1日目⑤

「おーヒトデだ」


 扇状の部屋を抜けると、壁に小さな水槽が設置された長い廊下が現れた。

中には、ヒトデ、チンアナゴ、イソギンチャクなどの小さいならではの生き物が並んでいる。


「か、可愛い……」


 リアが腰を屈めるほど前のめりになって見ていた水槽の中では、かの有名なクマノミが泳いでいた。

 大きさ、色合い、模様、顔、イソギンチャクと戯れるように泳ぐ姿、あらゆる要素においてトップクラスの可愛さを持っている。


 リアは相当クマノミが気に入ったらしく、俺がすべての水槽を見終わって、廊下を逆走してもまだクマノミの水槽のまえにいた。


「リ、リア?」


「あっごめん、可愛くてつい……」


 とても名残惜しそうに立ち去るリアを見て、俺は心にあることを誓った。




 ジンベイザメ、水中トンネル、イルカショーなど、水族館おなじみの要素を存分に楽しむ。


 ジンベイザメに後ずさるほど圧倒され、水中トンネルではキラキラと目を輝かせ、イルカショーではすごいすごいとはしゃいでは翼をパタパタとはためかせていた。


 リアは見れば見るほど小さな子供に見えてくる。

本当に長い間、心を殺して生きていたからかもしれない。矢を打っても罪悪感を感じなくなるように。


「すごい!飛んでる!飼育員さんと意志疎通できてるの?」


 イルカたちの可愛さは、リアの心を射抜いたようだ。


 そういう俺も、久々に見るイルカショーに密かに心を踊らせていた。

俺はイルカと飼育員のコミュニケーションが好きだ。飼育員の周囲を泳いだり、手を繋いだり、演技の合間の餌やりタイムも微笑ましい。


 見た目は大変可愛らしいが、全長の数倍の高さまでジャンプすることができる。複数匹のイルカが同時に飛ぶと、跳ねる水しぶきも相まって凄まじい迫力がある。


 リアの言う、人間と動物が意志疎通できているということ、イルカの可愛さ、ショーとしての完成度、長年イルカショーが人々に人気である理由がよくわかる。




「いやーすごかったな」


「飛んで入っちゃおうかと思った」


「あー」


 イルカたちと一緒に飛び回るリアは、なんだか見てみたい気もする。


「次は、あっちだ」


 俺はパンフレットを見て道順を指差す。リアは楽しそうに返事をする。

 そして楽しい時間はあっという間に終わりを告げる。


「ここは?」


「お土産とか買う場所だね、懐かしいなー」


 天界を離れて既に3時間経って、現在の時刻は3時、水族館の最終地点にいた。ぬいぐるみや小物、キーホルダーなど、様々なものが棚に陳列されている。

 子供の頃、魚のフィギュアがどうしても欲しくて親にねだりまくった覚えがある。


「久々に来たけど、本当に楽しかった」


「あ、もう終わり……か」


 2時間近くいたから、十分すぎるくらい楽しんだが、リアはどうも名残惜しいらしい。俺はともかく、リアはいつでもこれるのに。


「ちょっと待ってて」


 俺は使うと心に決めていた2000円を握りしめて、棚に置いてあった商品を購入して、リアに見せる。


「これは……クマノミ!」


 俺が買ったのは、クマノミの置物だった。リアはとても喜んだ顔をして、それに触れようとするが、通り抜けて触れない。


「……そう、だよね」


 リアはひどく落ち込んだ様子になってしまった。翼が力なく垂れ下がり、顔もうつむく。

 俺はリアに提案する。


「リア、天界に連れていってくれないか?」


「え?う、うん」


 水族館を出たあとすぐに上空に飛び立つ。


『せっかく2人きりなのにいいんですか?』


 まあどのみちやることなかったし、別に2人きりじゃないといけないわけじゃない。


『ならいいですけど、地上の物に触れないって言ってるのに今のはなんですか、信じられません』


 アマリアの怒りは正しい。今の行為はぬか喜び、あげると言って腕を高く上げたようなものだ。

でも俺はリアを傷つけたつもりはない、喜ばせるための先行投資だ。




「ふーっちょっと慣れてきた」


 水族館から天界、そして都市へと飛び続けたが、直後に動けなくなるほどではなくなった。

早さに慣れたのと、リアへの信頼感が増したからだと思う。


「おかえりなさい、意外と早い帰りね」


 あの小さな山が見えた頃、ローラが出迎えてくれた。俺が手に持つクマノミの置物を見て、クスリと笑う。


「楽しんで来たみたいでよかったわ」


 リアは少し恥ずかしそうに笑いながら静かに頷く。ローラはさらに機嫌良さそうに微笑んだ。


「ローラ、頼みがあるんだ」


「言ってみて」


「この石畳を作った時のゴミが欲しい」


 あの山が築けるくらいの量があるなら、もっと有意義な使い方をするべきだ。

といっても俺の使い方もなかなか自分勝手なものだが。


「ええ、いいわよ。ちょっと待っててね」


 俺の頼みを速攻で了承し、すぐに飛び去るローラさん、流石です。

リアは何も言わずにチラチラ俺の方を見ていた。俺というか俺の持つクマノミを。


「水族館、どれが好きだった?」


 リアに今日の思い出を聞く。水族館はどれだけ印象に残ったのだろう。


「クマノミやペンギンが可愛かったし、イルカもすごかった。サメはとっても大きくて、水中トンネルは海のことってあまり知らないから新鮮だった」


 水族館はかなりの当たりだったみたいだ。帰ろうとした時、アマリアが引き止めてくれてよかった。


「一番最初の部屋の光景は、きっと忘れられない」


 リアは手のひらを眺めながらそう言った。

 本当にアマリアがいてくれてよかった。アマリアが、前向きに生きるのでしょう、と言ってくれてよかった。


「俺も、絶対忘れない」


 リアは俺に優しく微笑んだ。


「お待たせ」


「お待たせしました」


 ローラはアマリアを連れてかなりの量のゴミを持ってきた。触ってみて思ったことだが、完全に土粘土とか練り消しみたいな感触だ。


「ありがとう」


「いいのよ、ほんとに無限にあるから」


 むしろ助かると言った感じで言うローラに、本当にゴミ扱いされてるんだなと手に持つ粘土を憐れんだ。

 それはさておき、ローラとアマリアが持ってきてのは2リットルペットボトルサイズの粘土を2つ。これだけあれば作れる。


 俺は胡座をかいて地面に座る。足の上にクマノミの置物を置いて、作業を始める。


『なに作ってるのですか?』


 目の前にいるのにアマリアが頭に言葉を送ってくる。


 すぐに分かると思う。


 それ以降は特に誰も話しかけてこなかった。

 3人の美人に囲まれながらの作業は大変疲れるものだったが、単純に粘土を扱うのが久しぶりですぐに作業に没頭した。


「これって……」


 思いの外時間がかかったが、かなり良い出来に仕上がった。色を塗ることが出来ないため、模様の形に指で溝を掘ることで妥協とした。


 見本が無ければ絶対に作れないと思ったから、置物を買った。つまりは先行投資というやつだ。


「はい、ちょっと不恰好だけど、クマノミ」


 俺はリアにクマノミを渡す。粘土の塊1個分まるまる使って作ったため、2リットルペットボトルサイズのクマノミの置物だ。


 リアは赤ん坊を触るかのように、そっと慎重に、それを受け取る。

受け取ってすぐにリアの顔に笑みがこぼれる。


 触れる、持てる、それだけでリアの心は満たされ、感動する。


「あ、ありがとう。……嬉しい」


 リアは笑ってクマノミを、両手で優しく包み込む。


 リアがクマノミの水槽を凝視していた時からずっと作ろうと思っていた。そして、作ってよかった。


『やるじゃないですか』


 触ることの出来ない置物をプレゼントするなんて、最低のすることだからな。


『それにしても貴重な時間を1時間以上使ってプレゼントを作る心意気、少し見直しました』


 え?そんなに経ってるのか?集中してて分からないというか、ここには時計がないだろう。


『今は4時半です。時間を気にせず一生懸命作ってる姿、なかなかかっこよかったですよ』


 アマリアに誉めてもらえるなんて喜ばしい限りだ。

 にしても1時間半もやってたのか。まあ学生時代の美術やら図画工作の時を思い出せていい体験だったよ。


 喜ぶリアを横目に、俺はまた作業を始めた。


 せっかく2つ持ってきてくれたのにつかわないのもな、と思ったため2個目を作るのだ。

 1個目で感覚を掴んだからか、2個目は30分程度で作ることができた。


 作っている最中リアがまじまじと手元を見ていたのがどうしても気になったが、なんとか作りきった。

真っ白のクマノミは少し勿体無いと感じていた。


 俺は指で模様を掘って、色のある場所それぞれに塗るべき色を書いておいた。


「天界に着色技術が備わったら、この通りに塗ればクマノミになるから」


「すごい……本当にありがとう」


 泣きそうになってるリア、めっちゃクマノミ好きなんだな。なんだか俺まで泣きそうだ。


 そして時は5時、これからどうしよう。


「進くーん」


 ローラの声が遠くから聞こえてくる。ふと見ると、手に粘土を持って飛んできていた。

 いそいそと俺のそばに着地して、尋ねる。


「それちょっと教えてくれない?あの山見て分かる通り、うち器用な子がいなくて」


「教えるもなにも、ここをこうして……」


 俺は頼りにされて少しばかりはしゃいでしまった。ローラだけでなく、リアやアマリアも食い入るように聞いていた。

クマノミだけじゃなく、俺が生きていて、天界に来たという証を残せたことが何よりも嬉しかったのだ。


 


「長い時間ごめんなさい」


「全然大丈夫です」


 いつもなら晩ごはんを食べていてもおかしくない夜7時過ぎ、図画工作に一区切りついて、俺は帰ることになった。

 リアはというと、2時間かけて何とか作ったペンギンの置物の前にちょこんと座り、眺めては頭を撫でている。


「……1万年生きてて、あんな楽しそうなリアは初めて見たわ。ありがとう」


 リアを見ながらローラが俺につぶやく。


「よければ明日も一緒にいてあげて、たぶん喜ぶと思うわ」


「……はい!」


「リア!進くん帰るわよ」


「うん」


 一度目の反省をふまえて、天界からでる前から落ちないように、俺はリアにお姫様抱っこされる。

正直非常に恥ずかしいが、紐なしバンジーよりかは幾分ましだ。


 それにリアは気を使って、観覧車のような速度で降下してくれた。リアは俺の身の丈2つ分の大きさもある翼を広げて滞空する。


 暗くなってすぐで、明かりがついてる家が多い夜の町を上空から見下ろす。とても美しい光景に、思わず見入ってしまう。


 まさか最後にこんなイベントが残っていたとは、不覚だった。とても嬉しい。


「明日はどこへ行こうか」


「どこでもいいよ、きっとどこでも楽しい」


 星空と町の光に挟まれた黒翼の天使は、恐ろしいくらいに美しかった。

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