第24話

走り屋と然別湖


糠平湖のアーチ橋から林道をそのまま抜け国道まで出た。先日何度も通った幌加温泉の手前くらいだろう。

さて、どうしよう?

時刻は正午、特に予定も決めていなかった薫は行く場所を考えていた。

「帰るのも早いしなぁ。」

ここから、この時間からならぶらっとツーリングと洒落込もう。薫は手頃なまだ行っていない場所に思い当たった。

「然別湖を見て帰ろうかしら?」

然別湖なら糠平湖の温泉街から行けるし、ぐるっと回って士幌か上士幌のスーパーで買い出しすれば良い時間だろう。

薫はそう決めると走り出した。FZのソコここでパチパチと石のはぜる音がする。


然別湖行きを決めた薫だったが、いつからそんなに湖好きになったのか?意味無くバイクに乗る事に不得意な薫は、地元に居ても目的地がないとバイクに乗ることは滅多に無い。くだらなくても、バカバカしくても目的が欲しいのだ。乗るよりもバイクを改造っている方が好きなのかもしれない。

北海道であれやコレと理由をつけるのに、湖や温泉は薫にとって丁度良い材料だった。


元走り屋かぶれのオタク。薫を表現するのに一言で言うとそんな感じだ。だからなのか?皆が喜ぶ北海道の延々と続く直線道路などは、最初こそ喜んでいたが直ぐに飽きてしまい、国道よりも側道や抜け道を好んで走っていた。

好みの峠などは、手前で乗用車やトラックをパスさせて待ち、車間を開けて上ったり降りたりを繰り返す事もあった。津別峠や知床峠がそうだった。

これから行く然別湖までの峠もどんな感じなのか、ちょっとワクワクする。


薫は糠平湖温泉郷の手前、急な左カーブの所で右手に伸びる道に入った。道はセンターラインのある広めの道路。舗装は綺麗で、程良いコーナーが続く森の中を進む気持ちの良いワインディングだった。木の枝が道路を覆うように伸び、風に揺れる枝が陽の光を浴びて明るく鶯色に輝いている。

薫的にはもうちょっと低速で右へ左へと忙しい峠道が好みなのだが、こんな道をゆったり進むのも嫌いではない。


薫が気持ち良く走っていると15分もしないうち、左側の川が大きく深そうな濃い青に変わると同時に唐突に道路が狭くなった。センターラインが無くなり車がすれ違うのがやっとと言ったところ。場所によってはそれも困難そうだ。右手は切立ち苔むした岩が迫り、左手には数メートル下に川から然別湖となった湖面が静かに波打っている。

楽しいワインディングが一転し、少々危なげな峠道に変わってしまった。

右のカーブが全てブラインドコーナーになってしまい、転倒し滑って行けばその先には池ポチャならぬ湖ポチャが待っている。ファー!

「これは左をゆっくり行くっきゃないか〜?チェッ〜!視えてればすっごい良い道なのに〜」

道は少々難があるが、小さなカーブの連続で実に薫好み。悪態をつきながらも左カーブだけ気持ち良く走り抜ける。

何台かの対向車とすれ違うが、別段問題も無くパス出来た。大きく跳ね出した木の枝の為なのか?辺りは暗く陽が差すことも無く、湖面だけが陽の光を受け明るく輝いている。明と暗のギャップに路面も辺りも湿っぽい気がする。

暗がりに慣れた薫の瞳に、明るく浮かび上がる建物が飛び込んできた。木の洞窟を飛び出ると開けた左右に幾つかの建物が陽の光を浴びていた。暗く寒い日陰から出て暖かく感じる。

薫は側道の様な退避路の様な横道にFZを止めた。

正面には明るく青い然別湖が広がる。風は無いものの鏡の様なとはいかないが、湖の後方と湖面にはユラユラと天望山が望めた。

湖畔に建っている白い大きな建物は恐らくホテルで、道を挟んで同じ間口が並ぶ二階建ての土産物屋と、木造のトイレ、左には更に大きなホテルが見える範囲に点在していて、かなりひっそりとした感じ。

ザキさんの話だと冬には札幌からツアーがあって安く泊まれたり、氷の張った湖上に露天風呂があって全裸で数十メートル走ったと話していたっけ。

今は当然そんな面影は無い然別湖を、何とは無しに眺める。

きっと長い冬の間は深い雪に囲まれてお客の足も遠退いてしまうのだろう。わざわざ札幌からツアーまで企画して客を引っ張って来なければならないのだ。

「そりゃぁ湖の上にお風呂くらい作るよねぇ!」


FZの元まで戻った薫に向かいの土産物屋が目に留まった。早い時間に食べたコロッケと芋餅を思い出し少し小腹が空いた感覚がある。

道路を渡り近づく。どうやら二階はレストランになっている様で、土産の商品が並ぶ中、一階の中央に階段と食品サンプルの入ったガラスケースが並んでいる。

覗くと中にはワカサギの天ぷら定食や山の中にもかかわらず海鮮丼、刺身定食にカレーなどなど、テカテカと艶のある食品サンプルに食欲が減衰していくのがわかる。

決定的だったのはその価格だった。観光地価格とでも言おうか?薫の予想の3割から4割増の値段設定に、レストランへの階段を登ること無く退散する。

仕方なく一階の土産物屋を見て回ると、芋餅を揚げているブースを見付けた。タップリと油の入ったフライヤーの前で恰幅の良いおばちゃんが、サラダ煎餅程の大きさの芋餅を油の中で踊らせていて甘い醤油の香りが薫の鼻を擽ぐる。さっき食べたハルの芋餅は砂糖醤油を掛けてあったが、明らかに香りが違う。薫は芋餅なるものを食べたのはハルの物が初めてで、当然売り物の芋餅は見た事も無かった。

売り物との味の差が気になってしまった薫は、芋餅で腹を満たす事にする。

「おばちゃん!二つ頂戴。」

「はいよ〜直ぐ食べるのかい?」

気さくな感じのおばちゃんは薫に尋ねる。

「うん。」

聞きながら箸で油の中の芋餅を転がしながら

「何処から来たの?」

社交辞令であろう決まり文句を言う。

「東京からバイクで!」

「あ〜れ!随分と遠くから!」

目を大きく見開いて驚いた様子のおばちゃんは、その間にも揚げていた芋餅を三つケースに入れると薫に渡してきた。

「あの…。」

薫が何か言おうと口を開く前に、

「遠くから来てくれたから、おまけ!温かいうちに食べな!」

そう言うとシワだらけの眼尻を綻ばせる。

口元に手を当てて笑うすがたはとてもキュートだ。

「良いんですか?ありがとう!」


北海道を一人で旅していると度々ある、地元の関東や

足を伸ばした近畿や中部にツーリングに行っても余り無い事。と言うか薫自身本州では無かった事。

内地の人のおもてなし感。物や食料を買ってオマケをくれたり、食べ物や果はお金まで通りすがりの他人に与えようとする。宿泊や食事、入浴を勧めてくる。

当初、薫は女子の一人旅だからだと思っていたが、ノブや石川県達の話ではそうでも無い様だ。

汚いバイクで旅する我々を哀れに思ってなのか?余程物欲しそうに見えるのか?

いや違う。そういった人種なのだ。

わざわざ来てくれた人には美味しいものを!

寒い日には温かい食事とお風呂を!

疲れていればゆっくり眠ってほしい。

きっと食べ物も住む場所も碌に無かった北海道開拓時代からの北海道民の考え方、心意気なのだと思う。


薫は豪快に芋餅を食べるとFZに跨りエンジンを始動させる。まだ温かいエンジンはグズる事も無く安定した音を響かせた。

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