3日目①

『進さん!進さん!』


 アマリアの必死な叫び声が聞こえる。


 ん……アマリア……?


 俺は昨晩、一日中歩いた反動で、晩ごはんを食べたあとすぐに寝てしまった。

だから俺は今、ベッドに寝転んでいるはずだ。


 昨日と同じ、アマリアの声で目覚めた朝、だが昨日は、まるでいい朝ではなかった。

 そして今日はもっと悲惨な朝になったのだと、だんだんはっきりする意識のなかで思った。


 なぜなら俺は、瓦礫のなかに埋もれていた。


『よかった。死んではいないみたいですね』


 なんだ?これ?


 木やコンクリートの残骸に挟まれているのにも関わらず、俺は不自然なほど傷ひとつない。


一体なにが起こった?おじいちゃんとおばあちゃんは無事なのか?


『深夜2時頃、突然辺りが揺れ始め、ものすごい轟音と共に家が倒壊しました。悲鳴と叫び声が響き渡ってからおそらく10分程度、今はとても、静かです』


 家が倒壊するほどの地震が起こったのか。


 おじいちゃん、おばあちゃん、被害規模は、なんでこんなことに、俺は死ぬ?近所の人は、みんなは……。

 訳もわからず呼吸が荒くなり、頭が回らない。


『進さん!一先ず脱出してください!最後まで前向きに生きましょうよ!』


「ハッ……ハアッ……そ、そうだ」


 終われない。こんな終わり方はあり得ない。


 俺は精一杯の力を使ってもがいた。

 瓦礫に埋もれて死ぬのを待つなんてあり得ない。この状況はなんなのか把握しなければ、そして出来ることなら、リアに会いたい。

 おじいちゃんやおばあちゃんの安否だって確認いなきゃならない。こんなところで死んでられないんだよ!


 俺の右ストレートが炸裂し、俺を挟んでいた小さな板が吹き飛び、空へと飛び出る。

月光が目を焼き、地上がそこにあることが分かった。

どうやら俺は相当浅いところにいたようだった。


 自由になった右手を使って瓦礫の山から顔を出す。

辺りには見慣れた屋根や壁だったものがバラバラになって地面を形成している。


 あれは隣の家の屋根、あれは車、あれは……なんだ?

みんなの日常が、ぐしゃぐしゃになった光景がそこにあった。


 なんだ、これ?なんなんだよ。


 俺は膝から崩れ落ちる。四つん這いになって、地を這うように嗚咽をもらす。


「ハアッハアッ……」


 思わず吐きそうになった俺は、口を抑える。


 俺の前に広がった光景は、普段より下にあった。

俺たちの町は、地震による大規模な地盤沈下で、深く沈んでいた。


 こんなの……生き残りなんて……。


「うあ、ああああああ」


 少しずつ目の前の現実を理解し始め、徐々に涙が目に浮かぶ。


『進さん、お気持ちお察ししますが、一旦生き残ることを考えましょう』


 アマリア……俺は……。


 俺は涙を拭う。


「すうーふぅー」


 まだ生きている人がいるかもしれない。生き残ったのだから、出来ることをするべきだ。悲観するのは、全部終わってからにしよう。


『……前に、リア様がクラゲを見て嫌な顔をされたという話をしていましたね』


 そういえば、一昨日していた、害虫を見るような目でクラゲを見ていた。とても印象的だった。


『そのクラゲの姿にそっくりな、憎しみの大悪魔サルヴァドール、おそらくそいつの仕業だと思います』


 憎しみの大悪魔、カーティスと話しているときに少しだけ話に出てきた悪魔、やばそうだから聞くのを控えていたが、ここでくるか。


『サルヴァドールは、意思のない殺戮兵器、数年に一度だけ大規模な呪いを発動する悪魔です。もうすぐだとは思っていましたが、まさかこの町とは』


 俺の体に傷ひとつついてなかったりしたのは、リアの呪いに弾かれていたから。俺だけ助かった。

 また、俺だけが……。


 俺はふらりと瓦礫の上に立ってその呪いの威力を実感する。

町ひとつがぺしゃんこになる呪い。


 憎しみの大悪魔がこんな威力の呪いを発動するということは、世界に同等の憎しみがあるということ。


「アマリアの言っていた、この世には知らない方がいいこともあるってのは、本当みたいだ」


「人間のおぞましいまでの醜さ、か?」


 背後から突然聞いたことのある声が聞こえた。


「誰だ!」


 俺は背後にいる何者かを視認すべく、後ろを振り向く。


「さあ、誰なんだろうな。ゴキブリか?それともお前が最も嫌う人間か?」


 そこにいたのは、黒いローブを被った俺の顔をしたなにかだった。

 顔だけではない、身長、声、仕草、何もかもが俺そのもので構成されていた。


 こいつは一体なんだ?


「悪魔にも稀にそういう顔をするやつがいる。何に見えているのか興味はあるが、まあいい」


 黒いローブ姿の俺は、不気味な笑みを浮かべる。


「私は悪意の大悪魔エドアール、人間に名乗るのははじめてだ。誇ってもいい」


『エドアール!』


 こいつがアマリアを、両親を……殺した悪魔!


「お前だけは……お前だけは!」


「許さないと?なにができる、死の天使の呪いに守られるだけのお前が」


 アマリアだって戦う手段がないなかで戦ったんだ。俺に呪いが効かないってことは、相手も武器がないのと同じだ。

 ならやることはひとつ!


 俺は素手でエドアールに殴りかかる。

しかし空振り、態勢を崩す。エドアールは空へ飛び上がり、ふわふわと浮かびながら俺を見下ろしていた。


「降りてこい!ぶっ殺してやる」


 叫ぶ俺を嘲笑うエドアール、今すぐに一発ぶん殴りたいが、まるで届かない。

 悔しい、悔しい、仇が、怨敵が目の前にいるのに、俺は触ることすらできない。


「こんなくだらん生き物が、我々の糧か。さっさと滅ぶべきなのだ」


 エドアールは興味をなくした俺に背を向け飛び去ろうとした。


その瞬間、ものすごい速度で飛んできたものがエドアールを吹き飛ばす。



 月の光に照らされる黒い翼、その美しい翼を大きく広げて着陸する。それは恐ろしく美しい天使だった。


「リア……」


「進くん!無事だった、本当に、良かった……」


 リアは俺の身体を触りたくったあと、安心しきったように膝から崩れ落ちる。

 俺は座り込むリアに近寄ったが、なんて声をかけたらいいのか、分からなかった。


「この世界は、人間は、醜くすぎる。全て滅ぼして、最初からやり直したほうがいい」


 知らぬ間に起き上がっていたエドアールが、まっすぐリアに語りかける。


「そう思わないか?死の天使!」


 黒いローブから両腕が現れ、リアに掴みかからんとする。

 リアは翼を羽ばたかせて素早く飛び上がる。

その美しい顔は憎悪に歪んでいた。


「エドアーールゥゥゥ!!」


 リアの頭の上に浮かぶ輪っかと両の掌が赤黒い光を放つ。

禍々しい光は弓矢をかたどり、形成していく。


 弓矢の照準は、当然エドアールに向けられている。

だがエドアールは動こうとせず、矢が放たれる瞬間を待つかのように静かに佇んでいる。


「何度でも殺してやる」


 怨嗟にまみれた声と共に、リアは矢を放つ。

 エドアールは口を三日月に歪め、高く跳躍することで、自ら矢に当たりにいった。


 胸の中心に禍々しい矢が突き刺さったエドアールが地上に降り立ち、よろける演技をする。


「ぐあああ、ははは」


 エドアールが笑った瞬間、黒いローブからごろりと頭が転げ落ちる。

数回バウンドした後、ゆっくりと首から下の身体が出現した。


 あとに残ったのは、黒いローブだけ。


「黒い……ローブ?」


 さっきまで顔があった穴はきれいにふさがっており、それ本来の形へと戻っていた。

 その姿はまるで、縦長になった黒いクラゲ。


『こいつは!』


「サルヴァドール……?」


 黒いローブだと思われたものは、憎しみの大悪魔サルヴァドールだった。

何故こんなところに、何故エドアールと一緒に、色んな疑問がわいてくるが、一旦頭から忘れ、大災害を起こせる化け物がどうでるのか、皆が注視する。


「オ……オ……」


 サルヴァドールの身体が、矢が刺さった場所からぼろぼろと崩れていく。

 崩れた破片が、粉末が、風に飛ばされる。


 身体に大きな穴が空いて、立つことすらままならなくなったサルヴァドールは、べしゃりと不快な音をたてて倒れた。


「うあああああああ!」


 背後から悲痛な叫び声が聞こえた。

 嫌な予感がする。


 後ろにある恐ろしい現実を、躊躇いながら振り返り、目の当たりにする。

 そこにあったのは、サルヴァドールの崩れた破片が、リアのなかに吸い込まれていく様子だった。


「ああ、あああああ!」


 時間が進むにつれて、量が増えてゆき、あっという間にリアの姿を黒い破片が覆ってしまった。

 聞こえてくるのはリアの叫び声、俺はまた、見てることしかできない。


 サルヴァドールの破片が無くなり、リアは黒い球体となって、何も聞こえなくなった。辺りにはエドアールの愉快そうな笑い声だけが響き渡る。




 黒い球体は徐々に形を変えて、人の姿が現れる。

髪や目を含めた全身が、黒い銅像のような姿になっていたが、それは確実にリアだった。

 サルヴァドールの身を包んでいた黒い布らしきものが、リアの身体を覆い、黒く大きなドレスになった。

頭の上に浮かぶ輪っかは、ボロボロにひび割れている。


 背中から生える翼は、4枚になっており、ゆっくりと大きくなっていく。

リアの翼は身の丈の数倍ほどの大きさになった。

 

「リア?」


『リア様……なの?』


 闇夜に溶け込むようなその姿は、まさに死の天使、意識があるとは思えないが、必死に名前を呼ぶ。


「リア!リア!分かるか?リア!」


『リア様、どうしてこんなお姿に』


 どれだけ呼び掛けても、リアは少しも反応を示さない。本当に銅像になったように、直立したまま動こうとしない。


「なんと美しい姿だ」


 ゆらりと現れたエドアールの姿は、服装すら今の俺になっていた。

エドアールは愛おしそうに変わり果てたリアを見る。


「エドアール!」


「お前たちは、世界が変わる瞬間を目にしたのだ」


「エドアール……リアに、何をした」


「……そうだな、教えてやろう。あれは愛憎の大悪魔とでも言うべきもの、サルヴァドールと死の天使の呪いが融合した姿だ」


 それはなんとなく分かる。問題なのは、あれが一体どんな存在なのか、だ。


 正直それもなんとなく分かってしまう。

最強格の呪いを持ったリアと、意思を持たない殺戮兵器のサルヴァドールの融合体、どう考えてもヤバい、安全な気がしない。


「さあ、素晴らしい世界にしようじゃないか」


 エドアールが空に手を掲げた。

そのままゆっくりと浮遊し、闇へと消えていく。


「待て!」


「餌になってくれて感謝する。お前は死の呪いに守られて、無力感に苛まれながら死ぬといい」


 その言葉を皮切りに、エドアールの声は聞こえなくなり、姿が消えた。


「おい!リア!しっかりしろ!」 


 どれだけ肩を揺らしても、声すら上げない。

銅像のようにくぼんだ黒い目は、虚空を眺めている。

 

 アマリア!どうしたらいい!


 『そんなの分かりませんよ!呪いの融合なんて聞いたことがありません!』


 でもなんとかしないと。


『……仮に融合が本当だとして、リア様が憎しみなんかに負けるはずがないのです』


 確かに今俺たちの前にいるこの愛憎は、見た目以外にリアの雰囲気を感じない。どちらかというと、不気味に佇むサルヴァドールだ。


「あなたが進さんですか?」


 突然純白の天使が目の前に降り立つ。

青髪で、目尻にある泣きボクロが印象的な天使だ。


「いきなりすみません。ブランシュといいます。ローラ様がお呼びです。私と一緒に来てください」


 俺も天界に行きたかったところだ。俺はすぐさま了承し、ブランシュの手を取る。

 いつもの如く壮絶なフライトだったが、リアに鍛えられているため、ダメージは少なく済んだ。

それに、ダウンなんてしてる場合じゃない。


「進くん、無事で良かったわ。それで、あれは一体なにかしら」


 俺はたった今見て、聞いたことをローラに話した。ローラの周囲にいる数人の天使たちの顔がみるみる青ざめていくのが分かった。


「これは、まずいわね」


「俺もよくわかってないんだが、リアは今どういう状態なんだ?」


「要するに今のリアはサルヴァドールの数倍の威力を持った呪いを、連発できる存在ってこと」


 は?冗談だろ?サルヴァドール単体であんな、大災害レベルなのに、それの数倍、連発か。本当にやばいな。


「なによりも、あの肉体の主導権を握ってるのがサルヴァドールかもしれないのが最悪」


 さっきアマリアが言ってたことをそのまま伝えた。


「サルヴァドールは、なんの感情もなく淡々と人間を殺す機械みたいなもの、融合した体に慣れた途端、打てるだけ打ちまくるでしょうね」


 そうなったら最後、核戦争と同等の死人がでると想像できる。人間が減れば悪魔も弱体化するが、そのときはもはや手遅れだ。


「どうして最強格のリアが負けるんだ?」


「今考えられる原因としてはリアがエドアールを打った時にエドアールに対する憎しみで満ちていたこと、もしくはリア自身が憎しみに支配されていること」


 リアが憎しみでいっぱいになっているから、いくら強い呪いを持っていても、サルヴァドールに支配される。あり得ない話ではない。


「つまり、リア自身の問題か」


「可能性が高いのは後者、なんとかできる可能性が高いのも後者、そしてその鍵はあなたよ、進くん」


「俺?」


「私の勝手な想像だけど、リアが憎んで仕方ないのは、リア自身だと思うの」


「……はい」


「20万年間自身を呪い続けたあの子の呪いをといてあげて、憎しみなんかじゃなく、胸いっぱいの愛情で満たしてあげて」


 つまり、出会ってまだ2日の俺が、リアの心の闇をとけと。

 ローラが何故俺に託したのか分からない。でも目はまっすぐに俺を見据えている。 


 あと数時間で死ぬ俺にどうしろというんだ。

十数年しか生きていない俺に、20万年の苦しみなんて分からないし、現時点でどう説得すればいいのかまるで考えてない。

そもそも話が通じるかも分からない。




「はい!」


 でも俺は、とてもいい返事を返していた。

泣き言言っても変わらない、前向きということしか取り柄がない、了承しなきゃ世界が終わる。

やるしかない。


「頑張ります」


 ローラは満足気に頷いた。

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