3日目③
目の前で、矢が放たれた。恐ろしい数の命を奪う矢が。
それを阻止するために俺はやってきたのに、またなにもできないまま、音もなく飛んでいく禍々しい矢を眺めている。
「いやだ……待ってくれ、俺は」
俺は矢を追いかけるように瓦礫を歩き、こける。
「進さん!」
ブランシュに体を支えられてもなお、俺はすがりつくように矢を追いかけようとしていた。
そしてやがて矢が見えなくなり、絶望に膝から崩れ落ちる、
ブランシュは目を大きく見開いて、上空を眺めている。
「ローラ様……」
「はははははははははは」
山中、激烈な呪い合いのなかで、笑い声が響き渡る。
2匹の大悪魔は、山道を飛び回り、隠れ、呪う。いくら死のうが即座に復活する悪魔同士の呪い合いは、子供の口喧嘩のように幼稚で、終わりがない。
「刮目しろ、人間の愛憎がいかに醜いかを!なあカーティス!お前が守る人間が、ゴミのように死んでいく様を!」
「……諦めるな!神垣進!」
カーティスは、エドアールの呪いを回避しながら叫ぶ。
「こやつはお主の変わりに儂が叩きのめしてやる。だからお主は、こやつの野望を阻止してみせよ!」
大悪魔の狂宴は続く。
愛憎の大悪魔、サルヴァドールとリアの融合体、一体どれほどの強さなの……。
私は懸命に恋の矢を打ちながら、弓矢を構えたまま動かないそれを観察していた。
もはやこの緊急時に相手を選んでいる暇はない、片っ端から打ちまくっている。
サルヴァドール優位になる条件が揃っているとはいえ、流石にリアの呪いに適応するのには時間がかかるはず。
そう、思っていた。
愛憎の大悪魔から禍々しい色の矢が空へと発射される。
ちょうど真上にいたため、ものすごい勢いで矢が迫ってくる。
こわい。こわいこわい。なにあれ。
赤黒い、禍々しい気配、絶対に触れてはいけないと分かる。
出ないはずの汗が全身から吹き出たかと思うほどの恐怖が私を襲った。
歯がカタカタと音を立てる。
こわい。こわい……けど。
でも、あの矢がどこかに飛んでいったら、途方もない数の人が死ぬ、リアがまた自らを憎悪してしまう。
1万年前、生まれてすぐ、あなたに出会った。呪いに苦しみ、既に濁った目をしていたあなたに。
他のみんなは過度にあなたを忌み嫌っていたけど、私は仲良くなりたかった。
そしてあなたは、何にも知らない私を優しく受け入れてくれた。だから後から真実を知っても、まったく嫌う気にはなれなかった。
1000年、2000年、3000年、どれだけあなたのことを慕っていても、私は無力だった。苦しむあなたに、少しでも楽になれるよう慰めの言葉をかけることしかできなかった。
人工が増えて、天使が増えて、仕事も増えた結果、私はだんだんあなたと一緒にいる時間が減っていった。
……いや、指導者を気取って、どうしようもない事実から目を逸らしたかっただけなのかも。
何もしてあげれなかった。
1万年もの間寄り添って、私にできたのは、それっぽい慰めだけ、まるで理解者みたいに、あなたのこと全部分かったみたいに隣に立ってた。
出会って1日の少年が、あなたを見たこともないくらい笑顔にさせていたのには驚いて、なんだか悔しくて、嬉しかった。
あなたが幸せならそれでいいと思ってる。
例え中途半端で知ったかぶりだったとしても、私は1万年も理解者のつもりだったの。
だから分かる。今のあなたが、20万年分の呪いに侵されていること、私にはその呪いを解くことができないこと。
今の私があなたにしてあげられることは……。
もう、充分生きたわよね。
私は歯を食いしばって恐怖心を踏み潰し、迫りくる矢を、体で受け止めた。
矢は体を貫いたが、痛みはない。
そういえばリアに、私に打ってよって何回か言ったことあったっけ。
リアがそんなことするわけないけど。
「ローラ様!」
数名の天使たちが駆け寄ってくるが、制止する。
私以外の犠牲者を出さないために、矢が刺さった勢いのまま、上空へ羽ばたく。行ったことのない高度まで登って、登って。
私は、呪いの矢とともに夜空に消えた。
「ローラ様……」
ブランシュが悲しそうな、悔しそうな表情を浮かべて、空を見上げている。
「進さん……今放たれた矢は、ローラ様がその身をもって防がれました」
「ローラが……」
俺は悔しさで歯を食いしばる。アマリアに続いて、ローラまで……。
「私は天界に戻って、ローラ様の分まで矢を打ちます。だから……あなたも……」
ローラが紡いだチャンスを、腐らせるわけにはいかない。諦めない。
俺は立ち上がり、ブランシュの目を見つめる。
「はい」
ブランシュは、俺と握手を交わして飛び立つ。
俺にもよく分かるほど、怒りに満ちた目をしていた。
気持ちは分かる。他者を好き勝手に操り、様々なものを奪う奴に対する怒りは、よく分かってるつもりだ。
両親やアマリア、ローラだけじゃない、命を奪いたくないと自らを憎んですらいるリアを、命を奪うことに特化した存在へと変えさせたことだって、許されざることだ。
でも、俺が今抱くべき感情は、怒りではない。
『少し、話しませんか?進さん』
アマリア、すまないが、早くしないと2発目が打たれてしまう。これが終わってから。
『流石に数分で打つことはできません。少しだけ、お願いです』
アマリア……そうか、そうだな、話そう。
『進さんは、どうやって説得するつもりなんですか?』
……正直に言うと分からない。リアの苦しみは、リアにしか分からない。
やる気だけは一丁前で、大した策もない、前向きであることしかできない。
『……天使が地上に矢を打ち込むのは、遅くても3日に1回です。リア様の苦しみはリア様にしか分からない、まさにその通りです』
そんなに……。なぜリアはあんなにも苦しみながら矢を打つんだ?使命だとしても打たなきゃいいんじゃないのか。
『天使や悪魔にとって使命とは、息をすることと同じくらい自然なことなのです。それをするのは当然、したくなくてもしないといけないのです』
なるほど、聞いといてよかった。
どう説得したらいいか、ずっと考えてる。でも思ってもいない慰めの言葉をかけるつもりはない。だから俺は俺が思うことを素直に言うだけだ。
ていうか俺の言葉今のリアに届くのかな?
『……それは聞こえなかったらもう終わりなので、前向きに考えましょう。聞こえてます』
完全に俺に毒されたアマリアに、クスリと笑う。でも本当に聞こえてなかったらどうしようもない。聞こえてるていでいくしかないな。
『あと説得すると言いましたが、間違えました。リア様の憎しみをとっぱらって、愛で満たすのです』
簡単に言ってくれる。こちとら恋愛初心者で、相手は20万才年上だ。ハードルが高いんだよ。
まあ、そろそろ行くか。
俺は瓦礫の山の頂上にいる、死の天使となった想い人を見つめる。
不安定な足元のなか、こけないように注意しながらゆっくり登る。
俺は、乾燥していないかと自分の唇に触れた。
『……なんだ。結構余裕あるじゃないですか』
弱々しいアマリアの声が聞こえる。
余裕ないから確認するんだよ、天使のくせに男心分からないんだな。
『確認できる余裕があるってことですよ、タイミング間違えちゃだめですからね。まあ、もうアマリアが何か言う必要はなさそうですけど』
いや?困ったらヘルプコールするかもよ?
『フフッ進さんならきっと大丈夫です。リア様を救ってあげてください……また、あとで会いましょう』
「……ああ、またあとでな、アマリア」
俺はリアの前に立つ。
相変わらず銅像のようにくぼんだ目は、俺ではないどこかを眺めている。
「俺は、リアのことが大好きだ」
世界の命運をかけた。一世一代の告白が始まる。
愛憎の大悪魔は弓矢にゆっくりと手をかける。
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