえ暗い僕の人生が、さらに、より一層、暗くなるような気がする。疲れはてて、やっとたどり着いた部屋の中は、真っ暗だ。

 でも、明かりをつけた途端、目に飛び込んでくるのは、キュミリュンの満面の笑みだ。

「キュミリュン、ただいま」

 キュミリュンは、なんにも言ってはくれないけれど、その可愛い顔は、完全にぼくに向かって微笑んでくれている。

 ぼくは、胸を熱くしながら、今日あったできごとを、話しはじめる。ぼくの心を包みこむように、優しいまなざしで聞いてくれるキュミリュン。ぼくの、ぼくだけの、キュミリュン。

 本当に、キュミリュンがいてくれなかったら、ぼくはどうなっていたかわからない。こうやって、ひとときの安らぎを感じながら、毎日を過ごしていけるのは、キュミリュンの笑顔があるからだ。

 キュミリュンは、歌だけじゃなくって、踊りも抜群にうまい。きっと、アイドルの中で、一番上手なんじゃないかな。いや、きっと、キュミリュンよりダンスのうまいアイドルなんか、いるわけがない。激しい踊りだけじゃなく、静かに感情を表現しなくちゃいけないダンスなんて、キュミリュン以外、誰が踊れるっていうんだ。

 心で叫びながら、キュミリュンのために、心をこめて、白い花の髪飾りの続きを、作りはじめる。いつの日か、キュミリュンの肩まで伸ばした髪を、いろどることを夢見て。


   W−2


 やっと仕事が終わった。わたしは、疲れた体にむち打ち、引きずるように家路をたどる。

 毎日毎日、やることはおんなじだ。退屈なだけじゃなくって、あまりに単調な繰り返しに、頭がおかしくなりそうだ。

 とぼとぼと歩き、やっと部屋のドアの前まで来る。いつも、部屋の鍵がすぐに出てこない。やっとドアを開き、玄関の明かりをつける。

 そして、部屋に入って、明るくすると……。

 鮮やかに目に飛び込んでくるのは、ジューモローヌのシャキッとしたタキシード姿。思わず、疲れているはずの私の体も、シャンと伸びる。

「ただいま、ジューモローヌ。あのね、今日ね」

 着替えるのも忘れて、話しはじめる。メイク落としなんか、もう、どうでもいい。そのまま、小一時間も話し続ける。本当に、このジューモローヌとの時間がなかったら、退屈で、どうにかなっていただろう。

 ジューモローヌは、ミュージカルスターだけに、踊りが神わざのようだ。軽快で、小気味よくって。タップダンスなんて、卒倒していまいそうなほど。

 今日も、ジューモローヌのための、ネクタイの製作を続ける。最初は、デザインに悩み、色で迷った。

 でも、そんな時間も、わたしには幸せな時間。わたしがジューモローヌに少しでも近づけるたいせつな時間。ジューモローヌが結んでくれて、わたしとひとつになる日が来ますように。


   M−3


 さあ、もう寝ないと。あしたも、暗い気持ちで、仕事をしなければならない。

 それでも、すぐに眠る気にはならない。部屋中のキュミリュンに、ひとりずつ、心をこめておやすみを言う。

 机の上のキュミリュンにも、もちろん、おやすみのあいさつをする。

 これで、なんとか、眠りにつくことができそうだ。じんわりと、あったかい気持ちになってくる。

 時々ドラマなんかに出演する時の、キュミリュンの素敵な演技が目の前に浮かんでくる。彼女の演技力について、とやかく言う人もいるけど、アイドルっていうイメージだけで決めつけないでほしい。ぼくは、キュミリュンの演技が世界一だってこと、知っている。

 壁の真ん中には、やっと完成した、キュミリュンの髪飾り。部屋の明かりでは、くすんだような白にしか見えないのが、残念だ。

 でも、これでキュミリュンに、髪飾りを贈ることができる。きっと、いっぱいプレゼントをもらうんだろうから、ぼくの髪飾りなんか、見向きもしてもらえないかもしれない。それでも、キュミリュンのために作ったんだ。もらってもらえるだけで嬉しくなる。

 最後に、天井の白いドレスのキュミリュンに、小さな声でおやすみを言う。

 今日は、夢の中でキュミリュンに会えるだろうか。その時、夢の中のキュミリュンは、ぼくの白い花の髪飾りを、つけてくれているだろうか。


   W−3


 今日も、退屈すぎた一日が、終わろうとしている。

 疲れて、かえって眠れそうにない。黒いタキシードのジューモローヌに、祈りをこめて、そっとおやすみを言う。どうかあしたが、少しでもいい一日になりますように。

 白いタキシードのジューモローヌには、今日一日、ありがとうを言う。あなたのおかげで、なんとか頑張っていられるの。

 銀のタキシードのジューモローヌには、今夜、よく眠れますようにと、お祈りする。だって、明かりを消した時、とっても不安なんだもの。

 珍しい、青いタキシード姿のジューモローヌには、あしたも頑張るね、って約束する。この約束がなかったら、とっくにお仕事なんか、やめていたに違いない。

 ジューモローヌは、どんなお芝居でもこなしてしまう。ある時はかっこいいお医者様、ある時はかっこいい名探偵、またある時はかっこいいスポーツマン。

 彼の演技力にかなう人なんか、世界中、誰もいないんだから。

 机の上に、大事に乗せた、やっと完成した、彼のためのネクタイ。

 どうせ、ジューモローヌには、見向きもしてもらえないだろうけど、でも、それでもいいの。わたしがジューモローヌのためにしてあげられる、せいいっはいの気持ちを込めたんだから。

 今日は、一番好きなミュージカルの舞台の、ジューモローヌに会えるだろうか。明かりを消して、そっと目をとじる。


    M−4


 さあ、今日も仕事に行かなくては。

 壁のキュミリュンに行ってきますの別れを告げ、体を引きさかれるような思いで、部屋を出る。

 暗い気持ちで、仕事場に入る。

 うす暗い、劇場の楽屋。一か月間、来る日も来る日も、同じミュージカルの演目を演じ続けなければならない。

 ふと、楽屋の机の上を見ると、なんだかあまりかっこよくないネクタイが、そっと置いてある。ファンの子からのプレゼントだろうか。あまり興味はないが、なんとなく手にとってみる。

 スタッフが呼びにくる。つい、そのまま、ネクタイを持って楽屋を出る。

 ま、いいや。今日はこのネクタイをして、舞台に立つか。


   W−4


 また今日も、お仕事に行かなければならない。毎日毎日、おんなじ。毎日毎日、退屈。

 ひとりひとりのジューモローヌと、別れをおしむ。まるで、本当に、ジューモローヌに後ろ髪を引っ張られているような感覚を覚えながら、なんとか部屋を出る。

 私が出演する、アイドル劇場にはいる。楽屋は、みんないっしょだ。

 鏡の前に座ると、なんだか不格好な髪飾りが置いてある。白い、なんだろう。きっと、花びらのつもりね。ファンからの贈り物なんだわ。興味ないけど。

 ひと通り、メイクもして、衣装合わせをする。

 なんの気もなしに、手に、さっきの髪飾りを持っているのに気づく。

 ま、いいや。今日は、これつけて出よう。

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