第22話

川渡りと河原の温泉


「危っ…ふぅ、道って突然無くなる事あるのね〜」

ギリギリだった。

林道に慣れてきたのもある。激坂を越えて気が抜けていたのかもしれない。何気に飛び込んだ土手の向こう側に道は無かった。

少しのスペースをあけて川の中に消えていたのだ。何故川に消えている道が有るのかは、薫にはわからないが、幸いにもFZのフロントホイールが少し川の中に入り掛けて止まる事が出来た。

もう少し進んでいたら川の中の大きな石にハンドルを取られ、もう少し強くブレーキをかけていれば川の手前の泥で滑り転倒していたと思う。

「と、取り敢えず戻ろうかな?!」


「ヒィ…ふぅ…ハァ…」

薫はやっとこさっとこFZを転かす事なく土手の手前まで引っ張って来て、息も絶え絶えである。

スタンドを立てるとヘルメットとジャケットを脱ぎ捨て大の字に転がる。最近多いなこの子。

「軽い…バイク…がいい!…絶対に!」

性も根も尽き果てた感じで息は整わない。

薫は動悸が治るまで目を閉じていよう。

FZのマフラーがチンチンと音を立てている。近くで鳥が鳴いている。カッコウだ。川の流れる音。自分の鼓動。

「絶対コケると思ったけど。大丈夫だった。危ね〜」


林道走行と最後のFZ押しでヘトヘトだが、此処まで来たのだ。

「行くしかあるまい。」

動悸も呼吸も落ち着いた。

薫は立ち上がり荷物を持つと川を渡れる場所を探した。川幅は3メートル程で深さは薫の脛ぐらいまでだろうか。ブーツを脱いで渡れなくもないが、どうにか濡れずに向こう岸へ行きたい所だ。

FZを止めた近くが川幅も狭く、大きな岩が二つ、三つ川面から頭を出して飛沫を上げている。岩は濡れていて滑りそうだが表面がゴツゴツしているから大丈夫だろう。

薫は荷物片手に岩から岩へ、川向こうに無事着地出来た。

「この後は歩いて10分!あと少し!」

自分に声を掛け歩き出す。

川の先の道は結構な登りで、あちこちから水が流れ込みぬかるんでいた。大きな流れの所もある。雨が降った時はここも川の様になるのかもしれない。

きっかり10分程歩くと少し開けた広場に到着した。まるで駐車場の様だと思っていたら、車のタイヤの跡を発見!

「ここまで車で来れるの?!」

薫の足元には太いタイヤの溝が何本も残っている。

「ジムニー?いや!パジェロとかランクルかなぁ…あぁ!だから道がああなってたのね。」

薫が突っ込みそうになった川に消えている道は、車が作ったものなのだろう。

薫が渡って来た川や、緩やかだがぬかるみや凹凸が激しかった坂を車が走っている様子を想像できなかったが、パリダカやサファリのラリー車を思い浮かべて、全然有り得ると思い直す。

広場には火を起こした後も有って、車で来てここでキャンプしていたのかもしれない。

見回す薫の視界に、川に架けられた一本の丸太橋が入る。その向こうの高い位置に黙々と立ち上る湯気があった。あれが温泉なのだろう。

「むっ…」

ヌプントムラウシと違って一本だけの丸太橋。高さも少し有ってちょっと怖い。転がったりはしなさそうだが、薫は滑らないか足元を確認しながら渡り始めた。

案外揺れる。

丸太はそんなに細くもないのだが、中央付近まで来ると薫が一歩踏み出すごとに上下に大きく振れる。耐えつつ後4、5歩位のところからは一気に走り切る。

「もっと太いのか、2本とかにしてくれたら良いのになぁ。」

一人ブツブツ言いながら温泉までやって来た。湯船は石とコンクリートの様で四角くしっかりしている。中には白く濁ったお湯が溜まっているが、汚れや湯あかなどではなく湯の花の様だ。その湯船には川上の方から黒いパイプの様なホースが中に突っ込まれている。おそらくこれで源泉を引いているのだろう。

「熱っつ!」

湯に触れると熱くて入れそうも無かった。

「緩めるにはどうしたらいいのかしら?」

周囲には粗末な衝立とスノコ、デッキブラシとプラスチックの桶が二つ

「これで川の水を汲むのかな?」

とてもではないが桶でどうにか出来るとは思えない。

「まぁ取り敢えず。」

温泉のホースを出してしまおう。薫はホースを掴み外へ引っ張り出す。ホースの先からはこんこんと温泉が流れ出す。掴んだホースも熱々だ。

「熱っちぃ〜!んっ?」

薫は取り出したホースの横にもう一本、同じ様なホースが放り出されているのに気づいた。これも同じ様に先端から温泉を出してって、これ水だ!

「なるほど。これで温度調節する訳ね!」

薫はそのホースを湯船に突っ込み暫し待つ。時折、桶でくるくる湯を回し、少し緩めになったところでホースを取り出す。

「これで準備OK!長かった〜!」


薫は周囲に人の気配が無いのを確かめつつ、簀の上で豪快に服を脱いだ。衝立の様なものはあるが、身を隠せるほど大きくもないし隙間だらけだ。

人がいないなら気にしても仕方がない。

先程の桶で体を流すと早速湯船に飛び込む。

「あああぁ〜」

声にならない声を出す。

水の入れ過ぎだったのか?温度は少し緩いが、林道やFZを押し引きしたりで汗だくだったのもあり丁度良い塩梅だ。白かった温泉も薄めたせいで少し透明になっていた。

「ここも良い雰囲気〜」

直ぐ下には川が流れ、背後にはゴツゴツとした白い山肌が緩やかに続く。川上には幾つか窪みがあり中に液体が溜まっている。温泉を自作したのかもしれない。温泉の脇には誰かが手作りしたであろう岩間温泉の看板がポツンと落ちていた。

豪快だったカムイワッカや解放感のあるヌプントムラウシとも違って、ひっそりとした秘湯感があって薫もご満悦だ。

こんな所なら家族でキャンプするのも楽しいかもしれない。

薫は暫し、長風呂を楽しむ事にする。


「困った〜緩くて出られね〜」

山の天気はなんとやら、陽が影って雲が出てきた。風も少し強い。

緩いお湯に入っていた薫だったが、上がろうと思った時には涼しくなって出られなくなった。

「えっと、これを…」

さっき放り出した源泉のホースを湯船に突っ込み温泉の温度を上げる事にする。

出ようと思えば出られそうだが、帰るうちに湯冷めしそうだ。温泉から頭だけ出して温まるのを待つ事にする。

ブブーン。ブーン。

なんだか周囲で虫の羽音がする。結構近い。

見ると湯船の周囲、温泉で濡れている所に数匹のアブが止まったり飛んだりを繰り返している。

薫もそんなに虫が苦手な方ではないが、刺されるのは勘弁願いたい。

「何もしなけりゃ大丈夫でしょ?」

温泉はまだ緩い。もう暫く待つしかないのだが、アブの数が尋常ではない程集まってきている。

「嘘でしょ?!」

温泉を舐めているのか、しきりにお湯に触れてモゾモゾするアブは、湯船の縁と言う縁にへばり付きついには薫を取り囲んでしまった。

そして温泉はちょうど良い温度を超えつつある。

暫く我慢するものの、限界は近い。薫の顔も赤い。

「も…もう無理!」

薫はアブに温泉をぶっ掛け、飛んだ隙に湯船から飛び出した。

走りながら荷物を掴み、裸のまま川縁まで逃げる。

「痛った!」

裸足に小石が刺さって超痛い!

何匹か薫を追っていたアブも去り、痛む足を摩りつつ体を拭く。

周囲を見渡しつつ

「誰もいなくて良かった〜こんなん見られたら死ぬるよ〜」

薫の本音だろう。呟きながら大きな岩の影で素早く服を着る。

「あぁ〜流石に温泉!体がポカポカするな〜」

そう言うが、温泉効果かのぼせた所為かはまだわからないよ。

粗方服を着た薫は、最後に靴下を履くために岩に腰掛けた。

「痛った〜い!」

腰掛けると同時に尻の激痛に飛び上がった。

「何〜?」

岩の上には何も無い。

自分の尻を撫でてみると何だか痛い。

Gパンを半分脱いで直に触ってみると、いつの間にかアブに刺されたのかポッコリ腫れている。

「げ〜マジ?ううぅ〜よりによってなんでお尻?」

泣きそうな顔で唸る。

この後、薫はダートを走って帰るのだ。

前途多難である。

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