第3章 ④

「あれ…」


 気づかぬうちに目からあふれ出る熱いもの。こんな年になってと、弘毅は慌てて袖で拭った。


 と、弘毅の首に伸びてくる腕があった。


「我慢しなくていいのに」


 子どもの細い腕に引き寄せられ、その小さな胸に顔をうずめる。


「生きて泣ける身体があるんだから、泣きたい時は泣いていいんだよ。我慢しなくていいから」


 弘毅の頭をなでる小さな手が、ひどく温かく感じた。それはとうになくした懐かしい温もりのようだった。


 あの、忘れられない小さな温もりだった。


 ――弘毅…。


 ふと、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。弘毅はハッとして顔を上げる。そこに、ほほ笑むのは真雪。


「…お前…」


 その肩を思わず引き寄せた。


 姿形はこんなにも違うのに、悲しい程にあの子に見えて。


「峻…」


 そっと、唇を重ねる。驚いたように大きく見開かれる瞳が、弘毅の記憶のままの峻のようで。


「…松田さん…?」


 白い顔にぱあっと朱が広がる。それを今度は自分から抱き寄せる。


「お前を身代わりにしちゃ、マズイよな、やっぱり」


 冗談めかしてつぶやく弘毅に、ややあって、腕の中の声が小さく答えるのが聞こえた。


「いいよ」


 はっとして、ほどいた腕の中の者を見る。


 見上げてくる瞳が柔らかな春の日差しのような色をしていた。それが優しく笑んだ。


「いいって…お前、何のことか分かってんのか?」


 先に言った弘毅の方が慌てる。いくら何でも相手は12歳の子どもである。思いっきり犯罪だ。手なんて出せる訳もない。


 そんな弘毅に真雪はクスリと笑いをもらす。


「冗談だよ。すぐ本気にするんだから」


 軽く返して、弘毅の腕の中から擦り抜けようとする。


「冗談…なのか?」


 どうして自分こそこんなことを言っているのか。こんな小さな子どもに、自分は何をする気なのか。何を求めようと言うのか。


 欲しかったのは、あの温もり。二度と還ることはない、あの温もりだけだった。


 弘毅は真雪に口付ける。縋り付いてくるその身体を、ゆっくりベッドの上に横たえさせた。



   * * *



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