獅子と蟻じゃ。
剛力りつほを襲った二人は盗賊団に所属する下っ端団員だったが、今回の件は盗賊団としての仕事ではなく、彼らの単独行動によるものだった。痩せた方はノービル・ニョイ、肥った方はシタイケ・スゥという名であり、それぞれの能力は、「〈伸縮〉短刀を自在に伸縮させる」「〈分解〉死体を瞬時に消滅させる」というものだった。代替の利き易いノービルとは違って、シタイケの方は特にその証拠隠滅能力を盗賊団において珍重されていたのだが、生来の気弱な性格、そして何より喧嘩が弱いという犯罪集団に属するには致命的な弱点をシタイケは抱えており、集団内での高い地位を思うように確立できずにいた。かかる事情から功を焦り、戦闘能力の高いノービルを帯同して、単独での仕事に及んだ。シタイケらの求めた獲物の特徴は、①ひと気のない場所に独りでいること、②金を持っていそうなこと、③戦闘能力が低そうなこと、というものだったが、よりにもよってこれらの条件を満たした剛力りつほを彼らが最初に引き当ててしまったのは、悲運と言う他ない。彼女は閑散とした場所を彷徨っていたし、セーラー服はこの世界の者の眼には珍妙で高価な品に写ったし、何より、彼女は弱そうだった。160センチに満たない身長、あどけなく丸っこい童顔、つやつや黒髪のおかっぱ、くりくりした瞳。殆ど子供のような容貌であり、戦闘に秀でたノービルが不覚を取るような相手とは、とても思えなかった。この世界にも銃器は存在するが、あまり普及しておらず、だから、遠隔から一方的に攻撃できるノービルの〈伸縮〉は無類の強さを誇っており、シタイケは絶大な信頼を寄せていた。伸縮の速度も驚異であり、音速とまではいかないまでも、常人の動体視力と反射神経ならまず不可避の筈だった。だが、生憎、剛力りつほは、常人ではなかった。
剛力りつほは、岡山県のとある辺鄙な田舎町の、裕福とは言い難い父子家庭で育った。身近な娯楽といえば読書、せいぜい漫画が関の山、そのようなうら寂れた地の退屈な生育環境は、あどけない少女を、専ら武の鍛練に没頭させた。彼女の父、剛力鬼丸(ごうりき・おにまる)は剛力流空手創始者の末裔であり、平日の昼間は役場に勤務する傍ら、平日の晩と休日には娘を含む極少数の弟子に武の指導を施すのを、唯一の生き甲斐としていた。剛力流は実践を旨とする流派であり、反則技はなく(金的、目潰し、何でもあり)、それどころか、戦闘を開始する以前の判断までもが、技の内に含まれていた。すなわち、戦闘によって得る利益と被る不利益を正確に比較衡量すること、武器の有無を洞察すること、姿勢や視線等から相手の狙いを察知すること、などがそれである。先の戦闘において、彼女は〈伸縮〉による不意打ちの初擊を見事回避したが、これは彼女が剛力流の教えに従い敵の奇妙に広い間合いを警戒していたお陰であり、仮に警戒を怠っていれば、彼女は一撃で顔面を刺し貫かれていただろう。
シタイケは、男性器を破壊されのたうち回るノービルを唖然として眺めながら、標的の選定を誤ったことを、猛烈に後悔していた。夜の町を独り彷徨っていた標的は、群れから逸れたか弱い子羊のようであったのに、今、眼前で圧倒的な存在感を放ちつつ自分を見据える女は、宛ら獰猛かつ冷淡な獅子だった。彼女のいたいけな外見から、このような強かな本性を、どうして想像できようか。武に通ずる者であれば、彼女の静謐で隙の無い脚運び、全身から漏れ漂う尋常ならざる気迫、瞳の奥に潜む熱く冷たい光などを観取し、決して無闇には勝負を挑みはしなかっただろうが、残念ながら、シタイケらはかかる慧眼を備えてはいなかった。
金目の品を渡せとの剛力りつほの命令に、言うまでもなく、シタイケは従った。大した額ではないが、自らの全所持金を献上し、更に、完全に伸びているノービルの懐を漁り、同様に全所持金を差し出した。短刀を奪われ、売れば金になるかと問われ、きっと二束三文だろうと正直に回答したところ、興味無さげに返された。金品の授受が完了し、これで無事解放されるだろうかとシタイケは期待したが、気の毒ながら、見通しが甘過ぎた。
剛力流は、戦闘術を指南するのみならず、そもそも戦闘すべか否かを判断する眼を養わせることに特徴があることは、上述した。では、本件に於いて、剛力りつほが「欲求不満なん?」などと敵を煽り、戦闘を誘発するような真似をしたのは、何故だろうか? 金品を奪うため、悪を討つため、敵の冷静さを失わせるためなどの理由もあるが、もっと主たる魂胆は、シタイケに告げた次の台詞を聞けば、明瞭に理解されよう。
「おっちゃん、申し訳ないんじゃけど、私の〈能力〉の実験台になってな?」
この台詞を聞かされたシタイケの絶望の深さたるや、察するに余りある。彼を見据える剛力りつほの眼差しは、威圧の気配を一切孕んでおらず、寧ろ憐憫を含んでさえいて、だからこそ、逆説的ではあるが、彼は絶望した。圧倒的な実力差の前で、彼は威圧されるに値しない。蛇に睨まれた蛙という諺はあるが、獅子に睨まれた蟻という諺はない。獅子は、蟻を睨みなどしない。無視するか、さもなくば、無感動に踏み潰すだけだ。
異世界の夜、物騒な町の片隅で、一組の男女が向き合っている。地上の出来事とは全く無関係に、三日月が美しく輝いている。
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