第23話
糠平湖とアーチ橋
岩間温泉の翌日。
薫としてはアーチ橋を見に行きたい所だったのだが、アブに刺された尻が痛くてFZに乗れなかった。昨日の帰りはまだ良かったが、朝起きてもまだ痛んだので今日は流石にバイクに乗る気にならなかった。
帰りに幌加温泉に入っていたからこの程度で済んでいるのか?入っていなかったらもっと悪くなっていたのか?判断材料が無いので、虫刺されに効くと言う幌加温泉の効能を実感し難い。
キャンプ場の奥をブラブラ散歩してみたり、川に入ってみたりと暇を持て余している。
響子とハルは相変わらずジャガイモを揚げたり、焼いたり、蒸したりしていて、今はどこからか買って来た澱粉湖とジャガイモで芋餅なる物を作っている。石川県の1号、2号と奈良君も手慣れてきたもので、油でやられない様サッパリとした添え物を慎ましやかに作っていた。今日はキャベツの千切りに塩昆布をまぶしている。
「薫。今日は何処にも行かないの?」
「えっ…うん。今日はゆっくりしてようかな〜なんて。」
毎日忙しそうにしていた薫がキャンプ場でブラブラしているのを訝しんで、響子が訪ねてきたりしたが適当に誤魔化していたのだが、薫の妙な座り方に何かを感じたのか、昼食後にはバレて皆にも知れ渡ってしまったりした。
その翌日、尻の調子も良いし天気も良さそうなので出かける事にする。
アーチ橋に向かう林道の入り口も奈良君にリサーチ済みだ。
先日と同じように三国峠方面に向かう。
ねずみ取りを怪しんで地元の車の後ろをゆっくり行く事にする。
今日は何事も無く糠平湖のダムまでやって来た。林道の入り口は先のトンネルを抜けて直ぐ、左に入る道が有るらしい。
ダムに架かる橋から右手に大きなダムが姿を見せるが、此処から糠平湖は見えない。湖はダムの向こう側だ。
橋を渡るとすぐにトンネルに入る。
確か幾つかトンネルがあったはずだが、いくつ目のトンネルだろうか?
トンネルの中は冷たく、薫の着ている夏物のジャケットでは肌寒い。
間もなくトンネルから出ると直ぐに次のトンネルの入り口が目の前に、っとここだ!
「あぶねぇ〜通り過ぎる所だったヨ。」
光り一瞬白くなった視界の隅に、木々が覆い隠すようにその林道はあった。ゆっくり走っていたのも幸いして、薫は余裕を持ってFZを左の路地に入れた。
道は舗装道でグルリと登りながら左カーブを描く。どうやら今通ったトンネルの上を越えたようだ。端に枯れ葉が積もるクネクネとした道を抜けると見晴らしの良い高台に出た。薫はFZを路肩に停車させる。
手すりに囲まれたそこから糠平湖が良く見える。左右から山の尾根が迫り出していて縦に長細くしか見えないが、奥の方まで濃い青の湖を見通せる。山の陰なのかアーチ橋は見えないが、右手には糠平のダムが弓形に見える。この道を進むとダムの上を通れそうだ。
薫はFZを走らせた。
道は間もなくダムの上に出た。右にはさっき通った国道とその向こうに深い森が望める。
「おっ突き当たりだ!」
ダムを渡り切ると突き当たりのT字路だ。舗装された道路もここまで。
奈良君情報だと左へ道なりに進むと左側に見えて来るらしい。駐車場みたいな広い場所に出たらそこから歩いて近くまで行けるとの事だ。
カムイワッカの頃のビビリは何処へ行ったのか?薫は気負い無くFZを左の林道へ向ける。
この林道はとても走り易かった。山に沿って進む為右に左にと急なカーブが多いものの、基本固い土の林道で起伏も少ない。薫好みの林道だった。
湖の湖面は道からだいぶ下で、その間は枯れた木が流木のように折り重なっていて寒々しい。白い流木がまるで骨の様に見えてしまう。逆に山側は青く茂った草木が生命力を感じさせる。花こそ薫には見えないが昆虫や獣がたくさんいるのだろう。その境を進んでいる薫には生と死の間を彷徨っている様に感じた。
バイクに乗って北海道を長期一人旅する。側から見れば危ない。止めろと思うのかもしれない。幸いにも薫の親も周囲にもそう言う人間はいなかったが、バイクで見知らぬ地への女一人旅とくればリスクは大きくなるだろう。そんな今の薫の状況とこの風景がどこか重なってしまった。
「まぁ、そんなに簡単にあっちには落ちませんけどねぇ!」
薫は美しくも寂しい湖を睨みつける。
そうこうしているうちに、湖際を添う様に曲がりくねっていた林道が森の中に入ると、整備された真っ直ぐな道になった。砂利の!
「ぐうっあぁっ!ほんっともうこれ!嫌!」
ふかふかの白い砂利に轍が深く何本も刻まれている。ぼうっとしているとフロントタイヤが轍に沿って流されて、今にも転倒しそうだ。
暴れるフロントを押さえながら、スピードを落としてみたがもっとひどくなった。最終的にリアに荷重を掛けてある程度スピードを出した方が良さそうだ。
試行錯誤しながら走り続け、ロングストレートが急な右カーブになった所で深い砂利の道が終わった。カーブ注意の大きな看板が目立ちほっと胸を撫で下ろす。
カーブの正面は入江になっていて、濃い緑がかった青の湖面から沢山の立木が化石の様に顔を覗かせていた。その左側に待ちに待ったアーチ橋がひっそりと湖面から聳え立っていた。
薫はFZを止め間近で見たアーチ橋に目を奪われた。
ここからはまだ少し距離があるが、左に傾き湖に聳える姿は歴史と言うか風格を感じさせた。
もっと近くで見たい。
再び走り出す。
林道は入江に沿って大きく迂回している。木々の切れ間からチョイチョイ姿を見せるアーチ橋。その風景に何故か心を鷲掴まれた様な妙な感覚だ。
林道が森の中に入り、暫く走ると林道の脇に大きな空き地があった。此処が奈良君が言っていた駐車場だろう。薫はFZを止めた。
道を挟んだ向かい側に横道がある。覗くとそこには雨水が溜まりグズグズの上、朽ちた倒木だらけの真っ直ぐ伸びる道があった。左右の木々が覆い被さり、さながら樹木のトンネルだ。
薫は歩けそうな所を探し探し進む。
距離は100メートルも無いだろう。薫の足でも直ぐにトンネルの出口にたどり着いた。
そこは一面に大きな球砂利が転がり、正面にアーチ橋が真っ直ぐ伸びていた。
近づくにつれ、永く風雨に曝されたアーチ橋の表面が風化してボロボロになっているのが良く見える。所々崩れ、赤く錆びた鉄筋が何本も顔を出している。倒壊する恐れがあるのか、アーチ橋の上にのれないよう立ち入り禁止の立て札がある。
少し横から眺めるとアーチ橋の姿が良く見えた。下を湖に沈め、手前から奥へと若干低くなっていき、中程を越えた辺りで崩れてなくなっている。
周囲の湖面には白い立木が無数に頭を出し、風も無くユラユラとゆれる水面にアーチ橋と共に写し出される様は儚くも幻想的で、此処がダム湖できっとこの下には人間の営みが有ったのだろうと想像させた。
今では此処に来るのも一苦労なこの場所に、線路まで引く程の人間が住んでいたのだ。それが重機や技術も今ほど進んでいない大昔に!
このアーチ橋も国道沿いで見た橋梁跡も、何年か後には崩れてその姿は失われてしまうのだろう。では、手を加えて補修、保善した方が良いのか?と、問われればそれも違う気がするのだ。
「私が生きてる間は覚えてれば良っかなぁ…そう!生きてるうちに崩れるって訳じゃないし!」」
薫はアーチ橋から少し離れた石の上に座り、朝ハルに持たされたコロッケと芋餅を広げながら呟く。
祭りで手に入れたジャガイモもそろそろ終わりだ。あの連中と別れるのは寂しいがまた何処かで会えるかもしれないし、きっとまた面白い人も現れるだろう。
近い別れを感じながら、薫はいつまでもアーチ橋を眺めた。
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