宝くじマニアの嫁

バンビ

第1話嫁の推し活は宝くじ

ハローワーク品川に努める久保寺 涼介(32)の唯一の趣味は、過去にプロを目指してたゴルフの打ちっぱなしである。もっとも薄給であるゆえに、誘われることはあるものの、コンペ等には一切参加しない。というかさせてくれない。

4年前に結婚した妻の美紀(28)は、スーパーのチラシに赤ペンでチェックをしつつ、猛烈な節約に励んでいる。

高層ビルや高層マンションが立ち並ぶ都心なのに、レンタルビデオ屋も本屋もドラッグストアもスーパーも文房具屋でさえも歩いていける距離にない。

唯一歩いていけるのはコンビニくらいのものだが、財布の事情で、足繫く通うこともできない。この不便さに涼介は辟易としていたが、唯一の趣味である打ちっぱなしのゴルフ場だけは、近隣100メートルほどの場所にあり、家賃の為に、クルマを手放してしまった涼介にとって、それだけが救いであった。

「今月も4万円貯めて、次のジャンボにぶっこむわよ」

美紀は鼻息荒く、スーツからスウェットに着替える涼介にまくしたてた。

「ええ?本気? 4万て、だいぶ食費削らなきやキツイでしょ?」

涼介は恐る恐る妻の顔を覗き見てたずねた。

「楽勝、楽勝、あなたの打ちっぱなしの分を減らして、晩酌の発泡酒もやめることにしたんだから」

涼介は妻の提案に呆れて閉口してしまい、顔をしかめた。

「いやいや、俺、打ちっぱなしやめるとか、酒やめるとか一言も言ってないじゃん。なんだよそれ」

チラシをチェックしていた美紀の動きが止まり、額には筋が浮かんでいた。

「一等当てたくないの?」

「ええ?」

「三億欲しくないんだ?」

美紀の急な提案に、涼介は固まった。

「涼くん三億いらないんだ。今の現状に満足なんだ。賃貸でさ、新婚旅行も行けず、クルマにも乗れず、大好きなゴルフのコースにも回れず、本を買うのだって、文庫本が出るまで涙ぐましく待って、ハロワでは求職者に八つ当たりされたりしてさ」

美紀はマシンガンのように、茫然とする涼介を前にまくしたてた。

「不器用でさ、世渡り下手で、貧乏くじばかり引いて、陽の当たる場所には一生縁がないみたいな生き方でいいんだ?」

美紀は、涼介の瞳を凝視しながら、ぐっと顔を寄せてきた。

「涼介くんも知っていると思うけど、私はこれで本が何冊も書けるくらいに宝くじに関しては調べたの。それで最終的に選別したハイブリッドなのが、今のカタチ」

結果、スクラッチで最高10万円しか当たってないじゃないかという言葉を涼介はぐっと飲み込んだ。

人間社会には、「まだ足りない、まだ足りない」と恐怖を煽る存在は無数にあって、ゴールすることなど決して訪れない闇の中のレースへと、今日も僕らは駆り立てられている。

そんな僕たち人間にとって、宝くじの当選というのは、闇の中のレースのゴールへの近道みたいな存在なのかも知れない。

世の中の裕福な人たちへの嫌味、僻み、妬み、劣等感、自己卑下、コンプレックス云々が、この宝くじを買うことで少しでも涅槃に近づけようものならば、これはこれで必要悪なのかも知れない。

それにしても当選の確率はあまりにもエグい。

年末ジャンボの一等の当選率は、二千万分の一である。

交通事故死が三万分の一

飛行機の墜落死が十万分の一

落雷で死ぬ確率が七十万分の一

年末ジャンボは、この滅多に起きそうもない事故死の遥か上をひた走っているのである。

これはご飯6153杯分の中から、当たりを一粒見つける確率らしい。

凄すぎて意味が分からない。

就職氷河期と言われて久しい昨今、涼介の勤めるハローワークでも応募倍率は50倍、60倍というのがざらで、当たり前とはいえ、宝くじの当選に比べれば遥かにましだし、勇気すらももらえてくるから不思議だ。

妻からインスタント宝くじで800円当たったというメールが届いた。

30枚買ったうちの800円、小計1200円のマイナスである。

涼介は窓から外を眺めて溜息をついた。

この梅雨空みたいな晴れない気持ちが、今後永遠に続くと思うとやり切れなくなる。

今朝など、出勤前に、キャロウェイのゴルフクラブのフルセットを売っていいかと相談されたときは、怒りを通り越して閉口した。

トイレをいつもピカピカにして、ありえないほどに磨き込み、枕は北枕、カーテンやソファの色は、絶対的に黄色。出目金を飼い、家から出るときは、決まった足から踏み出し、靴の裏は必ず磨く。縁起の良い日や出来事が起きたタイミングは見逃さない。鳥取県の境港で買ったコケシは運が良いと言い、再び買いに行こうとか言いだす。3億の卵からふ化し、成魚となるのは2匹だけというマンボウを拝みに、わざわざ大阪の海遊館や、伊勢シーパラダイスのマンボウ館にまで乗り込み、「神様、仏様、マンボウ様」と一心不乱に祈る。

おちょぼ口でギョロリとした目、西川きよし師匠を思わせるような風貌で、フグを風船で膨らませたような体型で、ゆらゆら泳ぐマンボウを見て、「神々しい」とか言ったりしている。

とてもじゃないが、俯瞰して見すえられる状況ではない。

涼介自身は、この平和な時代の日本という守られた島国で生まれたこと自体が宝くじが当たったようなものと認識していたが、海の向こうじゃ戦争が起きていて、僕たちの生活をも圧迫していき、日々の辛いストレスを発散すらできずに耐え抜いて生かされてる自分を見ていると、発想の転換ではないが、壮大なハズレくじに当たったのでないかと勘ぐってしまう自分もいる。

なんて理不尽で、酷い考え方なのだろうというのは重々承知の上だが、ここまで我慢させられると、腐ってしまうのも当然なわけで、ハロワに訪れる求職者よりも悪い顔色で出迎えてしまう自分にほとほと嫌気がさしてしまっていた。

しかし、そんな美紀に、人生最大級の変化が訪れた。

それはあまりに突然で突拍子もなく、理解に苦しむほどの変化であった。

宝くじを買わなくなったのだ。

それだけでなく、当選祈願や、こだわりすらも捨てたように、まるで仙人でも乗り移ったのかという変わりように、涼介は、美紀を病院に連れていくべきか迷っていた。

大事な話があると居間に呼ばれたとき、もしや別れ話?とさえ覚悟を決めていたが、妻の美紀から放たれた言葉は、その遥か斜め上をいっていた。

「妊娠した?」

涼介は、妻の言葉を仰天した様子で繰り返した。

「うん……」

「マジで?」

「うん……マジみたい」

「き、き、き、きたー」

涼介は、両腕を突き上げて、ガッツポーズを決めた。

「なんか宝くじに当たるよりも幸せ……」

涼介は、美紀の言葉通り、この新しく宿る命を宝くじ一等当選と同じくらいに幸せな境遇にしてやろうと誓ったのであった。

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宝くじマニアの嫁 バンビ @bigban715

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