第29話
呼人川と緊急避難
ボーリングを終え出て来た薫達の前には悪天候が待っていた。
薫が合流してワンゲーム。無駄話などにうつつを抜かしつつ二時間半程。時刻は5時30分頃の話である。
「うわぁ〜凄っげ〜な!」
「ありゃ〜」
風は弱いものの土砂不利になっており、道路には大きな水溜り、と言うより道路の端は水没していた。国道を走る車が大きな水飛沫を上げながら走っている。そんな状態を見ての皆の感想である。
そう言いながらも皆いそいそとレインコートを着始める。薫も持っていたタンクバッグから取り出したレインコートを身に付けた。
「やっちまった〜!」
「私も〜!」
ヘルメットをバイクのホルダーに付けていた次郎とモモが騒いでいる。ヘルメットの中まで雨でびしょ濡れになっていたからだ。ミラーに引っ掛けていた他の者達は大丈夫だった様で、薫は持って行っていたので問題無かった。
あれこれと騒いでいる間にも雨は激しさを増して行く。薫達は取り急ぎキャンプ場まで急いで帰ったのだった。
10分も掛からずにキャンプ場に辿り着いた一行だったが、天候の所為もあって辺りは薄暗くなっていた。
「キャッ!」
テントの横にFZを止めた薫は、足を着いてびっくりした。FZのタイヤが掻き分ける雨水の様子で薄々感じていたが、結構な水が溜まっている。
ブーツの中までまだ染みて来ていないがこれでは時間の問題だろう。
自分のテントの周りを確認するが特に問題は無さそうだ。
「うわぁ!」
手持ちのライトを手にフライシートのジッパーを上げると、勢い良く何かが飛び出て来た。咄嗟に手でそれを掴む。
それは昼に使って洗った後に前室に置いておいたマグカップだったが、薫が驚いたのはテントから流れてくる水とその量だった。
流れ出てくるその水はテントの下から勢い良く吹き出して、薫の見ている目の前で前室に有った物を押し流し始める。
テーブルに食器、ブルーシートとサンダル、次々に飛び出て来るそれらを捕まえベンチの上に避難させた。取り逃がせば湖まで流れて回収不可能になるかも知れない。
落ち着いた薫はテントの中も確認する。
どうやらテントの中まで浸水はしていないがこれも時間の問題な様子。流れる水の上にプカプカと浮いている様な状態で、四方に打ちつけたペグと両端に置いた荷物で辛うじてその場に留まっている。
「何これ?川みたいになってんじゃん!」
後ろからモモが覗き見ながら言った。
「確かにこれはもう川だね。テント内に呼人川が出来てしまった。」
「アッハッハッ!面白い事言うね!ねぇ見て見て!薫ちゃんのテント!」
モモは面白がって表にいる連中に声を掛けている。
大笑いしている今のモモは今朝の様子からは想像も出来ないが、これが空元気なのか、いよいよとなって開き直ったのかは薫には判断出来ない。
「薫ちゃんのテントもヤバいけど、こっちのがやばいかも!」
どうしたものかと考えていた薫にヒョイっと顔を出して次郎が声を掛けて来た。
薫のテントの前にはモモと保母さん、鈴木さんの3人が薫に背を向け真っ暗な湖を並んで見ている。
「どうしたの?私それどころじゃな……」
そう言いながら彼らの横まで進み出て思わず言葉を失った。3人が視つめるライトに照らされた湖面は、いつも薫達が腰掛けたり食事をしたりしている赤レンガブロックの最上段まで数センチのところ迄迫っていたのだ。
「やばくね?」
「こんなの今までなかったのに!」
「それ程酷く無いよね?雨?」
それぞれ声を上げるが、現状は変わらない。
保母さんが言う様に以前にも激しい雨が降った事もあったが、ここまで水位が上がった事は無かった。一時激しかった雨も今はそれ程酷く無い。
恐らくは川の上流で雨足が増え、網走湖へ一気に流れ込んだのだろう。
「これは上がって来そうだね。皆んなに知らせた方が良い。」
薫は静かにそう言った。
こうなっては水が上がって来るのも時間の問題だ。と言うより直ぐにでも流れ込んでくるだろう。
急がなければ水浸しになる。
「あっうんそうだな!ヤバいな!」
「わかった!どうしよう?」
「嘘でしょ!こんなの!」
それぞれが感想を述べつつ散って行く。薫も荷物を纏めて小屋へ運び込む事にする。
濡れては不味い物。寝袋や着替えなどは纏めて仕まってあったのでテントの中の荷物は運ぶだけだ。全ての荷物を運びFZを小屋の前に止め、最後にテントをグルグルに丸めて小屋に放り込む。その頃にはテントの中の小さな川は湖に呑まれ、網走湖の一部になってしまった。
小屋の中には灯りは無い。薫は荷物の中からランタンを取り出すと火を灯した。淡く黄色い光に照らされた室内は少し暖かく感じる。
端の方に荷物を纏め、壁際の梁にロープを括りテントとレインコートを引っ掛け干し始めた頃に皆が荷物を手にゾロゾロとやって来始めた。
「いやぁ〜まいった!」
入って来るなり大きな声を上げたのは次郎だった。
「結構浸かっちゃったよ!」
そんな次郎がレインコートを脱ぐと満遍なくずぶ濡れで頭までグッショリな状態だった。
「2/3は汗だよ!見てあの湯気!」
レインコートが役に立たない程の雨が降って来たのかと驚く薫に、保母さんが次郎の体から立ち上る水蒸気を指差し笑いながら教えてくれた。
「でも、どうしようかな?太郎のテント!」
レインコートをバサバサとやりながら、誰にともなく問いかける。
「太郎ちゃん、テント置いて行ってるの?」
それに保母さんが応える。
どうやら太郎なる人物の荷物置きテントが水に浸かっているらしく、本人とは連絡が取れないとの事。
「クズ君のテントもほったらかしだし。戻って来るのかなぁ?」
もう一つの水没中のテントは、女満別の玉ねぎ農家にバイトに行っているクズ君が所有者だ。雨も止みそうに無いので帰って来ると思うのだが、今のところその姿は無い。
「ねえ。私の隣のテントってまだ有ったよ!バイクも止まってたし、あれって?」
「えっ!」
既に随分と浸水しているキャンプ場で、モモの隣にはテントが貼りっぱなしでバイクが今も止まっているらしい。どうやらまだテントの中に居るのではないかと危惧している様だ。詰まりはテントの中で倒れている、もしくはお亡くなりになっていると言う事だ。
長いキャンプ生活中にはそんな可能性もあるのかもしれないが、気持ちの良い物では無い上にこの緊急時にそれは無いだろとも思う。
「あぁ。あれは大丈夫!俺も良く知らんけど、失業保険貰いに地元に飛行機で帰ってる人のだから!」
そのテントの所有者も次郎が知っていた。
失業保険を貰うためにお金を掛けて飛行機で帰る。何だか薫には理解出来ない人物の様だ。荷物やテントは良いとしても、バイクの水没は不味い気がするが、ハンドルロックやチェーンロックまで掛けてあるらしいので避難させるのは無理そうだ。
ボーリングに行っていた8人は無事に避難完了出来た様で何より。後は水が何処まで上がって来るのか気になるところなのだが、皆が避難した古屋は床上が7、80cm位高くなっている。ここまで水没してしまったら後は何処か別の場所に避難するしか無いだろう。
そんな所に心当たりも無く、皆が皆不安げな面持ちだが今は祈るしか無いのが現状だった。
「取り敢えず食事にしよっか?皆んなで何か作る?」
薫が小さく呟くと皆も同意したらしく用意を始める。
食材を持ち寄り出来そうなのは鍋くらいで、皆のコッヘルを集めるも一番大きなのは薫の深底フライパンだった。
外の雨に激しさは無くも、普通にザーザーと音を立てて小屋の屋根を打ち付ける。これがテントであったなら嘸五月蝿くて寝苦しい事になっただろう。
皆で昆布出汁の鍋を突きながら、時折り一人また一人と裏手の戸からキャンプ場の水位を伺う。
この状態で安眠など出来るとは思えない事は皆わかっている。
今夜は長くなりそうだ。
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