1日目⑥

 俺はリアとの空の旅を存分に楽しんだあと、いつもの公園に降り立った。


「また明日もここで会わないか?今朝と同じ時間で」


「……うん!」


 リアは喜んで了承してくれた。公園は出会いの地、待ち合わせ場所にうってつけだ。時間の経過を恐れず明日が来るのが楽しみになった。


 俺はリアと別れて、暗い夜道を今日の思い出に浸りながら歩く。


『まさかここまでいい雰囲気になるとは思いませんでした』


 アマリアか。まあアマリアやローラのサポートあってのものだ。感謝してる。


『アマチュア天使としてその言葉は大変嬉しいですが、明らかに進さんの行動によるものが大きいと思いますよ』


 恋愛初心者としてその言葉はとても嬉しいよ。


 アマリアと俺は長年の友達のように話しながら、さみしい夜道を彩る。


 そういえばちょっと気になったんだが。


『なんですか?』


 水族館のクラゲのコーナーでだけ、リアが妙にこう、いい表情をしてなかったように思うんだ。


 水族館で唯一リアのテンションが下がった区画、クラゲコーナー、ゴキブリを見るかのような視線が目に止まった


『あーまあ、この世には知らないなら知らないままの方がいいこともあるのです』


 アマリアからなんとなく圧を感じる。どうやらここはあまり突っ込まないほうがよさそうだ。


 そういえば粘土遊びしてるときチラチラこっち見てた天使もいたが、結局よってこなかったな。


『進さんは本当に地雷を踏むのがお得意ですよね』


 え?俺はただ、警戒心が強いのかと思って。


『あれは……リア様がいなかったら寄ってきてた人達です』


「…………」


『呪いの力を持つリア様が、天界でどんな扱いなのかは分かりますか?』


 ……悪魔と同等とかか?


『気に食いませんが、そういった態度を示す方はいます』


 まあ確かに、自分を殺せるほどの呪いをもった天使なんて、悪魔と変わらない。


『それは少し違います。元より天使は悪魔なのです。人類種の繁栄のために愛の大悪魔は神によって分解され、愛の力を持った天使が生まれた。でも呪いは消えない』


 愛の大悪魔の呪いの部分を全て背負わされているのがリアってことか。


『その通りです。そして、呪いの力を使えるのはリア様だけだから、悪魔が攻めてきてもリア様はいつも単独で立ち向かわれます。天使はリア様に返しきれないほどの恩があるのに』


 曰く、天使は殺されれば消滅するが、リアはすぐに復活するらしい。

リアは天使、人類の繁栄をたった1人で支えていた。

その功績を認められず疎まれて、死ぬことすらできずに20万年も生きてきた。


 俺は今日水族館でのやり取りで、多少は救えた気がしていたが、リアの心の闇は、俺の想像よりもずっと深いのかもしれないと思った。




 もう着くぞ。


『近いんですね、10分かかりませんでした』


 祖父母の家に遊びに行った時は必ず行ってた公園だ。幼い頃にすぐに遊びに行ける公園があると育ちがよくなる、と思う。


 俺はアマリアに話しかけながら、見慣れた角を曲がると、家の前に何かが立っていた。


 暗くてよく見えなかったが、それは間違いなく人間ではなかった。

1.8メートル近くある身長と、相撲取りかと勘違いする大きな体躯、毛むくじゃらの背中は熊を思わせる。

なにより頭と思しき部分から大きな角が生えていた。


『あれは……』


 アマリア?あれは悪魔か?

どうして俺の家の前に?


「む?」


 逃げようか悩んでいた時、化け物は俺の方を振り向いた。

 それは鬼の顔をしていた。いや、体が鬼の顔と手足で構成されていた。

例えるならなまはげの顔に短い手足が生えたような異様な姿をしていた。


「お主、儂のことが見えるか?」


 大きな口から放たれる声は、深い渓谷の底から聞こえてくるように恐ろしい。

 鬼の鋭い目で睨まれて、全身から汗が吹き出す。


 やばい、怖い。


 俺はあまりの恐ろしさに後ずさりしてしまう。


「本当に見えるのか!すごいな!」


 どしんどしんと音をたてながら、俺に近づいてくる。

その迫力に腰が抜けそうになる。


「いやなに、天使と共に歩く人間がいるという話を聞いたのでな、儂も見えるのかとやってきただけだ。そんなに恐れんでもいい」


 そう言って鬼は豪快に笑う。見た目の恐ろしさに相反して、優しいおっちゃん感がある鬼に若干警戒心が解かれる。


「儂らが見える人間に会える日がくるとは思わなんだ。せっかくだ、少し話そう」


「は、はい」


「ははは!いい意気だ!うむ、遅くなったが名乗ろう。儂の名はカーティス、怒りの大悪魔だ」


「…………は?」


 怒りの大悪魔カーティス、俺の家を燃やして両親の命を奪った張本人。

 突然目の前に現れた怨敵に、言い様のない怒りが沸き上がり、頭をかきむしる。


 挑んだところで勝てるわけがない、でも俺には今リアの強力な呪いがかかってる、もしかするともしかするかもしれない。


「どうかしたか?儂の名に聞き覚えでも?」


 俺は掴みかかりそうになった。俺の家を燃やしたことなんて忘れているかのようなカーティスの態度が許せなかった。


「進さん!」


 頭に血が昇った俺の正気を取り戻させたのは、空から舞い降りたアマリアだった。


「気持ちは分かりますが落ち着いて下さい!」


 正気に戻ったとはいえ怒りが消えるわけがない。俺はアマリアを睨み付ける。


「少し待って下さい進さん!カーティス!」


 アマリアは俺とカーティスの間に、俺を庇うように降り立った。


「天使か、何の用だ?」


「あなたは昨日、この人の家族を呪い殺したんです」


「なに?儂が?……そんなわけなかろう」


 比喩ではなく、本当に身に覚えがなさそうなカーティスを見て、少しずつ怒りが収まっていく。


「確かに儂は最近この辺りにおるが、命を奪った記憶はない」


「やっぱり……」


「やっぱりってどういうことだ?カーティスが犯人じゃないのか?」


「カーティスは、悪魔の中でも温厚で、無闇に人を殺さないことで有名です。だから住人ごと家を燃やしたと聞いたとき、変だなと思ったんです」


 そういえば、カーティスが犯人だと言っていたローラは、不思議そうにしていたのは、そういう理由だったのか


「じゃあ一体誰が……」


「ふむ、天使よ、儂が犯人だと断定したのは、主らの調べによるものか?」


「はい」


 カーティスが犯人だが、カーティス本人に記憶かない。ここで俺が考えた推理は二重人格説か、記憶喪失説だった。


「とすると、エドアールであろうな」


 俺の想像とは裏腹に、何か別の悪魔が関わっているらしかった。


「エドアール!奴がここに?」


 アマリアは憎しみの表情を浮かべてカーティスを問い詰めている。エドアール、初耳の名前だ。


「この家の場所を儂に教えたのが奴だ。性根の腐ったやつめ」


「……エドアールってだれのことだ?」


「……悪意の大悪魔エドアール、今朝話した、以前天界を襲撃した大悪魔です」


 第2次世界大戦時にたくさんの天使の命を奪って、この町の天界を襲撃し、リアが返り討ちにした奴か。


「エドアールの奴は、呪った相手を自在に操ることができる。儂の記憶がないあたり、奴の仕業で間違いないだろう」


 見つけたと思った仇が、実は操られていた。そんなの、そんなのどうしろって言うんだ。


「すまない、まさか儂がお主の家族を奪っていたとは」


 カーティスはゆっくりと目を閉じて俺に謝る。

 操られていたとしても、燃やしたのは事実だ。ふつふつと怒りが再燃する。俺には怒る権利はあるはずだ。


「あ、操られてたなら仕方ないって、そんな謝るなんてやめてくれ」


 俺は何を言っている?


「エドアールってやつが悪いんだから、お前は謝る必要ないよ」


「…………」


「進さん……」


 カーティスは黙っている。アマリアは心配そうな顔をして俺を見ている。


「自覚がないのに謝るなんて疲れるだろ?せっかくだから楽しく話そうぜ!お前は悪く、ないんだからさ」


 そうだこれでいいんだ。無理にことを荒立てる必要はない。実際俺がカーティス側だったら操られていたんだから知らないと言うはずだ。


「そんなことを言うな」


 カーティスは俺の頭を撫でた。この時俺がどんな顔をしていたのか定かではないが、俺は硬直してしまった。


「操られる儂が悪いのだ。不甲斐ない。エドアールのせいなんて考えとらん、お主の家族を殺したのは紛れもなく儂だ」


「そんなこと」


「お主の怒りはよく伝わっておる、隠そうとするな」


「…………」


「怒鳴ってでも言いたいはずだ。叫びたいはずだ。怒りを溜めるな、儂の養分になんてなるな。儂や憎しみの糧になるな」


「な」


「もう一度言う、お主の家族を殺したのは儂だ。お主の怒りは正当だ。怒りを儂にぶつけるんだ」


「なんで……俺なんだよ。俺が、何したって言うんだよ!」


「すまない」


「お父さんを、お母さんを……返せよ!」


 心の奥底で、間違った怒りであることは分かっていた。でも一度吐き出した怒りは止まらなかった。


「すまない」


 カーティスは俺の怒りをただただ受け止めて、その度に謝罪をした。


「なに操られてんだよふざけんなよ!家返せよ!」


「すまない」


「謝ったって返ってこないんだよ!ふざけんなよ!ふざけんなよ!ふざけんな!」


「……すまない」


 俺の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。忘れたつもりでいた、忘れようとした喪失感が、無力感が涙と共にあふれでてくる。


「なんで俺なんだよ……なんで……」


「すまない」


「なんで……謝ってるんだよ……お前は悪くないのに……」


「…………」


「ごめんな、ごめんな……お前は悪くないのに……」


「お主は謝らんでいい、少なくともお主は何も悪くない」


「ううっ……うううううううううう」


 とうとう俺は、怒りをぶちまけることすらできなくなって、泣き崩れてしまった。

その間もカーティスは、俺の頭を優しく撫で続けていた、




「ありがとう、落ち着いた」


 カーティスは俺の手を掴んで立ち上がらせてくれた。怒りを元とする悪魔とは思えないくらいに優しい悪魔だった。


「儂に、操られていたから仕方ないと言えるその心は素晴らしいものだが、お主自身によくない、今ので少しでも心が晴れたならいいことだ」


 俺はカーティスの広い心に感謝しつつ、俺が恥ずかしくなった。


「恥ずかしがることありません。怒りを溜めるのはよくないのです」


「アマリアも、わざわざ来てくれてありがとう」


 アマリアは腰を曲げて照れ笑いする。その可愛らしい動作に、癒される。


「本当にすまなかった」


 カーティスがまた俺に謝ってくる。さんざん怒鳴った俺のほうが謝りたいくらいなのに。


「操られていたなど関係ない、お主の家族を奪った責任は、どこかで必ずとる」


 事情の知らないカーティスの、どこかで、という言葉に不謹慎ながら笑ってしまう。


「カーティス、ありがたいんだけど俺、明後日死ぬんだよね」


 怒りの表情からまるで動かないカーティスでも、驚いたのが俺でも分かった。


「なんということだ。儂の呪いを受けて生きているのはそれが理由だったか」


「まあそういうことだ。さっきので俺は大分救われてる。責任なんて大丈夫だよ」


 カーティスは少し悩んだあと、別れの言葉を言って去っていった。

飛び去る鬼を見守りながら、アマリアは俺に話しかける。


「エドアールはあんなに優しくありません。見つけても仇なんて考えずに逃げてください、いいですね」


「はい」


「じゃあアマリアも帰りますので、リア様との待ち合わせに遅刻したら許しませんからね」


 アマリアは俺のおでこにぱちんとデコピンをして、空高く飛び上がった。


『おやすみなさい』


 頭のなかに声が響く、安心感で涙が出そうになった。


 ああ、おやすみ。


 こんなこと思ってはいけないが、リアに一目惚れしてなかったら危なかったかもしれないな。


「ただいま」


 俺は遅くなった謝罪をしながら、リビングに入った。


 ご飯を食べて、お風呂に入って、明日に備えて早く眠ることにした。

明日は動物園とか楽しいかもな、そんなことを考えながら寝た。













『おはようございまーす』


 朝っぱらから早々、アマリアの元気な声によって目を覚ます。


 おはよう、朝からご苦労なことだな、遅刻しないから助かるが。


『はい、感謝してください』


 はいはい、ありがとう。


『……進さんにご報告があります』


 ん?なんだ改まって。


『アマリアは、昨晩殺されてしまいました』


「は?」

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