第25話
ナンパと漫才
ゴリゴリゴリッ
湖畔の赤い煉瓦チックな石段に、チャプチャプと水遊びをしているかの様な水音の中、薫は小さな手回し式のコーヒーミルを回していた。
辺りは既に陽も落ち暗く、傍の木製ベンチの上のプリムスのランタンが薫の周囲を淡く照らしている。
不意に回していたハンドルが軽くなった。ミルに入れたコーヒー豆が挽き終わった様だ。ステンレス製で筒状のコーヒーミル。先日上士幌の航空公園キャンプ場で別れた響子が後は徐々に南下して地元、愛知に帰る選別として置いて行った。
値のはる物だと薫は遠慮したのだが、響子は是非にと言うので次回逢ったら返すとの約束の下借り受けた。
今までインスタントのコーヒー派だった薫は今日初めて自分で淹れたコーヒーを一口飲む。苦いばかりで風味もコクも薄い茶色い液体に眉を寄せる。
「響子が淹れてるところをもっと見とくんだった。」
赤い石段に腰掛け、黒くうねる湖面を見ながらもう一口含む。
「やっぱりここって落ち着くなぁ〜」
薫は今、網走の呼人浦キャンプ場に再び訪れていた。
上士幌から道南や道北に向かっても良かったのだが、道北の海沿いの直線道路も道南のゴミゴミした車の多い道路も足が向かなかった。
走り回るなら道東が良い。幾つかのお勧めキャンプ場や温泉、隠れた名店も響子やザキさん、奈良君辺りからリサーチ済だ。道東で行くところに困る事は無いだろう。
食事を終え寝る前のひと時にコーヒーを淹れた薫だったが、余り美味しくない初めて自分で淹れたコーヒーがすすまない。
「取り敢えず美味しく淹れられる様になりたいなぁ〜」
「こんにちは〜お姉さんお暇ですか?」
遅めに起き、遅い朝食の後、天気も良いし洗濯でもしようかとテントの前でボウっと突っ立っていた薫に、在り来たりだが未だ聞いたことの無かった安っぽいナンパの常套句を投げ掛けてきたのは、一人の男性だった。
歳の頃は20代中盤、背丈は薫より少し低く細っそりしており、短髪黒髪、無印の白Tに薄青いGパン。軽薄な態度で声を掛けてきたにも拘らず、薫には危険な印象は感じなかった。少し引き攣った笑いとギョロッとした目だけが気になったが、どうも違う気がする。
内気な少年がジャンケンで負けて仕方無く声を掛けに来た。少し血走っている気がする彼の瞳にそんな印象を受けた。
「うっ…えっと…」
黙っている薫に焦り始める男性は狼狽し始める。
「挙動不審過ぎるよ!次郎ちゃん!」
観察しつつどう返すか考えていると、男性の後ろからひょっこりと顔を出した女性がバシバシッと男性の背中を叩きながら言う。
「ごめん!ごめん!この人って人見知りなの〜」
「痛って〜って!」
叩かれ続けていた男性は、女性の攻撃範囲から逃れようと手を回しながらバネの様に飛び退った。
「はあ?」
薫は突然声を掛けられた事よりも、夫婦漫才にも見えるこの男女の関係が気になった。
次郎と呼ばれた男性と同年代に見えるこの女性。背は低く薫の胸辺りまでしか無い。顔も身体つきもポッチャリしていて健康的な浅黒い肌。肩までありそうな茶色い癖のある髪を耳の後ろで無雑作に二つに纏めている。黄色いタンクトップにデニムのハーフパンツとピンクのビーサン。露出が多めだが色気は全く感じない。
少し離れたところでど突き合いをしている二人を、一瞬カップルなのかと思ったが、どうも違う様だと思い直した。距離感と言うか、カップルのじゃれ合いにしか見えないあの二人に、恋人同士に感じる二人の世界観やそれに伴うイラっとした感情が湧いて来ない。正に漫才の様だと薫は感じた。
「んで?なんなんでしょう?」
動き回り息が上がって動きを止めた二人に、薫は声を掛けた。いつまでも夫婦漫才を見ているのも何だし。
「あ〜その、俺らこれからサロマまで行って、向こうでホタテ焼いて食べようって事になってさぁ!」
「多い方が楽しいかなって連泊連中に声掛けてたのよ〜やる事無くて嫌じゃ無ければ貴方も行かない?」
考えた末、薫は彼らと共にサロマに向かう事にした。理由は幾つかのあるが、以前食べたホタテが美味しかったのと、参加する全員がそれぞれソロだと聞いたからからだ。揃って行って現地解散と言うのも良いポイントだった。正直ゾロゾロ連なって走るツーリングは苦手だ。
時刻は9時半。昼食に出掛けるのはまだ早く11時頃に出発する事に決まり、二人も準備に散って行く。
少し話すと次郎と呼ばれていた男性は、最初の人見知り具合も緩和され普通に話す様になった。CB400スーパーフォアで静岡の焼津から来ているそうだ。
女性の方は保母さんと呼ばれていて、XLR250でこちらも静岡の沼津から来ている。27歳らしいが話し方も行動も関西のおばちゃんを彷彿とさせる。二人は此処で出会って1週間程だが何かと行動を共にしているらしい。
他に数人、余程気が合った者同士だったのか、此処で知り合い食事やら買い出しやら一緒に出掛けたり出掛けなかったりしているとの事。
以前知り合った響子やザキさん、ノブ達とは明らかに距離感が違う。似た様な時期に同じキャンプ場で出会った者同士なのに、こうも違う。
やっぱり北海道ツーリングはソロが良い。以前幼馴染と二人で北海道を周ったのを思い出す。あの頃は二人で全てが完結していて、周りに何があってどんな人がいるのか見てもいなかった。もっと周囲に目を向け話し掛けていたなら、あの二人旅も違ったものになっていたかもしれないし、今、一人旅をしていなかったかもしれない。
薫が次郎や保母さんとのサロマ行きを決めたのは、そんな昔の後悔と今の充実に満たされた気持ちを払拭したかったのかも。今で満足せず人とのコミニケーションによって薫自身が変わりたいと思っているのかも。人見知りに臆せず話し掛けて来た次郎にシンパシーを感じ新しい人付き合いを求めている。
何と無く行く事にしたサロマツーリングだったが、薫は自分の心に従う事にした。
薫が洗濯をしようと思っていた事を思い出し準備していると、キャンプ場に爆音と共に一台のバイクが入って来た。
ヤマハのV-MAX。アメリカンの様な外見にハイパワーV4エンジンと極太のリアタイヤが特徴的な大型バイクだ。
薫の前を通り過ぎ、次郎と保母さんの近くで停車するとヘルメットを取る。大きな体でガッチリと言うよりはお腹周りのお肉が気になる感じの体型。黒いライダースに革のパンツにブーツと真っ黒で決めているが、現れた素顔は温和そうな丸顔の青年。服装の所為もあるが余程暑かったのか異常に汗をかいている。
「あぁ…暑い。」
小さく呟きながらライダースも脱ぎTシャツの胸元をパタパタさせ始めた。
「銀ちゃん?」
V-MAXの彼を見ていた保母さんが大きな声を掛けた。
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